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和解論批判——イラン・パペの「橋渡しのナラティヴ」から学ぶ

2008.10.19 早尾貴紀, 出版物

 日本の戦争責任資料センターで出している雑誌『季刊 戦争責任研究』の最新号61号に、早尾貴紀「「和解」論批判——イラン・パペ「橋渡しのナラティヴ」から学ぶ」を掲載しました。

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 内容は、UTCPで招いたイラン・パペ氏の講演集『イラン・パペ、パレスチナを語る――民族浄化」から「橋渡しのナラティヴ」へ』(つげ書房新社、2008年)を参照しながら、朴裕河氏の『和解のために』やそれを礼讃する日本の知識人や朝日新聞などで流行っている日韓和解論(やそれに代表される戦後和解論)を批判するものです。
 もちろん、「共生」のために「戦後和解」は必要でしょう。しかし、はじめに和解ありきという現在の趨勢は、和解の押しつけという暴力の様相さえ呈しています。

 そもそも、「日本と韓国が対立している」、「日本と韓国は鏡写しのナショナリズムで反発している」という単純な構図を捏造しつつ、それに立脚した和解論を提示するなど、責任を回避するための議論ではないでしょうか? 日本と韓国はお互いに「対立」しているのでしょうか? 日本と韓国はどちらも同じナショナリズムの主張をしているのでしょうか?

 この問題を冷静に考えるためにも、いったん距離をおいて、イスラエル/パレスチナのケースを参照しましょう。
 新聞やテレビなどで繰り返される、「憎悪の連鎖」「テロと報復の悪循環」という単純化された表象は、「占領」の問題、あっとうてきな支配/被支配の非対称的な関係を隠蔽しています。それだけではありません。そもそも、根源には、「ユダヤ人国家イスラエル」を建国するために、パレスチナの地を、その先住民もろとも、暴力や政治力でもって占領し植民地化したという歴史的事実があります。
 そのことを、実証史家であるイラン・パペ氏(イスラエルのユダヤ人でありながら、国家の正史を批判するニューヒストリアン)は、徹底的に事実検証し、その暴力性を白日のもとにさらしました。
 さらにパペ氏は、そこからさまざまな歴史認識論争に批判的に論及しつつ、「橋渡しのナラティヴ」の構築という歴史実践を提案しました。たんに「お互いのナショナリズムを捨てましょう」とかいう形式的・抽象的な提案ではありません。それでは単なる相対化に陥ります。
 そうではなく、民衆史の観点から、つまり、国家や政体といった枠からではなく、人びとの視点から、パレスチナ人の具体的な歴史的経験とユダヤ人の具体的な歴史的経験を共有するための歴史認識・歴史叙述について、イスラエル/パレスチナの歴史家たちで身を切る思いをしながら討論していくということを試みています。

「和解」というと、すぐに「どっちもどっち」、あるいは、「どちらも越えて」という形に短絡されてしまいます。『季刊戦争責任研究』の拙論では、そういった単純化を排した実証史家イラン・パペ氏の歴史認識論、歴史学実践を手掛かりにしつつ、「和解」論議を根本的に批判してみました。パペ氏の講演集ともどもご一読を。

(文責:早尾貴紀)

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