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【報告】迷走する「ユダヤ人国家」のいま

2007.12.05 早尾貴紀, 時代と無意識

12月4日、早尾貴紀 (UTCP研究員)による報告「迷走する「ユダヤ人国家」のいま――パレスチナ/イスラエル、分割の(不)可能性」がおこなわれた。

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希望の原理

 1981年に創刊された『パレスチナ研究誌〔Revue d’Etudes Palestiniennes〕』第一号巻頭の宣言文には、「我々は他の民族と同様の一民族なのだ〔un peuple comme les autres〕」という一文が読まれる。哲学者ジル・ドゥルーズは、同誌の主筆であったエリアス・サンバールとの対談で、この一文を解釈しながら、イスラエルの宣言があるとすれば、それはいわば、自分たちが受けた法外な迫害を盾に取ってなされた宣言、「我々は他の民族と同様の民族なのではない〔nous ne sommes pas un peuple comme les autres〕」「規範外の民族である」という宣言なのだと述べている( « Les indiens de Palestine », in Gilles Deleuze, Deux regimes de fous, Minuit, 2003, p.183)。対談が行われたのは1982年のことである。
 六〇年代以降、パレスチナに対する左派の支持が世間を圧倒するとともに消沈していき、最近では、ナチスの強制収容所を巡る「表象不可能性」の議論が雄弁に語られた日本にあっては、「他の民族と同様の一民族である」と「他の民族と同様の民族ではない」というこの対立図式は、まだ通用しうるものと思われてしまうかもしれない。だが、それでは到底つかまえきれない現実が、イスラエルという国家の中で進行していることを、実に明快に教えてくれたのが、今回の早尾貴紀氏の講演である。

 氏は、今回の三週間に及ぶイスラエル滞在(2007年10月22日~11月9日)の間に撮影した写真約100枚をスクリーンに映し出しながら、約二時間に渡り、「迷走する「ユダヤ人国家」のいま」を語った。1947年の国連パレスチナ分割決議以降のこの土地の歴史を概観するところから始められた講演は、非専門家にも分かり易い啓蒙的なイントロダクションであったと同時に、現地に赴くことによって初めて得られる情報に満ちあふれた珠玉の内容だった。話題は、分断壁から食べ物まで多岐に及んだのだが、ここでは次の四点に絞ってその内容を紹介したい。

