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時の彩り(つれづれ、草) 056

2009.01.08 小林康夫

☆ 詩(ナイシュタットさんへ)

昨年、ナイシュタットさんからスペイン語で書かれた詩をいただいた話をしましたが、その返礼にとこの新年、約束通りフランス語で詩的な(?)文章を書いてかれに送りました。

新しい年があけて、晴天、わたしの家の窓越しに遠く富士山が見えるというところからはじまって、昨年さまよったアンデスの岩の山並みを思い出しながら、その「追われ、追い払われ、忘れられた古代の神々」のことを夢みるように思っていると、「苦しまなければならない」il faut souffrir という言葉が天から降ってくる……というテクスト。

たいしたものではありませんが、ナイシュタットさんからはすぐに「とっても繊細な感受性、深く実存的で謎めいて」というお褒めの言葉とともに「とても感動しました」というお礼が返って来て、同時に、2010年には「政治の意味」をめぐって大きな国際シンポジウムを企画している、と。そうなると、また、ブエノスアイレスに行くことになるのかしら?

一方、パリのドミニック・レステルさんからも新年の挨拶とともに最近、発表した英語の講演原稿が送られてきた。昨年の友情に満ちた交流は引き続き発展しそう。となると、今年もまた疾風怒涛なのか、と少しうろたえるわたしである。


☆ Ravel

年末年始、若いときからそうだが、音楽を聴いている時間が多かった。予告したように「魔笛」も観た!が、Gubaidulina(なんともおそろしい「In tempus prasens」!)、Steve Reich、武満徹、もちろんChopinほかの定番もだが、今回は、とりわけRavel!

――というのも、11月にパリで買ってきたル・クレジオの小説『Ritournelle de la faim』(2008年)の最後のページに、著者の母親があの「ボレロ」の初演を聴いていたという記述が出てきて、「かれ(クロード・レヴィ=ストロース)の場合と同じなのだが、その音楽が自分の人生をすっかり変えてしまったのだ、とずっと後になって母さんはわたしに打ち明けてくれたのだ」と来るのである。ル・クレジオは言う、「ボレロはほかと同じ音楽作品なのではない。それは予言なのだ。それは怒りと餓えの歴史を語っているのだ」と。

もうひとつそのとき同時に買った本があって、こっちは2006年の出版だが、Jean Echenoz の「Ravel」。帰りの飛行機のなかであらかた読んでしまったが、作曲家の晩年を描いた小説。そこでは、ボレロの演奏に対して「クレージー」と叫ぶ老婦人を見て、ラヴェルが頭をふって「少なくともひとりはわかってくれた人がいたんだ」と言ったという話も出てくる。

なお、ボレロの初演は、1928年11月22日、オペラ座。イダ・ルービンシュタインが踊った。わたし自身にとっては、1980年頃だったか、パリ周縁のどこか体育館(だったはず?)で、モーリス・ベジャールの振り付けを観たのが忘れられない。なにしろ踊ったのはジョージ・ドンだった!!その後しばらくは毎日、わがアパルトマンで、(もちろん上半身裸で)わたしもボレロを踊っていたのである!(クレージー!)

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