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【報告】UTCPワークサロン「ニーチェと時代 ― 詩と踊り、軽さと名声 ―」

2007.12.13 時代と無意識

 2007 年12月11日、今回は、『快速リーディング〈1〉ニーチェ』(筑摩書房)の著作もある杉橋陽一・東京大学教授をお招きし、「ニーチェと時代」を巡る一つの講話(それは「講義」ではなく、まさにこの語が相応しいものであった)を聴かせていただくことになった。

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 杉橋教授が先ず注目するのは、ニーチェの詩人としての側面である。少年時代のニーチェはギムナジウムの教程でもあった詩作において抜群の才を示しており、その後古典文献学者としてのキャリアを積むなかで詩からは一時遠ざかるのだが、やがて大学を辞して著作家として活動するようになると、その詩才が再び大きな役割を担うことになる。そしてその際ニーチェの意識を常に捉えていたのが、ゲーテという前世代の巨人だったのである。杉橋教授は、『悦ばしき智識』に含まれる多くの詩の細部、つまり語句の選択、あるいは響きとリズムの背後に、ゲーテの諸作品への応答を見出す。同時代にあっても、ブルクハルトなど極少数の鋭敏な人々を除いてこのことは気付かれていなかった。その詳細は口外無用ということでもあり(もちろん冗談でおっしゃっているのだが)、今後まとまった仕事として公にされることと思うが、教授はこの一種のパロディの内に、自ら「次のゲーテ」たらんとするニーチェの意欲が現れているという。また、ニーチェは詩のアクセント・リズムのパターンを図にしたものを残しており、リズムの拘束のもとで自由に「踊る」ことが彼にとっての詩の最も中心的な可能性だったのではないか、そしてニーチェがあらゆる「価値と時代の重力」から逃れて飛翔しうる「軽さ」を獲得するのはやはり詩からだったのではないか、という見通しが示された。
 これに対して小林リーダーは、だとすればニーチェの軽さが行き着く先は晩年の彼が実際にそうしたように「裸で踊ること」でしかありえないだろう、とコメントし、杉橋教授もそれを肯定された。しかしそれは私たちが引き受けるには余りに過酷な「軽さ」だと言わざるをえない。そこでもう一つの鍵として教授が示唆されたのが、「名声」である。ニーチェは、一方で世俗的・同時代的な名声を蔑み拒絶するような文章を書く一方で、名声のみが時代の拘束を離れた永遠性を可能にする、と見なしていたようにも思われる。恐らく、その時「ゲーテ」という名前はニーチェにとって最も現実的なモデルであったのだろう。 
 洋の東西を問わず、歴史に名を残すことに文字通り命を賭けた人々は数知れない。時代と切り結ぶ「名前」がいよいよ稀少になりつつある現在、このことの意味を問い直すこともまた私たちの一つの課題となるだろう。そしてこの問いは、「書くこと」あるいは「創ること」の可能性への問いと不可分なのである。
(文責:串田純一)

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