時の彩り(つれづれ、草) 021
☆ Work-Salon in MOT(川俣正[通路])
先日、東京都現代美術館に出かけていったら(ここでも外部評価委員なのです)、2月9日(土)からはじまる展覧会の準備中の川俣正さんも来ていらして、直島のスタンダード2展以来の再会を喜んだのだが、今度の展覧会は「通路」なのだそうで、通路が作品という仕掛けらしい。その「通路」内でゼミをやらない?という挑発というか誘惑というか。
それもおもしろいとこちらも江戸っ子的軽さで応えて、「通路」と言えばパッサージュにしろ、あの魅惑的な「一方通行路」にしろ、ベンヤミンだ、ということになって、それはちょうどUTCPのわたしのプログラム「時代と無意識」の次の展開はベンヤミンと決めていたことにぴったり。
で、「通路」での「通路」についてのゼミということになった。おそらく川俣さんも出席してくれるはず。ベンヤミンから現代にどのような通行路の線を引くのか?――芸術と政治のあいだで、いや、その「あいだ」すら解体させつつ「通路」を開くこと。そんなことをともに考えたい。
★川俣正[通路]オフィシャルサイト:
http://www.kawamata.mot-art-museum.jp/
★UTCPワークサロン(in 川俣正[通路])
「共生的通路論――ベンヤミンをめぐるセミナー」:
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/from/events/2008/02/utcp_6/
☆ インターナショナル(西川正雄先生のこと)
先日のデリダ『マルクスの亡霊たち』をめぐる討論会の司会をつとめながら、その本でデリダのある種の「希望」の表現である「インターナショナル」という言葉を聞くたびに、わたしは密かに、そういえばかつて駒場の学生だった頃、――つまり1970年前後ですね――西川正雄先生のゼミに出て「第4インターナショナル」について1年ほど勉強したことをぼんやり思い出していた。もちろん、はっきり覚えていることはなにもないのだが、第4インターという歴史的現象を丹念に追うゼミだったという記憶がある。歴史というものの感覚のなにかをわたしはそこで学んだような気がする。
そうしたら、一昨日のことだったか、新聞に先生の訃報。ゼミに出たというだけでそれ以上の思い出はまったくないのだが、それでも、いまわたしがこのようにあるということのなかには、先生のゼミに出たこともいくばくかあるなあ、と乾いた感慨が風のように通りすぎていく。その感慨――それは「自分は学んだ」という懐かしさと結びついているのだが――をここに記しとどめておく。
「わたしは学んだ」と言うことができることがどんなに幸せなことか、きっと若い人たちには分からないだろうと思う。わたしだって、この歳になってはじめて、そのありがたさがちょっと分かるようになったと思うだけなので。