UTCP オープニング・シンポジウム「いま、共生の地平を問う」
今秋から始動したグローバルCOE「共生のための国際哲学教育研究センター(UTCP)」のオープニング・シンポジウムが10月21日(日)に東京大学駒場キャンパスで開催された。
シンポジウムは小林康夫・UTCP拠点リーダーの次の挨拶で始まった。
――5年前、海外から多数の著名な研究者を招聘した第一期COEのオープニング・シンポジウムと比べれば、今回は非常にコンパクトなかたちのものとなったが、それは今後の運動をより有機的で求心力のあるものにしようという意思の現れである。UTCPは、もはや有効な機能を失いつつある「学科」という枠を超えて、時代と問いとを個人として引き受けるメンバーたちが、事柄そのものを巡って自由に考え、論ずる場でなければならない。そして最初に問われることになったのが、この場そのものの名称に含まれる「共生」という事柄なのである。
西山雄二は、最初の発表者として、この「共生」概念の歴史と広がりを提示した。先ず、基本となるのは「symbiosis」としての生物学的共生概念であるが、これ自身もまた、狭義の相利共生から、捕食関係をも含めた生態系全体を構成する生物相互の関係へと、その意味を拡張・深化させる流れにある。また共生の第二の要素は社会的な位相における「conviviality」であり、多様な生活様式・信仰・伝統を持つ人々が同じ社会・経済的機構の中で共に生活するという事態を指すが、それは国民国家や資本関係といった既存の枠組みを前提に語られることが多い。これらに対して哲学的・倫理的思考は「co-existence」という包括的な概念を提起する。そこで問われるべきは、共生を目的論的に志向するだけではなく共生が何を禁止するのかを問うことであり、「共死」の論理を避けることである。
発表レジュメ「co-existenceの地平――symbiosisとconvivialityの間で」(PDF)
続く諸発表は、共生が問われるいわば「現場」へと移って行く。山本久美子は「信仰のある世界とない世界との共生」という大きな問いの契機として、イランの映像作家キアロスタミの近作を紹介した。イスラム教シーア派の基底には初期の指導者たちの殉教があり、中でも第三代イマーム、ホセインの殉教は「タアズィエ」と呼ばれる演劇を通して一般信徒の心を深く捉えてきた。キアロスタミは、今イランと強い緊張関係にある西欧で、このタアズィエとそれを観るイランの人々の顔を同時に提示するインスタレーションを製作した。観るものと観られるものとが複雑に交錯して観ることの枠組みを撹乱するこの作品は、「共生」が意味と理解の手前あるいは彼方で、知覚と事実の次元で常に既に生じてしまっているという不気味な、あるいはしかし希望でもあるかもしれない事態を私たちに突きつけてくるだろう。
信原幸弘は、中期教育プログラムの一つ「脳科学と倫理学」が取り組むことになる問題、すなわち、近年急速に発達している脳・神経科学、とりわけ脳の機能を観察・操作する技術といかに「共生」するのか、という問いを提起した。この問題に特徴的なのは、「いかに技術に倫理を持たせるか」ではなくむしろ「倫理の物質的・現実的基盤とは何か」を問うことが現実的に可能性になりつつある、ということである。それはまた同時に、様々な学問分野の共生と競合という現実的課題をも期せずして露呈することになった。
中島隆博は、2007年に中国で開かれた世界儒学会議と1935年に日本で開かれた儒学会議(儒道大会)における「和の競り上がり」という事態にある徴候を見出し、そこに「義」が欠如していることの問題を指摘した。今年開かれた儒学会議では、仁、和、礼、信という伝統的諸概念が強調されていたのだが、そこでは「義」に 代えて「和」の概念が押し出されていた。これは、1935年に日本で開かれた儒学会議をはからずも反復したものとみなしうる。そこでは「民族の協和」と「人類の平和」が高らかに謳われていたからだ。この反復から読み取るべきは、この二つの会議における「和」の実現という理念の背後に、 国家を含む文化的共同体があり、そこに向けて個が吸収されることにほかならない。だからこそ和ないし共生がいつ、どこで、誰が語るのかということに常に注意すべきなのである。国家や特定の共同体を潜在的に前提とするような和は必然的に「義」を欠く。私たちはこのような「和」ではない「共生」こそを模索しなければならない。
早尾貴紀は、歴史家イラン・パペが実証したイスラエル建国の際におけるパレスチナ人虐殺といういわば起源の暴力がなお現前し続けていること、またイスラエル国家の抱える問題が翻って日本と遠からぬ関係があることを示した。パレスチナ問題を「民族問題」として捉えることが難しいのは、たとえば「反ユダヤ主義=反セム主義 Anti-Semitism」における「セム」とはユダヤ人のみならずアラブ人も包括していることに端的に示されている。両者を異なる「民族」とするのは、実は「絶対的に異なるユダヤ人」という国家によって企図された理想型を生み出す「血の思想」にほかならない。この「ユダヤ人」の産出は現在でもなお「帰還法」によって行われている。これこそが起源における排除の暴力の現前なのだ。また日本の入管法などもまた血の思想に基づき国民と外国人を選別しており、日本で語られる「共生」が実はあからさまな差別を前提としていることも多い。したがって、「共生」の内実を批判することなしに、「共生」を語ることはできないのである。
市野川容孝は、「共生」について自らの専門に重点を置きながら次の三点について話した。1)日独医学交流史は、知の持つ力の圧倒的な非対称性において形成されてきた学問の歴史性を再考することを強いる。この学問史研究は「共生」が多様な力の不均衡のうちで本来考えねばならないという貴重な示唆を与えてくれる。2)物理的な障害を理由に当事者から多様な可能性を奪う社会の仕組みを問題にする「障害学 Disability Studies」は、障害をポジティヴな個性として捉え、社会と障害者のあいだの障壁を撤廃することを目指すが、この営みは極めて具体的な場面から「共生」を思考する可能性を持っている。3)本来「共生」は政治的闘争をも包括する。そのときガンジーの非暴力の概念は共生の視点から極めて有効なものとなる。非暴力による闘争には文字通り誰もが参加しうるからである。正義を実現する手段としての非暴力のポテンシャルを検討することは、「共生」を考える際の必要不可欠な作業となろう。
以上見てきたように各々の発表では多面的な角度から「共生」について考察が加えられており、この概念の問題点がいくつか明瞭に際立ったことが印象的なシンポジウムであった。「共生」にとって、「(正)義」や「闘争」が必要不可欠であるだけではない。さらにそれらの在り方が再考されないかぎり、「共生」は口当たりのよい標語に容易に堕す。しかし「共生」という語をあきらめることもまたできないのであり、そのためには「共生」概念に内実を与える思考の不断の試みが必要である。これが「UTCPは非暴力の闘争を組織する」という小林拠点リーダーの総括の言葉が意味するところであろう。
(報告文:串田純一・森田團)