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【報告】国際ワークショップ“The Formation of Perso-Islamic Culture: The Mongol Period and Beyond”

2009.03.11 諫早庸一

3月1日、東京外国語大学にて国際ワークショップ“The Formation of Perso-Islamic Culture: The Mongol Period and Beyond”が行なわれ、発表者として参加させていただいた。

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まず、表題にあるPerso-Islamic Cultureについてである。7世紀半ばに、イスラームを標榜するアラブ勢力がイラン高原から中央アジアに進出すると、その影響により9世紀半ば頃までには、アラビア文字を用いる近世ペルシア語が成立する[cf. 羽田 2002: 874]。イスラーム化したペルシア語は「イスラーム世界」の西方で用いられ続けたアラビア語とならんで、その世界の東方においてリンガ・フランカとなる。近世ペルシア語を公用語とするイランはもちろんのこと、タジキスタンやウズベキスタンといった中央アジア諸国においても今日に至るまで礼拝namāz(アラビア語ではṣalāt)や断食rōza(アラビア語ではṣaum)といった信仰の根本に関わる事象までもがペルシア語彙で知られているのである[Fragner 1999: 27-33]。イスラーム化したペルシア語は、ある意味ではイスラームをペルシア語化し、イラン、中央アジアからアナトリア、北インドといった広範な地域における文化形成の主要素となっていく[Arjomand 2004: 7]。この「イスラーム化したペルシア語によって育まれた文化」がPerso-Islamic Culture(以後、ペルシア語文化と表記)である。

13-14世紀にモンゴル帝国で公用語的地位を占めたのち、ペルシア語の使用は文章語・行政語としてユーラシア各地に拡がっていく[近藤 2000: 93]。この国際ワークショップは、ペルシア語文化の形成・発展における画期であったモンゴル時代に注目し、その具体相や後世への影響などについて議論しようとするものである。Opening Remarksにて主催者の近藤信彰氏と渡部良子氏(いずれもILCAA)が当ワークショップの意義や狙いについて語り、会が始まった。近藤氏はより後代のイラン史を専門としているが、ペルシア語を共通の要素とする域圏を、日本語で「ペルシア語文化圏」と呼び、研究に使用した最初の人物である[cf. 近藤 1999]。渡部氏はモンゴルがイランに建てた最初の王朝であるイル・ハン朝(1256-1336年-)の特に、イスラーム世界において極めて特徴的なインシャー術(散文術・書簡作成術)の専門家である[cf. 渡部 2002]。

(※自身のリスニング能力の問題により、各発表についての報告には濃淡があります。Birgitt HOFFMANN氏とColin MITCHELL氏の発表内容に関しては阿部尚史氏(東京大学・院)にまとめていただいたものに基づいています。阿部さんありがとうございました。)

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(前日のランチ・ミーティングにて:最奥左からColin MITCHELL氏、右が近藤信彰氏、中段左がBirgitt HOFFMANN氏、右がMaria SZUPPE氏、手前左が報告者、右が渡部良子氏)

I. Mongol Rulers and Iranian Society  (司会:近藤信彰氏)

まずはイル・ハン朝を専門とするBirgitt HOFFMANN氏(Universitat Bamberg)が発表を行なった。題は“Ilkhanid Patronage of Cities: The Case of Tabriz”。氏の発表はイル・ハン朝の首都タブリーズ(現在のイラン北部)についてであった。その繁栄の要因として君主による直接のパトロネージュ(公共事業等)のほかに、間接的パトロネージュ、つまりイル・ハンに仕えるイラン系の官僚や貴人によるパトロネージュ活動を挙げ、その重要性を指摘したのである。具体例として『集史Jāmi‘ Tawārīḫ』編纂で名高い宰相ラシード・アッディーンが寄進によって形成したラシード区Ra‘b-i Rašīdīに焦点が置かれた。このような間接的なパトロン活動があったからこそ、イル・ハン朝滅亡後もタブリーズはその後長きに亘り繁栄を続けることが出来たのである。

