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時の彩り(つれづれ、草) 057

2009.01.15 小林康夫

☆ BESETOカンフェランス

2009年10日・11日の2日間行われたBESETOの国際学会も快晴にめぐまれて無事終了。

よかった、ということになるが、わたしとしては、中国韓国の学生たちに比べても、日本の学生の「沈黙」が気になったことを言っておこう。

学会は研究の共同体である。それが共同体になるためには、相互的な応答がなければならない。そのためには他人の発表を自分の問題として受けとめて「応答する」という責任が課せられる。そのことをどのくらい自分で果たしたのか、よく反省してみてほしい。自分が一方的に発表して、そこでもう「終わった」と思っている人は、実は、「共同体」には参加していないのだ。

自分が「共同体」をつくるのではなくて、「共同体」に「甘えて」、そこで自分の発表だけを許容してもらう、という、日本の(?)悪しき旧習からもう自由になってもいいのではないか(もっとも「ないものねだり」の、あるいは単なる主観的印象や連想ゲームの質問やコメントも困ったものだが)。

自分の当面の研究以外に、他人の発表には「応答できない」というのなら、それは共同体の構成員である資格がない。あとのレセプションのときにフルマーさんが言っていたように、それこそが「研究のパッション」のはず。わたしとしては、UTCPはそういった人文学の自閉的閉塞を打ち破る装置としてあるのだと思っているので、あえて今回は苦言を。

こうして2日間が「ひとり語り」の集積になりかかっていることに苛立って、いちばん最後のクロージングの挨拶が回ってきたのを利用して、わたしとしては少なくとも「応答責任」を果たすというパフォーマンスをしないわけにはいかなくなったのだが、そのことは翌日に『未来』誌に連載中の「思考のパルティータ」(本サイト上の『哲学の樹』)に書いてしまったので、同時にアップロードするのでそれをお読みください(⇒こちらからどうぞ)。数分の応答だったので言い足りていなかったことも多少、書き込んであります。


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