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【報告】ドミニク・レステル「理性と生のあいだ」

2008.06.16 小林康夫, セミナー・講演会

6月4日(水)、パリ高等師範学校からドミニク・レステル氏をお招きし、「理性と生のあいだ」という主題のもと、レクチャーと討論が行われた。

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 これまでレステル氏は、オランウータンの「紐結び」行動のうちに潜在する数学的知性をめぐる研究や、動物・人間・人工物(ロボットや人工知能プログラムなど)のインタラクションのうちに「唯物論的友愛」の可能性を見いだす考察(D. Lestel, Les amis de mes amis, Seuil, 2007)など、狭義の「動物行動学」にはとどまらない〈横断的生態学〉のフィールドワークを行ってきたが、今回のレクチャーでは、その成果にもとづく独自の「哲学的人間学」、氏が「双構成主義 bi-constructivisme」と名づける立場についてご説明を頂いた。

 その最大のポイントは、接頭辞「bi」が示している「双方向性」である。ふつう近代科学は、存在者が一定の「本質」をもつことを前提とし、それを純粋に(自然=本性的に)抽出することを狙うが、こうした「デカルト主義的実在論」の知は、存在者が「なしうること」の限界を確かめるに止まり、この(自己の)限界、有限性が、実のところ「他者」との出会いにおいて多様な効果=結果(effet)を「創発しうること」をポジティヴに考察することができない。「デカルト主義的実在論」からは演繹できず、フィールドワークの襞においてのみ救い出される〈有限性の他なる効果=結果〉、ドゥルーズ+ガタリ風に言いかえるなら〈有限性の輪郭を逃走線へと変形すること〉、これを扱おうとするのが「双構成主義」の立場であると言えるだろう。レステル氏によれば、今日「人間」が「なしうること」は、狩猟や家畜化といった動物との共存在において熟成してきた(D. Lestel, Les origines animales de la culture, Flammarion, 2001)。動物の有限性と人間のそれとを擦り合わせ、新しいエコノミーを「あいだ=環境 milieu」に開くプロセス——動物が「人間になる」そのとき、人間もまた「動物になる」という双方向的「生成変化 devenir」のただなかで、われわれ人間は「人間になって」きたのである。

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 「系統発生史」と「文化史」のはざまに「理性」の二重螺旋を織り上げる「生」の哲学。人間のテクノロジーに触れた動物はいかに〈創造的に不純化〉しうるのか(コンピューターゲームに長けたチンパンジーなど)、あるいは逆に「系統発生史」の諸要素はいかに人間の〈芸術・技術を不純化〉しうるのか(バイオ・アートの試みなど)?——これらレステル氏のスリリングな問い、いわば〈サイボーグ・スピノザ主義〉の信念に導かれた生態=倫理学の挑発は、まさしく「共生」のための哲学の、ひとつの有力なアプローチを具体化してくれるものであった。

(文責=千葉雅也)

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