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【報告】UTCPセミナー「来るべき精神分析のプログラム」

2009.03.12 小林康夫, 時代と無意識

去る1月14日、精神分析家/精神科医の十川幸司氏をお招きし、「来るべき精神分析のプログラム」と題する講演を行っていただいた。脳科学や医療技術が飛躍的に発達し、精神分析の治療的効果がますます問題視される現在において、精神分析はどうあるべきなのか、また、精神分析は今後どのような方向に進むべきなのか。

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十川氏によれば、精神分析はいわば20世紀という時代の要請に応答するかたちで誕生し発展してきたのであり、時代の変遷に応じて絶えず更新を余儀なくされてきたといえる。絶えず先行する理論を批判する形で、あるいは、絶えず批判的な仕方で創始者フロイトに回帰することによって、精神分析はこれまで生き延びてきたのである。フロイトへの回帰の最も優れた例として、十川氏はラカンとビオンを挙げる。ラカンはフロイト理論を認識論的な面で洗練させたのに対し、ビオンはグリッドを用いて分析経験を定式化し、フロイトのテクストではなくフロイトの経験を深めることを目指した。この全く異なる二つの例を挙げながら、十川氏は、精神分析の認識的側面と臨床的側面とを、別の言い方をすれば、超越論的な精神分析と経験的な精神分析とを、あるいは端的に、理論と臨床とを、より普遍的な形で縫合するにはどうすればよいのかという問いを提起する。

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ラカン的あるいは構造主義的な方法が――その理論的な価値は否定できないものの――臨床における患者との個別な経験を超越論的に記述すること、過度に抽象的な後期ラカン理論がもはや臨床と接点をもちにくいこと、90年代以降の病理に変化が見られること(病理の軽症化、解離と発達障害の増加)、これらの事実を踏まえた上で、自らのおよそ10年にわたる臨床経験を理論化しようと試みたとき、十川氏は臨床経験に対して内在的な立場をとるために、精神分析にシステム論を導入することに決めたのである。

では、精神分析にどのようにシステム論を接合していくのか。十川氏はここで、言語を核におく精神分析(ラカン派)では扱うことの困難な「情動」という局面を重視したビオンと、乳児がいかに世界と対峙し自己を形成していくのかを臨床データを下に理論化したスターンの発達論を参照しながら、自らのシステム論的精神分析を基礎づけようとする。ビオンが提示するグリッドは運動系と認知系という二つの系の作動を示しており、「情動」の回路はこの運動系と認知系の二つの作動をとることになる。また、この二つの系は単に「情動」の回路において同時に作動するだけでなく、他の回路――スターンの発達論における「情動」を除いた「感覚」、「欲動」、「言語」という回路――にも影響を及ぼすことになる。精神分析経験において、これらの回路=システムが、どのように他のシステムと関係しつつ、作動しているのかということを、臨床経験のなかで理論化していくことが十川氏のシステム論的精神分析の基本構想である。

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オートポイエーシス理論、脳科学、マラブーの「可塑性」概念など、精神分析の外部の言説を頼りにしながらも、常に自らの臨床経験を重視し、いくつかの症例を挙げて(ただし、講演で言及された症例はあくまで十川氏が講演用に作り直したフィクションである)、理論と実践の橋渡しを行おうとする十川氏の講演は実に刺激的なものであった。精神分析が置かれている現状を、一臨床家として真摯に受け止めながら、来るべき精神分析の姿を描き出そうとする十川氏の仕事はまだ始まったばかりといえるが、この困難な作業は、絶えず更新を迫られることで生き延びてきた精神分析の宿命といえるだろう。その意味で、精神分析とはまさに「終わりなき」知なのである。

(文責:桑田光平)

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