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時の彩り(つれづれ、草) 002

2007.09.13 小林康夫

到着 (Alain Juranville, L'événement Histoire et savoir philosophique. Vol 1. Nouveau traité théologico-politique PUF, 2007)

アラン・ジュランヴィルさんから新著『出来事――歴史と哲学的知 第1巻 政治神学新論』が届いた。リュクサンブール公園のすぐ横の素敵なお宅に、原和之さんらと招かれて食事をしたのは、もう2年前の秋だったか。駒場にも一度来ていただいてレクチャーをしていただいた。今度の本は、かれのライフ・ワークとも言うべき大計画の一部(第2の書「歴史と哲学的知」の第1巻というわけだが、それだけで766頁ある!!こういうスケールというのは、日本ではほとんどお目にかからない。かつて廣松渉先生がなさっていたくらいか。ヘーゲル的と言ってしまえばそれまでだが、ひょっとしたら、「哲学」というものは、本来、こういうもの(つまり「並はずれたもの」――もはや「論文」なんかではなくてね)であったのかもしれない、とちょっと茫然!)。

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その冒頭、なぜ「出来事」というタイトルか、を説明して、これもまさにヘーゲル的だが、かれは言う――「われわれは歴史の終わりに突入した。これがなにを意味するのかを測ることが重要である」。――わたしもほぼ同じ直観をもつ。しかし、あちらはそれを、「歴史」から「革命(もうひとつの贖罪)」へと至る18の階梯、ほとんどカバラ的なタブロー群を通って考えていく。こちらは?――やはり「歴史」から「(ある種の)革命」に通じるほぼ「同じこと」を、しかし「つれづれ、草」!でやってしまいたい。胎蔵にしろ、金剛にしろ、「曼陀羅」図式を対応させる手もあるようにも思うが、やはり俳諧風流に流れて「草」。「なにやらゆかし」、ですね。しかし、ジュランヴィルさんとわたしはまったく同世代。「68年パリ」と象徴的に言っておくことにして、その同じベースから出発して、あらためてどう考え直すか、というその方向は相照らすものがあると感じる。UTCPとしても連携を深化させたい人のひとり。この秋にはパリでお目にかかれるかもしれない・・・そうそう、この5年間駒場に招いたたくさんの海外の研究者のなかで、ただひとりかれだけが、出発前にわざわざ美しい奥様とパリの「蚤の市」で買ってきた骨董のグラスという心のこもったお土産を持ってきてくれた。その真正のエレガンスにわたしはちょっと打ちのめされた!


 追悼(太田省吾さん)

朝、新聞の訃報を見て茫然とする、ということが今年は多い。劇作家の太田省吾さんの死もそのひとつ。特に親しかったというわけではないのだが、無念。京都造形芸術大学のホールのお披露目のシンポジウムでお会いしたのが最初だったか。その後、お酒をいっしょに飲んだのはいつも京都だったと思う。10日スパイラル・ホールでのお別れの会。わたしは白い竜胆の一輪を献花しただけだが、白い傾いた円板一面に秋の草、そのなかの遺影、どこからか風の過ぎる音が聞こえてくるような鮮烈な「舞台」だった。

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