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【報告】UTCPワークサロン「モーリス・ブランショと時代――「来たるべき書物」から「書物の不在」へ」

2007.11.14 郷原佳以, 西山雄二, 時代と無意識

 11月13日、小林康夫拠点リーダーのセミナー「時代と無意識」の一環として、特任講師の西山雄二さんが、ご著書『異議申し立てとしての文学――モーリス・ブランショにおける孤独、友愛、共同性』(御茶の水書房、2007)を元にするかたちで、「モーリス・ブランショと時代――「来たるべき書物」から「書物の不在」へ」という表題で発表された。

⇒[配布レジュメ](PDF)

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 「「来たるべき書物」から「書物の不在」へ」という副題が示すとおり、発表の焦点は、ブランショが、「来たるべき書物」という論考を発表した1958年から「書物の不在」という論考を発表した1969年までの約10年のあいだに行っていた政治的な異議申し立ての運動(アルジェリア戦争反対から68年5月革命まで)の特異な様態にあった。結論としては、その特異な様態が、「無名性」、「断片性」、「共同性」というその三つの大きな特徴において、政治的活動を経た後で書かれた『終わりなき対話』(1969)冒頭の「覚え書き」や巻末の「書物の不在」における「書物」批判、およびその後の断章集刊行へと続く流れに呼応しており、したがってブランショにおいて、政治的な異議申し立てとエクリチュールの「形」をめぐる探究とは軌を一にして行われていたということが示された。
 とはいえ、発表は直接この主題に入ったわけではない。ブランショに馴染みの薄い聴講者が多いことも考慮して、まずは『文学空間』(1955)を主たる参照軸としながらの、ブランショの文学論の簡にして要を得た解説が行われた。その要点は以下のとおり。1)作家と作品の切断、2)「不在の現前」としての文学言語(対ヘーゲル)、3)「死ぬこと」における〈私〉の不可能性(対ハイデガー)、4)その不可能性が現出する空間(死の空間)としての「文学空間」、5)「中性的なもの」への眼差し(対ハイデガー、レヴィナス)、6)20世紀文学者ブランショの特異性――狭義の文学論に留まらない射程、抽象性と具体性の両立。管見では、このまとめにおける西山さんの独自性は、4)において「文学空間」に、「非人称性」、「無際限さ」と並んで「可塑性」という特徴を見て取ったことにある。始めの二つと異なり、「可塑性」はブランショ由来の用語ではなく、西山さんが翻訳されたカトリーヌ・マラブーのヘーゲル論『ヘーゲルの未来』(未來社、2005)に由来する概念である。しかしここでの「可塑性」概念の導入は、本論部において政治的介入の「形」を問題にするための伏線として機能していた。
 続く本論部で取り上げられたブランショの政治的介入とは、具体的には、1960年の「アルジェリア戦争における不服従の権利宣言」(通称「121人宣言」)、1960年から1964年にかけて練り上げられた『国際雑誌』計画、1968年5月革命での学生作家行動委員会での活動、の三つである。たとえば「121人宣言」は「無名の共同性」を目指し、『国際雑誌』は断章という形態を選択し、学生作家行動委員会は完全な共同執筆を行った。ここから、上記の三大特徴、すなわち、「エクリチュールの無名性」、「テクストの断片性」、そしてこの二つによって織り成される「共同性」が浮かび上がってくるのである。
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 発表後、ブランショを研究する郷原が以下の三点を指摘した。1)ブランショは同時代に対する意識と同時に歴史に対する意識も鋭敏であった。「書物」と「断片」という問題設定はすでに、「世界の総体としての書物」という古代以来の観念を背負いつつも「断片」へと行き着いた18世紀末のドイツ・ロマン主義や19世紀末のマラルメに顕著に現れている(そもそも「来たるべき書物」と「書物の不在」は矛盾しない)。2)その意味で、西山さんが文学論のまとめにおいて提示した「書物」と「作品」の対比はやや単純化である。ブランショは「書物」を単に否定したわけではないし、「作品」に対してはむしろ否定的でもあり、「無為=作品解消」を唱えた。3)ブランショの言語観に関して引用箇所にやや偏りがあり、主体なき純粋意識として言語を捉える言語観が提示されている。しかしブランショはむしろ、つねに不純でしかありえないところにこそ言語の本質を見て取っていたのではないか。
 西山さんは、2)については、「無為」は「作品」と同じであると、3)については、言語と死の可能性と不可能性の二重性にブランショは定位していると考えているのだから、異論はないと答えられた。
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 日本におけるブランショ受容第二世代の論客である小林先生は、「無為」を「作品の否定」と捉える考え方は受け容れられないとして、ブランショは作品論を書いたのではなく、作家が何かに誘引されるようにして書くというその経験だけを論じたのだ、そしてブランショにとって、68年5月においては、エクリチュールのその孤独な経験が無名の大衆の共同性となって現出してきたのだ、と語られた。
 会場からも興味深い質問がいくつか出されたが、なかでも、西山さんのご著書のタイトル「異議申し立て としての文学」は、その「として」によって、本質規定を回避するはずのブランショの文学探究を封じてしまうことになるのではないか、という疑問は、形式的な次元を超えた問題を皆に提起しているように思われた。
 1960年代の一時期、ブランショの文学理論は狭義の文学を超えていわば街路に出て、無名の共同性となって現実化した、そのように言うことはおそらく可能だろう。しかし、ではその湧出はいったい何を意味するのか。文学において「政治的なもの」とは何なのか。残された課題は、文学と政治参加の間に「アナロジー」ではない理論的な関係性を見出すことであるように思われる。
(文責:郷原佳以)

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