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時の彩り(つれづれ、草) 006

2007.10.09 小林康夫

☆ 読書(雑誌を読む)

それでもやはり雑誌を読むということも大切で、できれば日当たりのいい窓際で週に1日くらいは、送られてきた雑誌を自分のペースで読んで、まさに「時の彩り」を精神に吸収するというようなことをしなければならない。

今月の『現代思想』は「ドキュメンタリー」の特集で、その冒頭に、先日、亡くなった佐藤真さんの文章があって合掌するような気持ちで読んだ。表象文化論コースができたときの最初の非常勤講師のおひとりで、よく授業のあとに狭い研究室でお茶をいっしょにしたことを思い出す。遺稿となったこのエッセイ、ドキュメンタリーは「創作物」であるという言葉に、「歴史」をつくる、ということの意味を考えさせられる。同じ号には、PDの早尾貴紀さんのパレスチナ/イスラエルのドキュメンタリーについてのテクストもあって、わたしとしては、いつかそこで論点鋭く論じられている映画の上映もUTCPでしてみたいと夢見る。

また事業推進担当者の田中純さんが中心で編集している雑誌「SITE/ZERO」も、こちらは「〈病〉の思想/思想の〈病〉」が特集テーマだが、これもよく知っている若手研究者がたくさん書いていて充実した内容。いろいろおもしろい発見もあったが、なかでも特筆すべきは、田中さんと中谷礼仁さん、岡崎乾二郎さんの鼎談。特に磯崎新さんの位置付けをめぐるトピックは共感を持って、しかしいろいろなことをそこから考えはじめるような仕方で読んだ。ここでも「歴史を(批評的に)つくる」ことが問題となっている。批評の〈終わり〉という問題系は、先週末にわたしが司会をして直島で行ったシンポジウムでのアーティストたちの発言にも明確に感じ取られて、きわめて今日的である。すでに批評的な公共性とは異なる歴史の相貌が垣間見えるのだが、そのことを語るのには、わたしはまだあまりにも苦しいなあ、と言い放っておくだけにしよう。この場では、ともかく少しでも、おたがいの仕事を読み、理解しようとするUTCPであってほしいと願って、簡単に紹介しておくのみ。このような情報が交錯する場が生まれるといいのだが……(『新潮』にもPDの平倉圭さんのドゥルーズの映画論をめぐる応答エッセイが掲載されている)。

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