【緊急報告】アントニオ・ネグリ氏来日中止の経緯説明会
3月21日(金)、国際文化会館でのアントニオ・ネグリ氏の歓迎レセプションは、急遽、彼の来日中止の経緯説明会に変わった。
壇上には、国際文化会館常務理事の降旗高司郎氏、ネグリ来日の準備を進めてきた市田良彦氏(神戸大学)、東京大学と東京芸大での催事の準備に携わってきた姜尚中氏と木幡和枝氏が座った。
まず、降旗氏がネグリ来日が中止となった経緯を時系列順に説明した。国際文化会館HPに掲載された経緯説明文とネグリの手紙を本ブログ末尾に転載するので、詳細はそちらをご覧いただきたい。要するに、来日にあたってビザ不要という確認を外務省やパリの日本大使館と何度も取ってきたにもかかわらず、フランス出国2日前の17日にビザ取得が必要だと突然言われたのだ。法務省入国管理局と協議が続けられ、入国にあたって、ネグリが政治犯であったことを証明する公式書類の提出を求められた。それは、招聘者ネグリ氏の手をいちじるしく煩わせることになるきわめて困難な要求である。さまざまな方法を模索した結果、19日の午後10時頃、来日の中止が決定したという。
降旗氏の重々しい言葉と誠実な語り口からは、彼が今回の「アクシデント」を乗り切ろうと懸命に八方手を尽くしたことがうかがわれた。実際、国際文化会館がネグリの身元保証人となることさえ提案したという。ともかく、会館の招聘事業において前代未聞のアクシデントである。降旗氏は、今後、もう一度、原点に立ち返ってネグリ氏招聘を実現したい、と締めくくった。
続いて、市田氏からさらに詳細な事情説明がおこなわれた。今回の最大の問題は、他ならぬネグリ自身が自らを政治犯として証明することを法務省入国管理局から要求されたことだ。ネグリは過去17回訴追されており、その記録は2万5千頁にもなる。それら膨大な公式書類をネグリ自身がイタリアから取り寄せて提出するように迫られたわけである。
だが、市田氏によれば、ネグリの有罪判決自体が欠席裁判でなされたもので、そもそも国際法的にみて効力をもたない、という。ネグリは、あるテロを起こした実行犯の昔の仲間だったというだけで、その「道義的責任」を問われて欠席裁判で有罪となった。彼は1983年にフランスに亡命し、14年間、フランスで執筆活動を続けた後、97年に刑期を果たすために「自主的に」帰国し、監獄に収監された(2003年4月に釈放)。言われなき罪にもかかわらず、彼は自ら進んで刑を受けたわけである。その後ネグリは何の問題もなく、世界22カ国を自由に旅行し、講演活動などをおこなってきた。なぜ日本だけがネグリの理不尽な過去を蒸し返し、しかも出発2日前にその証明書の提出を当人に求めるのだろうか。
さらに問題なことは、ネグリに同行して来日予定だったジュディット・ルヴェル氏にもビザ申請が要求されたことだ。17日、二人は仕事を急遽キャンセルして、パリの日本大使館に行き、ビザ発給の申請をした。彼らは過去5年間の渡航記録の作成などを求められ、煩雑な書類作成に3時間を要したという。ビザ申請の必要のないフランス人のルヴェル氏に、なぜビザが要求されたのだろうか。
左派知識人ネグリがどういう人物なのかは、少し調べればすぐにわかることだ。東京大学、京都大学、東京芸術大学での催事は半年前から準備されており、そのプログラムなどもすでに外務省には渡っていた。いったいなぜ、2日前のビザ申請勧告なのか。無知なのか、それとも、悪意なのか。悪意と化した無知なのか、あるいは、無知を装った悪意なのか。
(ネグリはアメリカにも足を踏み入れていない。アメリカの場合、政治犯としての証明書類の提出が「最初から」求められ、彼はその収集を困難だと判断し断念した。)
市田氏は最後に、25日の京都大学での催事はネグリ氏の提出原稿を読み上げる形で、「ネグリ氏の講演として」開催すると力強く言い放った。
(京都大学でのネグリ講演ポスター)