1)イスラエルの人口構成の変化
2)分断壁
3)Picture Balataの活動
4)左派グループによるオリーブ収穫支援活動

1)筆者のようなイスラエルの専門家でない者には、「イスラエルにはユダヤ人とパレスチナ人が住んでおり、その間で激しい争いが起こっている」という漠然としたイメージがあるのではないか。そのイメージはどうやら完全に間違いではないのだが、そこで「ユダヤ人」がいったい何を指しているのか、もはや同国自身が明確な答えを出せずにいるようである。
 かつてユダヤ“人”は存在せず、ユダヤ“教徒”がいるだけだった。後者を前者へと変身させたのは、反ユダヤ主義の人種理論である。だが、ユダヤ人という概念は、その後、ユダヤ人によって逆に利用されるところとなり、それが現在の「ユダヤ人国家」という観念にまで至っている。
 その国家は、パレスチナ人がもともと住んでいた土地の上に作られたものであり、それ故に、多くのパレスチナ難民を生み出すとともに、内部にパレスチナ系住民を抱え込んだ。イスラエルは帰還法によって世界各地から「ユダヤ人」を集めてきたのだが、それも頭打ちになる。対し、パレスチナ系住民は人口増加率が高く、放っておけば、「ユダヤ人国家」はパレスチナ系住民によって圧倒される。そこでイスラエルは、相当な無理な解釈をして、現在、「ユダヤ人」を集めているようである。
 早尾氏の報告するところによれば、90年代以降、猛スピードで増加したのが旧ソ連邦より渡来したロシア系住民である。町の求人・不動産物件・不要品売買等々の広告には、ロシア語が溢れている。実際には彼らの半数がクリスチャンなのだという。またそのうちの半分は、移民後もユダヤ教に改宗せず、ヘブライ語の学習にも熱心ではないという。
 また、いわゆるユダヤ教を信仰しているわけでもないのだが、神話に基づいて旧約聖書を大切にしているという理由から、エチオピアの「ユダヤ教徒」(ユダヤ人?)が、両国政府間の取引によって多く受けいれられている(とはいえ、ロシア人は白人だから容易に受けいれられ、エチオピア人は黒人だから容易には受けいれられないというレイシズムも垣間見られるのだという。エチオピアからは、現在、イスラエルの総人口に匹敵する数の人から移民申請がなされているそうだが、それらの全てが受けいれられるわけではない)。
 更に、これまで安い労働力としてパレスチナ人を利用してきたイスラエルは、彼らを労働力として使うことすら放棄してきたため、彼らに代わって、現在では、東南アジアからの出稼ぎ労働者が多く受けいれられている。彼らの二世が当地で誕生しており、国籍を巡り大きな論争が起きているという。「ユダヤ人国家」で生まれ、ヘブライ語を話す彼らは何人なのか。
 イスラエルは今、確実に人口構成、社会構成が変化している。しかも、それが「ユダヤ人」の優位を確保するための無理矢理な政策と解釈に基づいて起こっている。「ユダヤ人国家」イスラエルにおいてこそ、「ユダヤ人」とは誰なのかが分からなくなっているというべきではないだろうか。

2)イスラエル国家を縫うように建設されている分断壁については、日本においてすらも多少の報道があったが、それにしても、その実物の写真を見て、壁がもたらす諸問題の話を聞くと、怒りを通り越して悲しくなってくると言わねばならない。

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 分断壁の建設は入植地とパレスチナ人居住区を隔てるものでもないらしい。出席者の多くが驚いたのは、オリーブ畑の真ん中に分断壁が建設された例、そして、農家とオリーブ畑の間に分断壁が建設された例である。農家は収穫もできない。許可を取って壁を越えろ、と政府は言うそうだが、許可はなかなかおりない。許可がとれても壁を越えられるのは一週間に一日。こんな理不尽な話が、現代、とある国家で実際に起こっているのだ。
 分断壁は、二メートルほどの幅、十メートル弱の高さからなるコンクリート性の分厚い板を並べることで建設されている。筆者の友人がそれを見て、「いかにも大量生産品」と述べたが、まさに、この壁は、大量生産品としての、不気味な醜悪さを醸し出している。

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 壁は、しかし、この大量生産品によってのみ作られているわけではない。イスラエル南部の都市、ヘブロンにあるイブラヒーム・モスクは、イブラヒームすなわちアブラハムの遺骸が眠る聖なる寺院である。1994年にその中で銃の乱射事件が起こり、29人のパレスチナ人が殺されて以来、同寺院は壁によって内部を分断され、ムスリム用の入り口、ユダヤ教徒用の入り口が別々になっている。

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 イブラヒームすなわちアブラハムは、イスラームにとっても、ユダヤ教にとっても聖なる預言者であるわけだが、その身体が、壁によって分断されているのである。これほど、いまのイスラエルの状況を見事に象徴している事態があるだろうかと早尾氏は語っていた。

