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中期教育プログラム「哲学としての現代中国」第4回報告

2007.11.24 宇野瑞木, 哲学としての現代中国

「哲学としての現代中国」第4回目の発表は、「後漢時代における祖先祭祀の表象―武氏祠堂画像石をめぐって」と題し、宇野瑞木さんによって行われた。

 宇野さんは後漢時代の地方豪族が墓域に建てた祠堂―墓の墳丘の裾の部分に墓を拝する形で建てられた建物で祖先祭祀の1つである墓祭が行われる祭祀空間―に施された絵画の内容を分析することにより、墓という存在の目的およびその意味について考察した。
 今回宇野さんが分析を試みたのは後漢時代の地方豪族武氏の墓であるが、そこには上(天)-中(人間)-下(地下)/左壁(東)-右壁(西)という配置が見られ、その祠堂の空間的秩序は宇宙空間と対応しており、王(≠天)は人為的秩序と宇宙論的秩序を創始しその中心に立つ者として、また仙人(≠天)は空間的秩序においては王よりも上位として捉えられることを述べた上で「台閣拝礼図」について考察を行った。
 「台閣拝礼図」はこれまでも仙宮で墓主が宴を催されている場面の表象であるとか、実際の墓域で墓主が子孫からもてなされている場面が描かれているといったことが言われてきた。宇野さんはこれらの説を支持しながらも、「十日神話」における霊樹としての扶桑と関わらせて論じることで、武氏祠左石室天井の昇天図に描かれるうずまき状のモティーフは扶揺(天へと導くつむじ風)であると解釈することによりこのような説を補強した。
 造墓という行為は造墓者の自己宣伝のパフォーマンスであるとされるが、そのような議論をふまえた上で宇野さんは、墓域の樹には神秘的な意味があり、それは先祖が依り付く樹という意味が込められていると同時に、墓主が仙界へ昇るための助けとなる雲気になる可能性を秘めた樹=扶桑(または扶揺と解せる)である可能性を指摘した。
 ディスカッションでは、この画像が誰に向けたものであるのか、また、昇仙思想をもってなされた造墓という営みが漢代の儒学思想においていかなる意味を持つものであるのか、という質問がなされた。さらに、「天」という概念の成立が漢の時代であることからも、神秘思想である『緯経』などにおける言説を考慮する必要があるのではないか、という指摘があった。
 個人的には扶桑が扶揺であるという解釈は示唆的であり、このような個々のモティーフが祠堂という祭祀空間で行われる祖先祭祀の儀礼の場でいかに機能し解釈されうるのかという点に興味をひかれた。(報告者:井戸美里)

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