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【報告】ワークショップ「政治的思考の地平」 @延世大学(ソウル)

2009.02.26 早尾貴紀, 金杭, 國分功一郎, 森田團, 西山雄二, 大竹弘二

2009年2月16日、ソウルの延世大学にてワークショップ「政治的思考の地平」が韓日の若手研究者によって開催された。民主主義やフェミニズムといった理念の未来から、パレスチナや朝鮮半島における分断の現在的問題、そして、歴史の根源の哲学的考察にいたるまで、政治的思考の過去・現在・未来を対象とする共同討議である。

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(1957年に延禧大学校とセブランス医科大学が統合して創設された延世大学。ソウル市西大門区の山腹に広大なキャンパスを有する。)

I.ポリティクスの最前線―来るべき民主主義とラディカル・フェミニズム

西山雄二(UTCP)「民主主義の名を救う―デリダ、ランシエール、ナンシー」

 まず、西山雄二氏の報告では、民主主義制度の凡庸化に伴って民主主義の理念への憎悪さえも見られるようになった現在の状況を踏まえながら、現代フランスの思想家の民主主義論が検討された。

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 ジャック・デリダは民主主義の起源を古代ギリシアの友愛思想に求めつつ、その男根ロゴス中心主義的な原理による女性の排除を指摘したうえで、「来るべき民主主義」を提唱する。理想的で完全な民主主義体制などは実現できない以上、「来るべき民主主義」はたしかに不可能である。だが他方、この不可能性は〈今、ここ〉の瞬間において要求され、「しかし信じなければならない」という命令を下す。私たちが他者との関係につねにすでに巻き込まれている以上、「来るべき民主主義」は、具体的な他者の切迫性と緊急性を通じて到来する。デリダは、民主主義の可能性の条件を哲学的に問い直すことで、他者との関係一般の構造を解明するという倫理的な次元にとどまることなく、現実的な政治的実践を促すのである。

 ジャック・ランシエールは、狭量なフランス共和主義に民主主義を対置し、人々の不同意からなる政治的な討議の有効性を主張する。民主主義は社会的諸条件によって公的領域から排除された者による異議申し立てによって絶えず刷新されるのであり、私的領域と公的領域の区別を問いに付す。また、ジャン=リュック・ナンシーは、「六八年五月」の歴史的断絶とその継承を踏まえつつ、人間が内在的な仕方で人間を規定し直す力に民主主義の真理を説く。彼は民主主義を実定的な制度ではなく、人間が人間を無限に超過しようとする精神とみなし、その息吹が「六八年」に開花したと見るのである。

 西山氏によれば、デリダ、ランシエール、ナンシーの民主主義論は、民主主義をその理念と制度、理論と実践のあいだの運動として名指すことで、この名を救い出そうとしている。彼らの立論は、現在、いかなる条件において、いかなる起源と文脈において、いかなる政治体制に抗して、いかなる歴史的契機に即して民主主義の名を救うのか、という問いを提起しているというのである。

チョン・スンファ(延世大学)「政治的男女同数主張のラディカルな含意とそのディレンマ」

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 続いて行なわれたチョン・スンファ(鄭昇和)氏の報告は、主に90年代のフランスで展開された男女同数(parité)の運動を扱いつつ、女性の政治的平等を達成するための企図が直面する諸問題について考察するものであった。性的差異と市民権をめぐる論争において長らく問題となってきたのは、男女差別撤廃のための積極的処置が市民権の普遍的基礎を侵害する可能性があるという点である。このジレンマを解消するため、男女同数運動は、女性性を普遍的原理に対置される特殊具体的な集団的アイデンティティとして規定するのではなく、人間の種(species)が男女の二元性(duality)から成り立っているという事実それ自体を普遍的な抽象的原理へと高めようとした。それによってこの運動は、従来もっぱら男性性に割り当てられてきた普遍的・抽象的市民の概念を再規定しようとしたのである。

 男女同数運動はたしかに、性差についての本質主義的な観念と結合したり、同性愛ではなく男女の異性愛にこそ自然的事実を認めるような考えに繋がったりもした。その限りにおいて、この運動は「差異のジレンマ」を容易に解決できるものではなく、フェミニズム政治学の文脈の内部でもさまざまな批判に直面している。しかし、性的差異の二元性に基づいて50対50のラディカルな男女平等を求める男女同数運動が、現実政治のなかで多くの成果を達成してきたことも事実である。この運動をめぐる論争のなかで、個人や権利といった近代の政治的な普遍概念が問い直され、それらが歴史のうちで変化する偶然的なものであることを明らかにされていったのであり、チョン氏は男女同数運動の意義をまさにこうした実践的な効果にこそ見て取っている。

(以上、文責:大竹弘二)