3)前途の見えない状況のなかでも、しかし、大変細々とではあるが、いくつかの注目するべき活動が行われていることを早尾氏は伝えてくれた。そのひとつが、Picture Balataの活動である。
 フォトジャーナリストを目指す学生によって始められたこの活動は、パレスチナ難民キャンプの絶望的な状況の中で生きる子供たちに、カメラを与え、文を書かせて、自己表現の場を与えるという活動である。早尾氏はその写真のパネル展示会も日本で開催している。
 自爆テロを行うのは、ほとんどが十代の若者であるという。過激な政治思想をもともともっていたとか、活動家の家に育ったとか、そういうことではない。絶望的な状況であてどもなく彷徨う若者が、自爆テロを勧める一部のグループに眼をつけられてリクルートされ、「神に召される」という大義を与えられて自爆テロを行うというケースがほとんどらしい。ここには、「自爆テロでも行うしかない程にパレスチナの状況は悪化している」という分かり易い一言では到底片づけられない現実がある。
 Picture Balataの活動は、そんな現実を生きる子供たちに希望を与えるとまではいかないものの、彼らが絶望の淵に落ち込むことだけはなんとしてでも避けようという試みのひとつであるだろう。幼い少女の一人は、「私はテロリストではありません。私はパレスチナ人です。〔I am not a terrorist. I am a palestinien.〕」という文章を寄せていた。

4)早尾氏がもう一つ紹介してくれたのは、ユダヤ系イスラエル住民のマルクス主義者グループによる、オリーブ収穫支援活動である。

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 先に紹介した通り、自宅とオリーブ畑の間に分断壁を作られた農民は、壁を越える許可証を得なければならず、そもそもそれがなかなか交付されないのだが、交付された場合にも、壁を越えられるのは、週に一度、朝7時から夕方4時までのことに過ぎない。一農家ですべての収穫を終えるのは不可能である。そこで、有志を募って、バスでオリーブ畑に向かい、一日で一気に収穫をするという活動をこのグループが行っているのである。
 このグループはその他、パレスチナ人女性の自立のための職業訓練の支援なども行っている。早尾氏の言葉を借りれば、経済問題、民族問題、ジェンダー問題、それら全てに取り組んでいる実に希有な左派グループである。

 司会を担当された小林康夫先生は、会の冒頭、人文系学問に携わる者にとっての“共感”の重要性を語られた。今すぐに何もできなくても、共感することはできる…。それはおそらく、小林先生の中では、悲惨な状況下で戦う者たちへの共感としてイメージされていたに違いない。だが、早尾氏の話を聞き終え、小林先生はこう語ったのだった。イスラエルは本当に不幸な国である。「ユダヤ人国家」という観念、ただそれだけのために、国を破壊しつづけ、破壊することによってのみ存続しようとしている。たったひとつの観念のために国を維持しようとするとは、実のところ、天皇制のために国を維持しようとした日本とどこかで響きあうのではないか。そして我々はまだ天皇制のある国の中で生きている…。冒頭に語られた共感は、日本国に生きる者たちの、イスラエル国家に対する、何か暗い共感へと、収斂していったのだった。
 アナポリスでは、茶番という他ない和平交渉が行われている(あれはほとんどアメリカの内政問題だろう)。先のマルクス主義者グループの一人は、「パレスチナの独立」では和平は訪れないと語ったと言う。確かにそうだが、晩年のエドワード・サイードが語った――そして早尾氏によって日本に紹介された[『批評空間』第三期三号]――bi-national stateの理想も、もはや到底美しい理想としては語れず、消極的な選択肢でしかないという厳しい現実がある。
 小林先生の「早尾さんにとって、イスラエルの希望はどこにあるのか?」という質問に、早尾氏は、「ありませんね」と答えた。そしてその上で、「先に紹介したグループの活動が伸びていくことかもしれません」と付け加えた。
 筆者などは、いったいどこに希望を見いだしたらよいのか、まったく分からない。筆者はサイードの語った理念に共感する者だが、その共感とて、イスラエルの現状に対する知識の欠如に裏打ちされているような気がしてならない。
 だが、筆者にとってひとつ希望があるとすれば、それは早尾氏のような研究者が我々に上のような事態を伝えてくれているというこの事実である。伝えれば、共感を生むかもしれない。筆者の中にはそれが生まれた。筆者は、いま、伝えてくれる人がいるというこの事実の中に希望を、伝えるというこの行為の中に希望の原理を見いだしている。(文責:國分功一郎)

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