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【報告】UTCPワークショップ「ユダヤとイスラエルのあいだ」

2008.06.10 早尾貴紀, 勝沼聡, 國分功一郎

去る5月27日、UTCP研究員の早尾貴紀氏が今年3月に出版した著書『ユダヤとイスラエルのあいだ―――民族/国民のアポリア』をめぐるワークショップが開催された。議論は主として、UTCP研究員の勝沼聡氏、および元UTCP研究員で現在は高崎経済大学の講師をしている國分功一郎氏という二人のコメンテーターが本書に寄せた所見や疑問に対して、早尾氏が応答するという形で進行した。

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(左から、國分、早尾、勝沼氏)

 ワークショップの冒頭、議論の導入としてまず早尾氏がこの著作を執筆するに至った経緯が、氏の学問的自伝を交えて語られた。元々は近現代ヨーロッパ思想を学問上の出発点とする早尾氏は、ユダヤ・シオニズム問題の歴史的研究や中東・イスラエルの地域研究を固有の専門領域としていたわけではない。しかしながら、このことが本書に何か瑕疵を生じさせるような結果をもたらしているわけでは決してない。むしろ、早尾氏のそのような学問的出自によってこそ、イスラエル国家の建設という出来事が、ブーバー、アーレント、バーリン、ジュディス・バトラーといったヨーロッパ哲学の伝統に連なるユダヤ人思想家に与えたインパクトを追跡するという本書の独創的視座が可能になったと言うことができるだろう。

 近現代エジプト史を専門とするコメンテーターの勝沼氏からは、エジプトにおける国民国家形成についての簡明な紹介がなされた。第一次大戦後に成立したエジプト国家において西欧帝国主義諸国の経済支配を排するための諸政策と連動しつつ「エジプト国籍」が確立していく経緯についての興味深い報告を行なったうえで、氏はそれ自体極めて正当にも、ある国民国家が成立した特定の具体的・歴史的な文脈を顧慮しない国民国家批判の欠陥を指摘する。そして、早尾氏の議論が、そうした国民国家一般への脱文脈化された批判に陥る危険はないかとの疑問を提起した。

 カルチュラル・スタディーズの言説などに一部散見されるこの種の一般化された国民国家批判の陥穽については、早尾氏もまた十分に意識しているが、勝沼氏の疑念に直接応答したのは、もう一人のコメンテーターである國分氏であった。國分氏は、少なくとも早尾氏の著作に関して言えば、その国民国家批判はたしかに普遍的であるが、しかし決して脱文脈化されているわけではないと擁護した。実際、この著作は、哲学理論がユダヤ・イスラエル問題というある特異な歴史的現実に出会ったときに繰り広げられたドラマを描き出したものにほかならず、国民国家についての一般理論に還元しうるものではない。してみると、本書の前半部は、イスラエル国家やヘブライ大学の創設プロジェクトなどに見られる「普遍性と特異性のアポリア」、すなわち、ユダヤという特殊なアイデンティティに普遍性の体現を見出そうとしたユダヤ人思想家たちの「範例的単独性」の論理の究明に当てられているが、しかしある意味では、このような普遍性と特異性の交錯はいかなる場合であれ不可避であるとも言えるだろう。というのも、いかなる自己主張も自らの固有な経験に普遍化可能性を与えようとするところに成立するからであり、逆に言うと、普遍性は決してそれ自体としてではなく、ある特異な文脈に内在するかたちでしか到達できないからだ。その限りで、自らの理論を一つの歴史的文脈に埋め込まれた一回的な実践として展開しようとする者であれば、すべからく普遍性と特殊性とのこの解消不可能なアポリアに巻き込まれざるをえない。まさにこうした観点からこそ、國分氏がコメントのなかで指摘した早尾氏の「方法」、つまり、中心(ヨーロッパ哲学)と周縁(イスラエル・パレスチナ問題)との往復運動ということも捉えるべきだと思われる。

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 また、國分氏のコメントでは、現在のパレスチナ和平プロセスのなかで一つの目標とされている「二国家解決案」(いわゆるパレスチナ国家の樹立)のオルターナティヴとしての「二民族一国家(バイナショナル)構想」も問題となった。パレスチナ人を排除することのない統一国家を目指すこの構想は、政治的シオニズムの掲げる「ユダヤ人国家」に対する対抗理念とも言え、かつてブーバーやアーレントなどにその萌芽を見ながらも死産してしまったが、今日再びサイードやバトラーらによって議論の俎上に載せられている。しかし、早尾氏の著作でも指摘されているように、こうした「二民族共存一国家(バイナショナリズム)」はもっぱら欧米リベラル知識人による「知的ゲーム」であるとの批判がイスラエル国内の反シオニスト左派の論者から出されており、日本でもまた、この構想がイスラエルのパレスチナ政策に批判的な立場を取ろうとする論者たちによって過度にもてはやされるという状況が生じたことも事実である。

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 こうした状況への反省もあって、早尾氏が議論のなかで紹介したのはむしろ、ユダヤ/パレスチナというナショナリティ同士の抽象的対立に還元できないイスラエルの具体的な社会・経済問題に取り組んでいる左派グループの活動であった。実際、氏が言うように、いまやイスラエルは、「一国家解決」か「二国家解決」かという選択肢を超えるような根本的な変質を被りつつある。すでにアラブ・アフリカ・アジア各国から多数の非ユダヤ系外国人労働者を抱えている今日のイスラエル社会は、ユダヤ/パレスチナという二つのナショナリティにとどまらない多様性を帯びつつあるからだ。こうした新たな現実によって、いまやユダヤ・イスラエル問題についての理論も、かつてのユダヤ人思想家たちが直面したことのなかったような新たな挑戦を受けていると言えるのだろう。

【文責 大竹弘二】

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