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【UTCP Juventus】平倉圭

2008.08.09 平倉圭, UTCP Juventus

映画と近現代美術の研究をしています。関心の中心は、「作品」や「イメージ」(と呼ばれる諸要素の不確定なまとまり)の構成原理を内在的に明らかにすること。それを通して、線形言語による「思考」とは異なる、イメージによる「思考」の可能性を考えることが探求の大きな目的です。

探求は、理論的分析と制作という2つのレベルでおこなっています。


1 理論的分析

1-1 ゴダール研究

仏/スイスの映画監督ジャン=リュック・ゴダール(1930-)の、デビューから現在に至る作品を対象として研究をおこなっています。ゴダールは映画を「思考するフォルム」と呼びますが、その「思考」のありかたを、同時に展開する複数の音‐映像の組織化という観点から分析することが主眼です。研究の方法的な特徴は、(他人の映画をカットアップ・リミックスして自分の映画をつくりあげる)ゴダール自身の方法でゴダールを分析すること、つまり「映画を編集台で分析すること」にあります。本研究は、博士論文「ジャン=リュック・ゴダール論」として本年度中にまとめあげる予定です。

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分析のためのダイアグラム(『右側に気をつけろ』(ゴダール監督、1987))

【参考】
ゴダール的連結と「正しさ」の問題」、『表象文化論研究』、第3号、2004、pp.94-114.
ダイアグラム的類似――ジャン=リュック・ゴダールにおける形態の思考」、『UTCP研究論集』、vol.6、2006、pp.71-92.
《ゴダール・システム》 1 / 2 / 3 (ビデオ・レクチャー、2007)


1-2 近現代美術研究

現在までに、ディエゴ・ベラスケス(「ベラスケスと顔の先触れ」、『美術史の7つの顔』、未來社、2005)、パブロ・ピカソ(「斬首、テーブル、反‐光学――ピカソ《アヴィニョンの娘たち》」、『美術史の7つの顔』)、アンリ・マティス(「マティスの布置――見えないものを描く」、『ディスポジション――配置としての世界』、現代企画室、2008)など、おもに西洋近代絵画の分析をおこなってきました。

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ピカソ《アヴィニョンの娘たち》の制作過程に現れる「斬首」の分析(『美術史の7つの顔』)

分析に共通するのは、制作の技術的なプロセスに注目し、画面を諸要素にいったん解体した上で、その布置を成り立たせる原理を内在的に再構成していくというアプローチです。そうすることで、ひとつの作品がその作品へと「突き抜ける」という事態を、マテリアルなレベルでつかまえたいと考えています。現在、UTCP短期教育プログラム「現代芸術研究」をRA研究員の荒川徹さんとともに主宰し、1960年代以降のおもにアメリカの美術の分析を進めています。


2 制作

美術家として、インスタレーションを中心とする作品の発表をおこなってきました。2つの作品に絞ってご紹介します。

2-1 《はい/いいえ》(2001)

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現代美術2001NAGOYA」に出品(共同制作:さとうゆき)した本作は、(1) 壁面のドローイング、(2) 天井から吊られた布+テクスト、(3) 床に敷かれたラバーシート、(4) スピーカーから鳴るささやき声、の4要素からなり、そのあいだを、(5) ライトをつけた自転車と三輪車に乗った観者が走り回るというものです。

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ドローイング、自転車の移動、ライトの軌跡などがつくりだす複数のパターンに包囲された環境において、経験がどのように分解‐再合成されるのかを探求しようと考えていました。


2-2 《テキスト、山、準‐部分(Text, Heap, Quasi-parts)》(2005)

Variations on a Silence――リサイクル工場の現代芸術」に出品。OA機器などを金属用の巨大シュレッダーにかけ、粉々のマテリアルとして再出荷(=リサイクル)する企業の工場内部で展示された本作は、(1) シュレッダーにかけられる金属の山の一部をつかみ、それを地面に落としてはまた山に戻す動作を続ける2台の重機(中央)、(2) 銀行のATMを分解するマルチ解体車(右)、(3) (1)(2)の映像を見ながら私がタイプした思考過程をリアルタイムで映し出すテキスト画面(左)、の3つの映像からなります。

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本作が問うのは、ひとつの商品の「フォルム」がばらばら・粉々に砕かれて選別され、金や銅などの粒子化した「マテリアル」として再出荷されるという、現代の資本主義経済が、物質/形相の境界ともっともラディカルに絡み合う場面を、人は「見る」ことができるのか(商品のフォルムの崩壊を人は経験することができるのか)、ということです。

中央の2台の重機の動きは、私が「振付」をし、工場で重機を操作する方々に20分にわたって「演じて」いただいたものですが、そこでは人間的知覚を超える量の物質と交渉する「ダンス」とはいったいどのようなものか、ということも問うていました。

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本作のタイトルは、アメリカの美術家ロバート・スミッソン(1938-1973)の2つのテキスト/ドローイング、"Quasi-Infinities and the Waning of Space"(1966) と、A Heap of Language (1966) を遠く参照するものですが、この問題は1-2とあわせて、ゴダール論以降にさらなる展開を考えています。


平倉圭メンバーページ:/members/data/hirakura_kei/
平倉圭ウェブサイト:http://hirakurakei.com/

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