II.ポリティクスの根源―歴史の終焉からの問い

森田團(UTCP)「滅びのリズムと根源―ヴァルター・ベンヤミンにおける自然のエスカトロジー」

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 『ドイツ悲劇の根源』において、ベンヤミンは根源概念を導入する際に、なぜかリズムという語を流れと渦のメタファーとともに用いている。その理由をリズムの古代ギリシア的な意義に立ち戻ることによって解釈し――リズムは形態、形式、性格などを本来は意味する――、そこにおいて問題となっているのが、運動するものをひとつの形象において表出させること、そしてそれを認識することであることをまず示した。言い換えれば、アレゴリーの機能としてベンヤミンが挙げる時間の空間化(あるいは形象化)が、まさに根源の認識において同時に問題となっていることをリズムの分析は明らかにしてくれるのである。

 また「神学的‐政治的断章」においては、自然を総体として過ぎ去らせるものとして捉えられるリズム、メシア的な自然のリズムが話題にされているが、ここでベンヤミンはギリシア的な概念であるリズムをユダヤ的な伝統から再解釈していることになる。このことによっておそらくベンヤミンは、時間の形象化そのものの条件に、言い換えれば歴史的認識の条件にメシア的なものを見出しているのである。最終的にはこのメシア的なものの意味を自然のエスカトロジーという観念によって示唆することができるだろう。

大竹弘二(UTCP)「法の彼岸、秘密の政治―カール・シュミットの例外状態論の帰趨」

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 大竹は例外状態における法を欠いた執行を「措置 Maßnahme」であることに注目し、シュミットが措置概念を危機克服のための政治の条件として構想していたことと切り離せないことを示しながら、同時代にブレヒトによって書かれた『措置』において、革命家による同士の処刑が措置と呼ばれていることを指摘し、シュミットとブレヒトとの親和性を浮かび上がらせた(シュミットとブレヒトはカール・コルシュという共通の友人を持っていた)。シュミットは、法秩序を合法的に転覆させようとする革命勢力に対して、超合法性によって秩序を維持しようとしたときに、この空間を見出したのだが、この空間はのちに合法的に権力を握ったナチによって現実化する。いずれにせよ、両者が発見したのは法の外部にある措置の空間であった。この法の彼岸は、実は(決断などによる)法の運用において必然的に要請されるのであり、だからこそ法秩序の転覆は合法的になされうる。同じ認識をベンヤミンやアーレントにも見出しつつ、最後に大竹は、法の彼岸としての措置の空間を秘密の政治の領域とみなし、そこにおける人間の生こそが、ポスト・フォーディズム型の資本主義のグローバル化によって遍在化していることから、今日の政治学の出発点は、この空間に据えねばならないことを強調した。

キム・ハン(高麗大学)「技術複製と歴史の終焉」

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 金は「技術複製と歴史の終焉」において、ベンヤミンの「複製技術時代の芸術作品」の政治的含意を浮き彫りにした。まず「神学的‐政治的断章」が読解の対象となり、この断章の読解によって、ベンヤミンの政治が、世俗的なものの、有限的なものの政治であること、言い換えれば、いかなる宗教的・超越的な意味付けを拒否しつつ、有限性を成就し(これが「幸福」である)、承認する手段であるという認識が引き出された(報告者の私見によれば、ベンヤミンが「世界政治」の原理を「ニヒリズム」に求めることも、このような解釈から説明しうる)。ベンヤミンは有限性の成就を没落と呼んでいるが、没落の成就は歴史の終焉の観念と切り離せない。金はさらにこの二つの観念の交叉を「複製技術時代の芸術作品」に読み取ろうとする。そのとき注目されるのがアウラの凋落である。アウラ的知覚は、つねにいま・ここに結び付いており、その反復不可能性に金は有限性の知覚の条件を見る。アウラの凋落と複製技術による知覚様態の変容は、したがってベンヤミンの政治の要請であった有限性の承認を不可能にしてしまうのである。それは同時に「没落」を不可能にしてしまう。ここに金はベンヤミンにとっての歴史の終焉を見出す。つまり、没落の成就の不可能性が歴史の終焉と結びけられるのである。金によれば、これが「芸術の政治化」のテーゼを理解するための前提にほかならない。

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 私(森田)の発表は、直接ベンヤミンの政治概念の分析に向かったわけではないが、三つの発表は、独特なかたちで関連し合っていた。「ポリティクスの根源」というセッションにおいてベンヤミンがひとつの中心であったことは、アガンベンの影響が大きいが、それぞれが独自にベンヤミンを新たに読み始めていることの徴候でもある。ベンヤミンの政治概念の究明は、専門研究のなかでも比較的遅れており、大竹と金の発表が互いに異なる視点からベンヤミンの政治概念の究明をしようとしていたことには刺戟を受けた。そのとき中心的な話題となったのが、例外状態、世俗の政治――もちろんこれは政治神学の問題に深く関わる――、歴史の終焉(あるいはメシアニズム)であったことは、ベンヤミンの政治概念において何が問われているのかをはっきり示していると言っていい。

(以上、文責:森田團)