次に姜尚中氏が発言し、2つの点を強調した。まず、今回のことはネグリ氏の人権侵害である。また、私たちの知る権利や学術交流の権利の侵害である。そして、大学の自由や知的交流の権利の侵害である。つまり、来日中止は日本の国益を損なう出来事であり、このことにはどんな国粋主義者でも同意するのではないか。次に、ネグリ氏が日本で積極的にやりたかったこと、語りたかったことが実現されるように私たちは尽力しなければならない。29日の東京大学での催事は予定通り開催されるが、工夫を凝らしてこれを成功させなければならない。
最後に、木幡和枝氏が東京芸大での反応について語った。芸大では学生たちが半年前からネグリ・イベントの準備をおこなってきた。ネグリを読んだことがある学生もそうでない学生も。つまり、全員がネグリという思想家やその著作に惹かれてというわけでは必ずしもなく、むしろ、ネグリという名によって引き起こされるであろう出来事の準備に夢中になっていたという。だから、学生の驚きと失望は深かった。それほどまでにネグリ招聘企画が彼らの仕事となっていたのだ。東京芸大でもまた、29-30日のほとんどすべての催事が予定通り開催される。
(東京芸術大学でのイベント・ポスター)
また、会場から発言したNHKディレクターの言葉は重要なものだった。
「今回のことで、入国管理局がいかに恣意的に外国人に対応しているかがよく分かったと思います。成田空港に到着した後、いろいろな理由で入国を拒否され、入国管理局の狭い部屋に何十人もの外国人がつねに閉じ込めれています。そして、深刻なことに、私たちはこうした事実をまったく知りません。入国管理局で何がおこなわれているのか、ネグリの出来事から考えてみる必要があります」。
不可解な経緯でアントニオ・ネグリが今回来日できなかったということ、これは日本の研究教育活動にとっての深刻な出来事となるだろう。このグローバル化の時代において、海外の優れた研究者と真摯な対話をおこない、一国枠ではなく国際的な視座において学術研究を進展させるという権利が私たちにはあるはずだ。
この数日間、対応に追われ疲労している関係者の方々の苦労を心からねぎらいたい。そして、近い将来のネグリ来日に向けて、予定通り開催される京都大学(25日)、東京大学(29日)、東京芸術大学(29-30日)での催事に多くの方々が参加されることを願う。
【追記】経過説明会後の市田、姜、木幡各氏へのインタヴュー映像「ネグリ来日中止(イベントは予定通り)」がネット上に掲載された。⇒ こちら (3月23日)
(文責:西山雄二)
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「アントニオ・ネグリ氏来日中止について」 2008年3月20日
財団法人 国際文化会館 常務理事 降旗高司郎
このたびのアントニオ・ネグリ氏の招聘計画につきましては、多大なご協力を賜り、誠にありがとうございます。当会館は、民間レベルで文化交流・知的協力を推進することを目的に、さまざまな知識人・文化人の交流を推進してまいりました。その一環として企画いたしましたネグリ氏の初来日につきまして、誠に残念ながら、中止となりましたので、ご報告いたします。
当初、アントニオ・ネグリ氏の入国は、在フランス日本大使館より、査証(ビザ)なしで入国可能とのことで、私どもは受け入れ準備を進めて参りました。しかし、ネグリ氏がフランスを出発する予定であった3月19日の2日前の3月17日(月)に外務省から私どもへ連絡が入り、アントニオ・ネグリ氏は、査証なしで渡航することになっているが、昨今の入国管理をめぐる諸事情を鑑みると、査証なしで来日すると入国の際に拒否される可能性が非常に高いとの説明を受けました。私どもでは、ネグリ氏の日本入国を20日に予定しておりましたので、ネグリ氏に至急査証申請手続きを在フランス日本大使館でしていただきました。翌18日になって、再度、外務省より、今回のネグリ氏の査証発給に関しては、法務省入国管理局との協議の上で行われているとの連絡が入りました。つまり、入国管理局の許可なしには、在仏日本大使館は、ネグリ氏に査証を発給することはできないということです。
