【現地報告@ソウル】大学の外―人文学にとって現場とは何か
早朝、早尾貴紀、森田團、大竹弘二(UTCP)、國分功一郎(高崎経済大学)とともに飛行機に乗り込み、ソウルに向かう。ソウルの気温は思った以上に穏やかで寒さを感じない程度だ。到着後、明日開催されるワークショップの打ち合わせのために「研究空間スユ+ノモ」を訪問した。
研究者の知的共同体「スユ+ノモ」の独創的な挑戦に関しては、すでに昨年夏のブログ報告に掲載した。コ・ビョンゴン、イ・ジンギョンさんら懐かしい顔が出迎えてくれ、施設内のカフェでひとしきり談笑した。
私たちが話し合っていると、日本語を話す人もそうでない人も、知らない間にいろいろな人が寄ってきて傍に腰かけ、次第に話の輪が広がっていった。私たちは彼らに通訳の仕事しか依頼していなかったのだが、すでに発表原稿4本を翻訳してくれていて、とてもありがたく感じた。
2週間前、ブランショ研究者のPark Joon-Sangとパリで出会った。「来月ソウルに来るならば、自分が運営しているAcademy of Philosophy (通称Acaphilo)を訪問してほしい」、ということで「スユ+ノモ」の後で訪れてみた。
Acaphiloは「哲学の大衆化」を目指して2000年にソウル市内に創設された私的な研究教育組織である。講義料は一年120万ウォン(12万円程度)で好きなだけ講義を受けられる。今学期(全8週)は32の入門・専門講座と8つの語学講座が開講されている。ネット上での論文や映像視聴サーヴィスを受けられるネット会員や生涯会員の枠もある。Acaphiloの目的は「開かれた討論の広場」を提供することだ。土曜フォーラムでは映画上映や小説家の講演などの催事も開催されており、将来的には哲学図書館、哲学書店などの創設を構想しているという。
韓国では大学アカデミズムを指して「制度圏」という表現が用いられ、「スユ+ノモ」やAcaphiloはその外に創設された研究教育の現場である。訪問した私たちが即座に思ったことは、何故このようなことが可能なのか、という問いだ。日本でこのような研究者の施設を構想し実現することは困難であるように思えるが、その違いは何だろうか。韓国では日本以上に大学院での高学歴ワーキングプア問題が深刻だからだろうか。80年代の社会運動の余熱のなかで学問的アクティヴィズムの力が残存しているからだろうか。
明日、ソウルは底冷えがするほどの寒さとなる模様だ。「スユ+ノモ」とUTCPが共催するワークショップのタイトルは「人文学にとって現場とは何か」である。
(文責:西山雄二)