III.ポリティクスのアクチュアリティ―パレスチナと朝鮮半島における分断の問い

早尾貴紀(UTCP)「ユダヤ主義と国民主義のあいだのイスラエル建国とパレスチナ問題の現在」

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 最近のガザ地区攻撃で注目されているが、パレスチナは1948年以降、ガザ地区/西岸地区/イスラエル/国外各地、に分断された巨大な「強制収容所」となっている。公式・非公式の「難民」たちは半世紀を越えて収容所的生を強いられ、逃げ場のないところに空爆がなされている。これが、ヨーロッパで「非国民」化され強制収容所に送られてきたユダヤ人たちに新たな国家(イスラエル)を与えユダヤ人を国民化することの表裏であったことは強調したい。

 しかしこの国民化は、同時にユダヤ人内部における思想的変化でもあった。ユダヤ人離散を示す神学的概念「ガルート」は神による罰であり、その贖いはただ神によって終末的にもたらされるものであり、人為的な「離散の終焉」=国家建設およびそれによる異教徒支配(パレスチナ占領)は重大な「背教」行為となる。概念転換は、終末論的概念である「ガルート」を地理的離散である「ディアスポラ」に読み替えることでもたらされたが、それは19世紀後半の国民国家発展の時代のことであった。1860年代のモーゼス・ヘス、1890年代のテオドール・ヘルツルといったヨーロッパの世俗的ユダヤ人がその思想的牽引者である。

 現在、一方でボヤーリン兄弟のようなディアスポラ主義のユダヤ人らが、近代シオニズム以前の離散ユダヤ文化を肯定する思想を生み出し、他方でエドワード・サイードら離散パレスチナ人らが、もはや不可逆的な分断状況となった生の条件を引き受け、ユダヤ人との共存も肯定した枠組みでの「ディアスポラ的生」のあり方を模索している。この両者の共鳴の先に、国民国家以降のアイデンティティが賭けられている。

ハン・ボヒ(延世大学)「症状としての分断―民族統一と民族の彼方における統一の間」

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〈分断〉はひとつの病いである。だとすれば、それは誰の病いであり、それが治療されればその主体は「国民国家」になるのか? この問いの下に朝鮮半島を南北に分かつ幅2kmの〈分断線〉を考察すると、その国家の境界区分線が、半世紀のあいだ歴史の止まった「無人の非武装地帯」となっており、そこでは人間の時間がなくただ自然の時間だけが流れている、ととりあえずは言える。だが、実際にその「無人の非武装地帯」には、双方の停戦協定違反による軍事基地があり、双方の秘密工作員が暗号を使って徘徊し、また大量の地雷が地面の下に埋まっている。逆説的なことに、その幅2kmの〈分断線〉=「非武装地帯」は、「主権の外」の「例外状況」(シュミット/アガンベン)にある。

 しかしその例外状況は、1948年の分断国家成立と1950年の朝鮮戦争のトラウマなのではなく、1894年の東学戦争(甲午戦争=内乱であると同時に日清戦争の発端)のトラウマの表出である。「反封建主義/反帝国主義」の闘いと言われたこの戦争は、主権国家(日本国家)と非主権(朝鮮農民)との戦争であり、それ以降、ベンヤミンの言うところの歴史の流れが止まった「非歴史としての現在」にある(1848年の反革命以来)。だとすると、〈分断〉の対極にある〈統一〉とは、「一つの国民」になることを意味するのではなく、「権力が無数に引いてきた分断線」を除去することで立ち現れる、民族を超えた「われわれ」を意味する。

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 明治維新以来の日本国家の一世紀半の歴史は、疑いなく最初から朝鮮半島を含む東アジア地域における暴力をともなっていたし、ヨーロッパ・中東地域の国家の生成=分断の歴史とも共鳴している。ハン・ボヒさんとのセッションによって改めてその認識を深めることができた。また1948年の南北朝鮮の分断国家の成立とイスラエル建国およびパレスチナ人の難民化が同じ年であるということは、たんなる偶然の一致ではない。いずれもが第二次世界大戦という帝国主義戦争の清算過程で起きた不条理であり、また朝鮮半島の〈分断線〉は、日本の降伏がほんの数日前後しただけで、朝鮮半島には生じなかった可能性、あるいは日本列島の内部に引かれていた可能性が、かなり高い蓋然性において言える。その〈分断線〉は、歴史哲学のなかでは、「われわれ」のものでもあるのだ。

(以上、文責:早尾貴紀)

 各セッションの発表後行なわれた質疑応答では、個々の発表のさまざまな論点について多くの質問があった。出席者のみなさんの積極的な参加には多くの示唆を受けた。日本側参加者一同からの深い感謝の気持ちをここに記しておきたい。昨年12月にすでに本拠点リーダーの小林康夫氏が延世大学で講演をおこなっており、今回実施されたのは若手を中心とした学術交流である。異なる世代の知的交流を介して、今後も共同作業が継続されることになる。

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