その後、法務省(入国管理局入国在留課)より、アントニオ・ネグリ氏の日本入国には、彼が政治犯であったことの正式な証明が不可欠であるとの連絡を受けました。ネグリ氏は、過去に、イタリア国内での政治活動に対して有罪判決を受けたことがあり、日本の「出入国管理及び難民認定法」の「上陸の拒否」の項目(第5条4項)に、「日本国又は日本国以外の国の法令に違反して、一年以上の懲役若しくは禁錮又はこれらに相当する刑に処せられたことのある者」は、「本邦に上陸することができない」とあるからです。ただし、この条項には、但し書きがあり、「ただし、政治犯罪により刑に処せられた者は、この限りではない」というものです。ネグリ氏の場合は、出入国管理法が定める「例外」に当たるため、それを証明する公式文書を提出するように、ということでした。入国管理局としては、この書類がない限りは、ネグリ氏の日本入国は認めることができないとのことでした。
私どもといたしましては、数日遅れたとしても書類が整えばネグリ氏の来日が実現できるということで、八方手を尽くしましたが、来日を実現するその書類(ネグリ氏が政治犯であったことを証明する書類)の入手そのものが難しいことが判明いたしました。その結果として、今回の招聘は断念せざるを得ないということになりました。ネグリ氏ご自身も、訪日できなくなったことは非常に残念であるが、過去の経歴の詳細に焦点があたる形での来日を実現することに対し懐疑的でおられる旨、伝えてこられました。この間、法務省や外務省、在仏日本大使館の担当官の方々にはネグリ氏の来日を実現すべく懸命に動いていただきましたが、このような残念な結果となりました。氏の来日プログラムの準備にこれまでご尽力・ご協力を下さった方々に感謝の意を表すると同時に、このたびの来日の中止に関しご理解を賜りますよう、お願い申し上げます。ネグリ氏及びパートナーのルヴェル氏からのメッセージを以下に記します。
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日本の友人たちへの手紙
皆さん、
まったく予期せぬ一連の事態が出来し、私たちは訪日をあきらめざるを得なくなりました。この訪日にどれほどの喜びを覚えていたことか! 活発な討論、知的な出会い、さまざまな交流と協働に、すでに思いをめぐらせていました。
およそ半年前、私たちは国際文化会館の多大な助力を得て、次のように知りました。EU加盟国市民は日本への入国に際し、賃金が発生しないかぎり査証を申請する必要はない、と。用心のため、私たちは在仏日本大使館にも問い合わせましたが、なんら問題はありませんでしたし、完璧でした。
ところが2日前の3月17日(月)、私たちは予期に反して査証申請を求められたのです。査証に関する規則変更があったわけではないにもかかわらずです。私たちはパリの日本大使館に急行し、書類に必要事項をすべて記入し、一式書類(招聘状、イベントプログラム、飛行機チケット)も提示しました。すると翌18日、私たちは1970年代以降のトニの政治的過去と法的地位に関する記録をそれに加えて提出するよう求められたのです。これは遠い昔に遡る膨大な量のイタリア語書類であり、もちろん私たちの手元にもありません。そして、この5年間にトニが訪れた22カ国のどこも、そんな書類を求めたことはありませんでした。
飛行機は、今朝パリを飛び立ち、私たちはパリに残りました。
大きな失望をもって私たちは訪日を断念します。
数カ月にわたり訪日を準備してくださったすべての皆さん(木幡教授、市田教授、園田氏――彼は日々の貴重な助力者でした――、翻訳者の方々、諸大学の関係者の方々、そして学生の皆さん)に対し、私たちは申し上げたい。あなたたちの友情に、遠くからですが、ずっと感謝してきました。私たちはこの友情がこれからも大きくなり続けることを強く願っています。皆さんの仕事がどれほど大変だったかよく分かります。そして皆さんがどれほど私たちに賛辞を送ってくださっているかも。
パーティは延期されただけで、まもなく皆さんの元へ伺う機会があるだろう、と信じたい気持ちです。
友情の念と残念な思いを込めて……
2008年3月19日
ジュディット・ルヴェル
アントニオ・ネグリ
訳:市田良彦(神戸大学教授)