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【報告】時代と無意識セミナー:大竹弘二「主権、陰謀、例外状態」

2008.06.10 └歴史哲学の起源, 大竹弘二, 時代と無意識

 2008年6月4日、「時代と無意識」セミナーでは、UTCP研究員の大竹弘二さんによる発表「主権、陰謀、例外状態——カール・シュミットとヴァルター・ベンヤミン」が行われた。

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 大竹さんは今回の発表で、シュミット−ベンヤミン間の相互影響関係を精緻に追跡しながら、集中的な絶対権力が逆説的に開いた、主権が陰謀へと転倒し例外状態が常態化する、政治空間における位相変化と力動作用を分析している。

 ヴァルター・ベンヤミンが『ドイツ悲劇の根源』(1925年脱稿、1928年出版)において展開しているバロック王権論には、カール・シュミット(1888-1985)からの影響がある。第1部「バロック悲劇とギリシア悲劇」では、シュミットの著作『政治神学』からの引用があり、また1930年12月にはシュミット宛の書簡も残されているからだ(これらは編者アドルノによる削除を被ることになるのだが)。
 大竹さんがまず問題とするのは、主権者の超越性/内在性の対立である。『ドイツ悲劇の根源』においては、主権者をめぐるシュミット批判を読み取ることができる。シュミットは神学が国家学へと転用される「世俗化テーゼ」と呼ばれるような理論において、超越の直接的な介入としての主権的決断を提起していた。一方、ベンヤミンが主張したのはバロック悲劇の完全な内在性であり、死や救済なき、「亡霊の世界」としてのバロック悲劇(Trauerspiel)である。ベンヤミンにおいて、主権者の地位は高き位階にあっても被造物界のうちにあり、決断することのできない優柔不断な存在である。絶対的審級という名目的な地位と、その権限を意のままに行使することのできない弱い人間存在は、主権者において〈専制君主〉と〈殉教者〉というヤヌス的双面にほかならないのだ。
 戦後も1985年まで生き続けたシュミットは、亡きベンヤミンからの影響とも推測できるような「権力と無力の弁証法」を展開している。それは弱い個人に政治権力が集中するほど、アンバランスな権力増大にともない、むしろ権力者が完全に孤立させられた無能力者になるという現象である。権力とは、それを担う権力者にとってさえ何かまったく見知らぬものであり、所有者みずからのコントロールを逃れていくものなのだ。制御不能な権力はむしろ、権力者へとつながる権力空間を開示する。権力者の部屋の前にはつねに、不可視の間接的な権力が存在する〈前室・控えの間 Vorraum〉があり、迂回できない権力者への通路、そのアクセスの問題こそが浮上するのである。ニコラウス・ゾンバルトがいうように、決断の場は、主権的な個人という中心ではなく、その周縁である権力の「前庭」へと求められることになる。

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 大竹さんは次に、このシュミットの転倒から陰謀をめぐってベンヤミンのバロック王権理論を再検討する。バロック王権においては、政治的なものの場について、公開性を体現する主権者から、不可視の権力作用の位相へと力点移動があり、バロック悲劇では陰謀の場としての宮廷こそが比類なき舞台となるのだ。かくして〈専制君主〉と〈殉教者〉という政治的人間学に、〈陰謀家〉という第三のタイプが登場することになる。陰謀家の〈知 Wissen〉は、国家と歴史の主体である主権者の人格的統一性を、やがては狂気となる諸々の情動に解体する。バロック悲劇の宮廷は、いかなる全体性も失った、終わりなき歴史である「自然史」の劇場と化し、「永遠の悲しみの場と呼ばれる地獄のイメージ」(ベンヤミン)と大差なくなる。主権者が秩序創設的な決断を通じて排除した例外状態が、陰謀家によって再び導入され、例外状態が永続的な境位となるのだ。
 続いて分析されるのは、執行権力が法規範を超えて肥大化する〈例外状態〉を、あくまでも法秩序に繋留しようとした、シュミットの努力と挫折のプロセスである。ここではその詳細は省くが、法規範と法適用(決断)という対立から、シュミットは法適用・執行権力が規範から逸脱し自立する可能性を見出していた。ベンヤミンにおいては、執行権力の問題は、「〈ポリツァイ〔内務行政=警察〕の精神−執行権の精神−バロックの精神〉」という形で連関していた(「『ドイツ悲劇の根源』への「補遺」」より)。それは『暴力批判論』(1921)において、「法措定的な」性格をもった「法維持的」暴力としての警察の問題に現れている。シュミットは、法は自らにおいて適用・執行することができず、規範性を棄却することなしには、法を解釈し運用する具体的な人間を指名できないことを提起していた。いかなる法にも「政治的余得」あるいは「政治的剰余価値」が含まれ、法を執行・適用する者は、法の遵守を通じて法を踏み越える可能性をもつのである。ベンヤミン「歴史の概念について」の第8テーゼは、例外状態の規則化、常態化から「本当の例外状態を出現させる」ことを課題として提示していたが、大竹さんの発表はここに到着するとともに問いを開いた。

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 討議では、陰謀家の形象をめぐって展開可能な回路の可能性が示唆され、ゼネスト、まさに68年5月(→西山雄二さんの発表)こそが主権なき例外状態ではないかということなどが議論された。大竹さんは冒頭に今回の発表がイラク戦争を契機としていることを語られていたが、バロック的出来事は、われわれの時代の歪形をつかさどる力の計測へと、幽霊的にオーヴァーラップしていくだろう。

(報告:荒川徹)

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