次の発表者は渡部氏で、題は“Images of Mongols and Their Legitimacy in Persian Literatures in the Ilkhanid Period”であった。氏は近年史料として注目されだした詩篇manẓūmaに注目する。イル・ハン朝期に書かれた2つの詩篇、『チンギス諸王の王Šahanšāhnāma’-i Čingīzī』と『麗しき冊帳Daftar-i Dilgušā』(作品の訳はブログ報告者による)が本発表の考察対象となった。前者はイル・ハン朝に、後者はモンゴルに臣従したイランの地方王家であるシャバーンカーラ家に奉げられた。これらの作品はそれぞれ、近世ペルシア語文学黎明期に成立し、最も名高い韻文作品の1つである『王書Šāh-nāma』に多く拠っており、例えばその基底にある「イラン対トゥラン」(トゥランとはイランの東方)のモチーフを受け継いでいる。そのなかでトゥランから来るモンゴルの王をイランとトゥランの支配者として称揚し、シャバーンカーラ家をトゥランと戦うイランの君主として賛美するのである。これらの作品は、当時のイラン系知識人が如何にしてモンゴルの支配をペルシア的文脈のなかで正当化したかを教えてくれる。

II. East and West:Cultural Exchange in the Mongol Period and Its Influence in Perso-Islamic Culture (司会:真下裕之氏〔神戸大学時代の恩師です〕)。

最初にイル・ハン朝期の「イスラーム神秘主義教団」などを研究対象とする矢島洋一氏(Kyoto University of Foreign Studies)が“Persian Sufism in East Asia during the Yuan Period”と題した報告を行なった。西アジアだけでなく、東アジアにおいてもモンゴル時代にイスラーム神秘主義(スーフィズム)が影響力を持っていたことを、例えばイブン・バットゥータの旅行記などから知ることが出来る。しかし、その内実に関しては史料の不足からいままで明らかにされてこなかった。氏の発表は近年発見されつつある元朝期の東アジアにおけるスーフィズムについての史料についてのものであった。1つはカラコルム(現在はモンゴル共和国内、当時の帝国の首都)のペルシア語碑文、もう1つはカラホト(内モンゴル)にて出土したペルシア語文書断片群である。ただし、これらの史料によって徐々に存在が明らかになった元朝期のスーフィズムが、後代明清期に盛んになったものと連続性を持っているのかについては留保が必要だとのことであった。

自身の発表の題は“The Modification of the Twelve-Animal Cycle in the Timurid Period”である。話の内容は、モンゴル期に初めてペルシア語史料に現れる、東アジアにおいては馴染み深い十二支がペルシア語文化圏で時を経るにしたがって、どのような変容を遂げていったのかというもの。当初、十二支は中国暦法に基づいて冬至の翌々月の新月を年始としていたが、のちに6週間ほど年始を後退させ、イランの年始で当時は春分にあたっていたノウルーズから始まるようになる。この中国的な年始からイラン的な年始への変容は、イル・ハン朝滅亡後に成立したティムール朝の時代(1370-1507年)において、イラン官僚が支配者のテュルク・モンゴルの「時」であった十二支を、自らがおこなう徴税の開始日であったノウルーズから始まるものと見做したことから起こっていたのであった。

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(発表前の極度の緊張から解放された直後の休憩時間にて。参加者は50人弱でした。)

III. Continuities and Changes: The Mongol Period in the History of Persian Epistolary Art (司会:守川知子氏・北海道大学)。

最初の発表者はDavid DURAND-GUEDY氏 (JSPS Fellow/ University of Tokyo)、モンゴル侵入以前、セルジューク朝期(1038-1194年)を専門としており、今回の発表者の中で唯一モンゴル時代以前の時代の専門家ということになる。題は“The Diplomatic Letters of the Saljuq Period”であった。氏は、12世紀の書簡に基づいてイル・ハン朝期に書かれたインシャー手引書である『書簡選集Muḫtārāt min al-Rasāil』(日本語訳はブログ報告者による)などの史料を用い、セルジューク期の書簡作成術について語った。ペルシア語書簡におけるアラビア語起源の単語の割合やイラク様式なる書式の実例、さらにはdu‘āと呼ばれる祈願句のヴァリエーションについて紹介・解説があり、当時の書簡術の具体相が明らかになった。

