【報告】 「p4cHI(ハワイにおける子どものための哲学)の現在」
【報告】 「p4cHI(ハワイにおける子どものための哲学)の現在」
2024.08.25 堀越耀介, 古賀裕也
このイベントは、2020年7月11日の「ハワイp4cから何を学ぶのか?」で共有された経験について、あらためて振り返りつつ、更新しながら広げようと試みたものです。
折しも日本全国がコロナ第二波に覆われていた2020年の夏、私たちがそれぞれ隔離された場所からオンラインで見たものは、ハワイ大学客員研究員であった堀越耀介さんと石川直美によるコロナ前のハワイの学校の姿でした。
このイベントで具体的にハワイで学ぶイメージを持てた報告者(古賀)は、幸運にも2024年度からハワイ大学の客員研究員になる機会を得ました。そして、この幸運がもたらすものをなるべくたくさんの方と共有できるよう、ハワイに居るうちに日本からフィードバックがもらえるよう、現在はUTCPで働いている堀越さんに相談したところ、今のうちに「第2回」をやろうという事になったわけです。時期からすると、ちょうど「コロナ前と後のハワイのp4c」ということになりますが、単に4年ぶりのハワイからの便りと考えていただければと思います。
堀越さんの発表は主にハワイの学校での豊富な実践紹介に加えて社会正義や市民教育につながる理論にも触れ、報告者の発表は主にDr. JことThomas Jackson教授と毎日のように会話を交わす中で刷新されて行ったp4cHIの精神やDr. J本人についてのものとなりました。
堀越さんは実際にワイキキ小学校やカイルア高校などの教室に通い、子どもたちや先生と信頼関係を築いてきたことが伝わる写真を用いながら、p4cHIの様々な工夫や、工作物などについて詳細に報告されました。工作物といえば、手と身体を動かすものづくりによる学びを主眼とするHanahau‘oli Schoolが際立っていました。ハワイ語でJoyous Work(楽しい仕事)を意味ハナハウオリ・スクールは、ハワイで最も歴史と格式ある私立学校のうちのひとつで、その草創期にデューイ夫妻の訪問を受けた本格的なプログレッシブ・スクールです。デューイのLearning-by-doingの思想に沿うように、工作物であふれる校舎の写真も紹介されました。p4cについては、ハナハウオリの卒業生で現在はハワイ大学で教えているアンバー・マカイアウ教授らの尽力によって、特別に授業をつくらずとも全授業に浸透しています。こうした高度に探究的な環境の中で、プログレッシブ教育、教師教育、エスニックスタディーズ、社会正義などについてのワークショップなども開かれており、ハワイの教育を牽引する拠点となっています。この伝統的かつ革新的なハナハウオリについて、p4c研究者・実践者でありデューイ研究者でもある堀越さんの視点からの報告を聞けたことは幸運でした。
イベント報告者でもある古賀の発表は、実践よりも理論を中心に行われました。理論と言っても、特にp4cHIを始めたDr. Jの考えを紹介するものと言ったほうがいいでしょう。報告者はDr. Jの授業に初めて出た際に帰り道が近かったため車で送ってもらうという幸運に恵まれましたが、次の授業でも当然のように車に乗せてくれて、気づいたら迎えに来てくれるようになり、いつの間にかDr. Jの付き人のようになってしまったのでした。その経験から、Dr. Jの歴史やリップマンとの交流や鍵概念と思われる”Not in a Rush”や”Safety”などについて私自身が気になっていたことを質問し、その一部を紹介しました。特にGood Thinker's Toolkit(GTTK)をもっと真剣に捉えること、”Safety”と”Not in a Rush”とGTTKの相互関係、そして日本ではまだあまり強調されてないPlayfulnessなどに触れられたことについては発表の意義を感じました。
さいごに、Dr. Jの個人史に触れて報告を終わりにしましょう。2024年4月にイスラエルへの抵抗を示す学生にコロンビア大学のハミルトンホールが占拠されたことは私たちの記憶に新しいと思います。奇しくも1968年にベトナム戦争への抵抗を示す学生に占拠された建物が、まさにこのハミルトンホールであり、その占拠の只中で一般教養のコース長を務めていたのがリップマンであり、自由であった学生たちを徴兵対象にする法律ができて最初に選ばれた世代の中いたのがDr. Jであったのは注目に値することです。徴兵拒否は投獄かつ非国民あつかいなので、彼はカナダに逃れ、誰もやらなかった黒人隔離地区の唯一の白人教師になります。ここで彼のSafetyの感覚が育まれますが、同時に誰もが「学校で傷ついている」”Wounded by school”という現実も深く心に刻まれます。p4cHIの原点が、戦争という国家の欺瞞、そしてそこから逃れてもなお存在していた差別の歴史と深い傷つきの中から生まれたという点を強調することは、ともすれば私たちがp4cを探究学習の手段としてのみ理解し、学びの中にある傷つけに鈍感になることから、私たちを遠ざけてくれるよう願っています。
(古賀裕也)