西山雄二訳/ ジャック・デリダ『条件なき大学』―UTCPとCIPh
ジャック・デリダ『条件なき大学』が西山雄二訳により月曜社から刊行されました。訳者による長文解説「ジャック・デリダと教育」が付されています。
『条件なき大学』は1998年のスタンフォード大学での講演をもとにしたデリダ晩年の大学論です。グローバル化時代の政治・経済的状況を踏まえつつ、大学や人文学の将来をめぐってデリダ自身の教師論、職業論、労働論が披露される本書は、小著ながらも味読に値するテクストです。
この翻訳と解説執筆の作業は訳者にとってきわめて思い出深い作業となりました。それは、私が当グローバルCOE・UTCPの準備・創設に関わった時期に翻訳・執筆作業がおこなわれたからです。UTCPの目途は、人文学のグローバルな学術的競争に堪えうる研究教育を、北米・西欧・アジア、そしてイスラーム圏においてネットワーク的に構築することです。私はその準備作業に携わるなかで、大学や人文学の将来的な枠組みについて深く考えさせられました。それは、教育者であり続けたデリダが、いかにして脱構築の思想を教育としてデザインしたのか、という問いと重なるものでした。今回、編集者の寛容な理解を得て、厚かましくも訳者解説がデリダの本文とほぼ同じ分量となってしまったのはそうした衝動によるものでした。
訳者解説では、国際哲学コレージュ(CIPh : Collège internationale de Philosophie)に関する記述にはとくに力が入りました(112-122頁)。私自身、パリ留学中に国際哲学コレージュにしばしば通っていたため、また、文科省に提出されたUTCPの過去の申請書のなかにその先駆的なモデルとして国際哲学コレージュの名が挙げられていたためです。
国際哲学コレージュは、政府の依頼を受けて、デリダがフランソワ・シャトレらとともに、1983年10月10日にパリのデカルト通りに創設した研究教育機関です。産業・研究、文部、文化の三大臣の後押しを受けてはいますが、基本的にはアソシエーション法に依拠して創立されました(日本でいうところのNGOやNPO)。コレージュは、哲学のみならず、科学や芸術、文学、精神分析、政治などの諸領域の非階層的で非中心的な学術交流によって新しいタイプの哲学を可能にするという、当時としては画期的な組織でした。
(国際哲学コレージュのプログラム案内。学期に合わせて10-1月と2-7月、年2回発行される。初刷で8,000部刷られ、その内約6,000部は国内の高校哲学教員に郵送される。初刷がなくなると2刷が5,000部作成される。)
コレージュの実にユニークな理念や組織形態の詳細については訳者解説を参照していただくとして、UTCPと深く関係するコレージュの特徴を一点だけ記しておきます。それは、コレージュという組織およびその研究教育活動は固有の場所と必ずしも結びついていない、という点です。
驚くべきことに、コレージュは固有の施設を所有していません。大部分のプログラムは国民教育省が管理する建物の教室を間借りして実施され、そこに事務局も常設されています。しかし他にも、パリ第七大学の大教室や海外の大学など、至る所で授業や学術的催事はおこなわれます。大学の教員のなかには、自分が所属する大学のセミネールとコレージュのセミネールを同じ枠組みで実施する者もいて、その場合には、自分のゼミ生と一般聴衆が同じ授業を受けることになります。こうした仕組みは新参の出席者にはかなり奇妙に感じられます。
「〔教育研究制度の〕建築物に反対するとは言わぬまでも、少なくともその制約から離れて、国際哲学コレージュはその場を探し求める」(国際哲学コレージュ議定書)――つまり、コレージュは特定の建物や施設のなかで運営されたり、これに帰属することから解放されようとします。コレージュは、原則的に言えば、参加者たちが哲学的思考を希求し、互いに交流するあらゆる場で生起するとされるのです。
(国際哲学コレージュの雑誌「デカルト通り」。PUF出版から年4回刊行される。上記写真の第48号はジャック・デリダ追悼特集号。コレージュは他にも複数の冊子・叢書シリーズを刊行している。)
なるほど、哲学は大学制度のような特定の場に限定されない、という主張は、すでにシェリングにも見出されるものです。彼は『学問論』第7講において、哲学とは統一的な根源知であって、カントのように哲学部という特定の枠組みを設けるべきではないとしました。しかし、今後問われるべきは、哲学が固有の場をもつのかもたないのかという二分法ではないように思われます。
人・物・サーヴィス・知識が急速に流動するこのグローバル化の時代に、こうした研究教育と場所の問いはさらに重要性を増しています。UTCPは研究者同士の国際的なネットワークを研究教育の両面においてラディカルに深化させることを指針としていますが、そのためにはこうした問いを考慮しないわけにはいきません。
研究教育の固有の場を欠いたまま、しかし、数々の学術的な交流と出来事の連鎖を通じて研究教育が積み重ねられていく、そのような実践形態をあくまでも制度としてデザインすること――現在、問われているのはこのことではないでしょうか。少なくともUTCPとCIPhはともに、そのような制度の可動的な余白として機能することを使命としています。
「不動の理論的-制度的装置としての哲学の内にも、しかじかの知の内にも安住しない国際哲学コレージュのために、私たちが望んでいるものは、「誰かを行動に駆り立てる」可動的なスタイルである。スタイルとリズムが多様化することで、コレージュにおいては、危険を孕んだ実験的イニシアティヴに、ある場所から別の場所への挑発的な侵入に最大限の便宜が図られることになるだろう。」(国際哲学コレージュ議定書)
(国際哲学コレージュでのシンポジウム「ジャン=リュック・ナンシー あらゆる方向の意味」〔2002年1月18‐19日〕。上記写真はデリダとナンシーによる討論。討論原稿の日本語訳は『水声通信』第10および11号〔2006年8および9月号〕に所収。)
UTCPはこれまで、国際哲学コレージュの歴代の議長、フランソワ・ジュリアン、フランソワ・ヌーデルマン、ブリュノ・クレマンと研究交流を重ねてきました(2007年10月からの新議長はエヴリヌ・グロスマン)。また、コレージュでフォーラム「哲学と教育」を2度開催しました(2006年11月8日および2008年1月8日)。そして、小林康夫・拠点リーダーがコレージュのcorrespondant(海外メンバー)となることもほぼ決定しています。
いかなる枠組みで、誰と共に、いかなる言語で、いったい何が、人文学になおも可能なのか――今後もUTCPとコレージュの共同作業を通じて、参加者の皆さんと共に模索したいと考えています。
(文責:西山雄二)