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報告 「世俗化・宗教・国家」セッション2

2008.06.03 世俗化・宗教・国家

5月26日、「共生のための国際哲学教育研究セミナーI」第二回セミナーが開かれた。

前回の第一回セミナーにつづいて、今回の第二回セミナーも「世俗化・宗教・国家」についての用語や概念の整理を行うとともに、議論のたたき台となる基礎的知識の獲得を目的として、哲学、歴史学、地域研究など、それぞれの立場や分野から活発な議論が展開された。

第二回セミナーにおいて用いられたテキストは以下の二点である。
深澤英隆、「「宗教」の生誕-近代宗教」、岩波講座宗教1『宗教とはなにか』、岩波書店、2003
(報告者:鈴木優理亜 地域文化研究専攻M1)
磯前順一、「近代における宗教概念の形成過程」、岩波講座近代日本の文化史3『近代知の成立』、2002年(報告者:溝端直毅 地域文化研究専攻M1)

深澤論文は、「宗教」という概念の誕生譚を詳細に考察したものである。そもそも古代および中世のヨーロッパにおいて「公的な儀礼行為」を意味していたreligioという語が、現在の我々が用いている「宗教religion」という性格を帯びるのは、近代以降のことであったという。著者は、このことを4つの「宗教言説のモード」を分析することによって、イギリス、フランスおよびドイツにおける事例を提示しつつ具体的にあきらかにした。報告後の議論では、羽田教授が、前近代において基本的な枠組みとなっていた宗教に対して、現在では科学がその役割を果たしているのではないか、その意味においては科学もある種の「宗教」であるということもできるのではないかというコメントがなされた。また、深澤論文においては、「宗教」の誕生について、英仏独の事例のみが記述されていた。この点について、たとえばスペインや、ギリシア正教が優越する東ヨーロッパについても検討する必要があるのではないかという意見も出された。

磯前論文は、西欧において形成された「religion」概念が、江戸末期から明治初年にかけて日本にもたらされ、「宗教」という語として定着していく過程を描き出したものである。そこでは、religionをプラクティス的なものとビリーフ的なものとに分類し、ビリーフ的なもののプラクティス的なものに対する優位が存在したことがあきらかにされた。さらに興味深いことは、すでに1889年に制定された大日本帝国憲法において、明確に政教分離が謳われているという事実である。これについては、羽田教授からも1905年に制定されたフランスのライシテ法に先立つものでその起源はどこに求められるのか、という疑問が提出された。ただし、この「政教分離」は、神道の非宗教化(道徳化)をもたらし、さらにはそれが「国民道徳」として戦前の日本に定着する遠因ともなった。また、磯前論文において「宗教」をプラクティス的なものとビリーフ的なものに分けて分析されていることの是非について、フランスの例などをとりあげつつ、活発な議論が行われた。

報告:澤井一彰

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