次の発表はColin MITCHELL氏 (Dalhousie University)、題目は “Prefacing the Word: Comparing the Dibachas in the Epistolary Works of Muhammad ibn Hindushah Nakhjuvani (Mongol Period) and Husain Vaiz Kashifi (Timurid-Safavid Periods)”であった。氏はサファヴィー朝期(1501-1736年)の書記文化などを専門としている。発表は、ペルシア系官僚や宮廷官人の間におけるアイデンティティの持続にも重要な役割を果たしたインシャー術についてのものであった。具体的には、イル・ハン朝期~ジャラーイル朝期に作成された『書記典範Dastūr al-Kātib fi Ta‘īn al-Marātib 』(14世紀中葉完成)とḤusayn Wā’iẓ Kāšifiによるティムール朝期~サファヴィー朝期に作成された『インシャーの宝庫Maḫzan al-Inšā’』(16世紀初頭完成)の序文dībāčaとの比較がなされ、そこに見られる変化が考察された。両作品は150年の間隔を経て作成された。2つの序文の比較により明らかになったこととして、『インシャーの宝庫』において、『書記典範』に比してアラビア語語彙の利用が減少し、一方、韻文の挿入が増えたことが挙げられる。韻文においてはKāšifiと同時代の人々(例えばジャーミー)の手になる作品が数多いという傾向が確認でき、当時の文学界の影響を色濃く受けている。このように時代に応じてインシャー学およびインシャー作品は変化していくとのことであった。

セッションの後に司会を渡部氏、ディスカッサントをティムール朝以降のペルシア語文化を主に研究しているMaria SZUPPE氏 (CNRS)が担当し、General Discussionの時間が取られた。Szuppe氏はそれぞれの発表に対してコメントし、若干の質問もおこなった。自身の発表については、暦や時間の要素は、例えばサファヴィー朝期の史料に多くの記述が見られる占星術の問題とも関わってくるが、十二支に関しては、その点はどうかとの質問をいただいた。それに対しては、確かにモンゴル~ティムール朝期の史料においても、占星術に関連する記述は多く見られるが、イスラーム世界に伝統的な占星術の体系に十二支は取り込まれることは無かった。ただ一方で十二支自体は占いと深い関わりがあり、その事実こそが十二支が西アジアにおいても長く用いられ続けた理由であると自身は考えると答えた。

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(懇親会にて。左から2番目がDavid DURAND-GUEDY氏、右から2番目が矢島洋一氏。)

この国際ワークショップに来た海外の研究者たちは、いずれもモノグラフを刊行している(もしくは近々刊行する)その分野の第一人者である。本でしか知らなかったこれらの人々と話す機会に恵まれたことを非常に嬉しく思った。皆、人格的にも優れた人々であり、若造のたどたどしい英語に耳を傾け、丁寧に対応していただいたことに自身は感激した。ただ一方、自身はどうだったのかといえば、非常に反省の多い会となった。自身の英語力の低さを痛感させられたのである。発表の後の質問にもしっかり答えることが出来なかったとの思いが強い。一方的に伝える、聞くだけではなく、議論をしてこその場であったのに、自身にそれをこなすだけの力がなかったことが本当に悔やまれる。課題を胸に、鍛えなおして次の機会を窺いたい。最後に、このワークショップでの発表を薦めてくださった近藤信彰氏およびワークショップの準備および当日の運営までさまざまに御配慮いただいた渡部良子氏に深く感謝します。本当にありがとうございました。

(参照文献)
Arjomand, S. A. 2004, “Social sciences and the appropriation of Persianate historical memory”, Studies on Persianate Societies, 2, pp. 3-34.
Fragner, B. G. 1999, Die “Persophonie”: Regionalitat, Identitat und Sprachkontakt in der Geschichte Asiens, Berlin.
羽田正2002「ペルシア語」大塚和夫ら(編)『岩波イスラーム辞典』岩波書店, p. 874.
近藤信彰 2000「イラン,トゥラン,ヒンド―ペルシア語文化圏の発展と変容」『岩波講座世界歴史 14:. イスラーム・環インド洋世界 16–18 世紀』岩波書店, pp. 93–114.
渡部良子2002「『書記典範』の成立背景--14世紀におけるペルシア語インシャー手引書編纂とモンゴル文書行政」『史学雑誌』111 (7), pp. 1-31.

※サムネール画像は『王書』のテキスト
http://blogs.dion.ne.jp/hodhod/archives/cat_195162-1.htmlより転載。

(文責:諫早庸一)

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