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【報告】二言語都市ハイファにおける共生の(不)可能性

2008.02.02 小林康夫, 早尾貴紀, セミナー・講演会

 カイス・フィッロさん(イスラエル・ハイファ大学、中東史学部教授)は、1月28日にUTCPで講演をおこなった後、31日までの四日連続の研究会を終えて、2月1日に帰国しました。

 四日連続の研究会であったにもかかわらず、毎日午前中から、個人的な研究指導にも当たり、毎日の講演・質疑のあとも懇親会で熱い議論を続け、ホテルに戻るのは毎晩11時を過ぎていました。そのあいだにフィッロさんが示された博覧強記ぶりもさながら、どんな質問にも真正面から立ち向かう姿勢、そして研究への情熱には、知識以上の刺激をいただきました。

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 個人的な研究指導というのは、フィッロさんと同じアラブでムスリムのドルーズ派でありながら、国境に分断された隣国レバノン出身の大学院生に対して行なっていました。イスラエルとレバノンの関係から、イスラエル国籍のフィッロさんはレバノンに入国できず、レバノンからの留学生である彼女はイスラエルに入ってフィッロさんの指導を受けることができない。自らドルーズでありドルーズ研究でいちばん重要な研究者はフィッロさんなのですが、相互に行き来ができないのです。
 そういうなかで、では日本で会うことは可能ではないかと、研究会で招聘しました。空いている時間は、個人的な研究指導に充てたり、あるいは懇親会のなかでも機会あるごとに、フィッロ氏は彼女に熱く語りかけていました。
 その姿を、小林康夫さんは「祖父が孫娘に伝えようという感じだ」と形容していましたが、名言だと思いました。それが月曜の晩のことでしたが、その後も空いている時間を見つけては惜しみなく、ありとあらゆる角度からドルーズについて語り続けていました。

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 イスラエル建国、レバノン建国、シリア建国によってドルーズは分断されてしまいましたが、それ以前のドルーズは、お互いの往来があり、また移住もありました。フィッロさんの祖先も300年もさかのぼればレバノン地方にルーツがあるそうで、また研究会と懇親会に参加した別の在日レバノン人のドルーズの男性は、400年ほど前にパレスチナ地方から移住してきたとのこと。
 国境に分断され、国民国家システムのなかでマイノリティとして扱われたドルーズの社会経済は、文化は、アイデンティティは、これからどうなるのか。たんに研究上の問題にとどまらず、実存的な問題でもあり、フィッロさんと二人の若いドルーズは、熱い会話を重ねていました。

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 討議、懇親会、プライベートでの会話で、フィッロさんから次々と言及されたのは、中東の歴史や地域研究に関する名前だけではなく、ヨーロッパの哲学者と歴史家と社会科学者たちでした。
 フィッロ氏は、18世紀からのフランス・レバノン間の交易関係を中心に、産業革命史から研究経歴を始めており、また歴史認識論の関心から「思想史」の講座も担当。「歴史家はすべての人文学に通じていなければならない」を信条に、ヨーロッパと中東の両方を含む広い地中海世界を背景に、政治・経済・文化・思想など多面的に論じながら、「歴史家」としてブレのない話を展開していました。驚嘆すべき知性だと思いました。
 翻って、自分もまた、まだまだ「孫」ぐらいの小ささなのだと痛感しました。受けた刺激を糧にしなければと思います。

「今度はハイファで、あるいは東京で、また会いましょう」との言葉をフィッロさんは残していきました。ぜひぜひそういう機会ができることを強く願っています。(文責:早尾貴紀)

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