【報告】UTCPイスラーム理解講座第6回 「サウジアラビア王国の国家と宗教」
7月18日、神戸大学の中村覚氏を迎えて、「サウジアラビア王国の国家と宗教」と題して講演会がもたれた。
サウジアラビア王国は、「植民地の経験なし、西洋思想流入の経験なし、世俗化の経験なし」というイスラーム国家であり、政治経済のシステムから日常生活の隅々までがイスラームとの密接な関係にもとづいている。中村氏は、日本がイスラーム諸国・ムスリムと交流・共生をはかるなかで、世俗的な価値観や制度を比較的取り入れている国々とは、接点や妥協点も見いだしやすいかもしれないが、サウジアラビアの場合は、徹底的に宗教的であるため、いかに共生は可能かという問いは、経済関係を超えた分野では難しい問題を孕んでおり、それを克服することが必要であるという問題意識を冒頭で提起した。
そのうえで中村氏は、日本においては「産油国」というイメージ以上には知られていないサウジアラビア王国について、イスラームとの関係を中心にわかりやすく説明した。そもそもサウジアラビアという名称は、「サウード家のアラブ」という意味であり、18世紀に最も有力な王家であるサウード家が、イスラーム復古による改革運動を提唱したアブドゥルワッハーブとその支持者らを保護し、その運動を広げたことによって、国家の基盤をなした。ワッハーブ主義というのは、伝統主義的イスラームであり、「反立憲主義、反民主主義、反欧米、反世俗」などとして特徴づけられるが、より具体的には、過去においては、選挙による代表制をまったく認めず、国家による義務教育を否定し、公共の場での男女の社交を禁止し、西欧的人権に反論する、などということが見られた。ただしサウジ政府の政策には、初の地方選が2005年に実施されたり、義務教育が導入されたり、女性の社会進出が政府の目標として設定されるなどの変化がゆっくりと生じている。サウード王家はワッハーブ主義的イスラームによって宗教的権威・正当性を得ているとはいえ、宗教以外の政治、経済、社会問題にも対処しなければならない。国民の全てがワッハーブ主義者でもなく、またワッハーブ主義には現代の諸問題を解決する上での限界がある以上、一定の現実路線を取り入れる必要が常にある、と中村氏は説明する。外交面では、20世紀を通じて、サウジアラビアは親英路線から親米路線へというスタンスを展開していたし、現在ではさらにアジアとロシアとの関係をも重視している。そして、21世紀に入って以降は、〈9・11〉以降の新世界秩序への適応も求められている。
そうしたなかで、宗教国家サウジアラビアとしては、西欧的世俗化や政教分離を受け入れることはまだ公的な場における議論の射程外であり、グローバリズムに対する現実主義的対応が模索されているのだという。内外からの圧力により、一定の民主化を進めざるをえないが、急進的な反イスラームにならないように、あくまで「民主主義はイスラームの一部である」というスタンスで、改革が漸進している。人権問題も、西欧的人権の受け入れではなく、むしろイスラーム内の規律の尊重がサウジアラビアにおける人権状況の改善につながる、という立場をとる(もちろん西欧リベラリストから見れば「不十分」と映るだろうが)。
昨今サウジアラビアで特徴的に見られるのは、「対話」路線だと中村氏は指摘する。2003年以降「対話推進政策」がとられている。国内においては、シーア派やリベラル派や女性らの改革要求に対して、それを撥ねつけたり抑えたりするのではなく、対話のテーブルを設け、一定の政策的反映を試みている。05年の地方選実施挙もその一例である。
また、異教徒としてのキリスト教徒やユダヤ教徒、仏教徒などとの対話の場として、「世界宗教会議」を開催。アメリカやイスラエル、日本との関係も、従来の経済主義一辺倒から、政治的関係強化、さらには文化的関係の強化を模索しているように思われる。
その後の質疑・討論においては、西山雄二氏から、中村氏のレジュメにある「イスラーム世界人権宣言(1981年)」の意義についての追究が提起された。ヨーロッパ中心主義的ではない「人間像」がそこでは「宣言」されているのか否か。かつての人権宣言との差異化がそこにあるとしたら、それは何なのかを考える必要がある、と。それに対して小林康夫氏からは、「1981年という年号についても考えなくてはならないのではないか」と別の角度から提起がなされた。79年のイラン革命から間もなくであり、その「イスラーム人権宣言」にイランはどう関わっているのか、なぜ81年だったのか、歴史的コンテクストを考える必要がある、と。
最後に羽田正氏から、「世俗対宗教」という理解について、「世俗」と「宗教」を切り分ける発想そのものが、根本的にそれでいいのかという疑問がある、と提起がなされた。「『異なる他者との対話』などと言われるが、しかし、板垣雄三氏なども強調するように、この他者との対立図式自体がどこかでつくられたものではないのか。板垣氏の『根底的には同じである』という理解について共感を覚える。私たちは、『世俗対宗教』という図式そのものを乗り越えるべきなのではないか」と。
中村氏に報告は、まずは私たちには馴染みの薄いサウジアラビア王国について、基本的なところからわかりやすく説明するものであった。また、国家と宗教、西欧とイスラームという関係についても示唆的であった。そのうえで、上記のようなUTCPメンバーらから出された問題提起は、その場で解消できるような疑問ではなく、今後私たち自身の中期的な課題として検討されるべきことであると思われる。
(文責:早尾貴紀)