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【報告】筒井史緒 【standART byond】報告③~Vol.2 「今ここ・右脳と仲良くなる」開催報告

2024.08.17 梶谷真司

 2024年7月28日日曜日、〈「幸福知」のためのアート・ワークショップ・シリーズ standART beyond〉の第二回となる、「今ここ・右脳と仲良くなる」が開催された。

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 ゲストには、「脳と意識を探求するオカン」ネドじゅん氏。
 ある日とつぜん、脳のおしゃべりが忽然と消え、以来、至福の感覚と冴えた直観を生き続けているというネドじゅん氏に、二冊目の著書が発売されたばかりというタイミングで登壇いただいた。
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 今回参加してくださる皆さんに体験していただきたかったのは、「右脳感覚を体感する」ということ。
 本シリーズを貫く主題である「幸福知」の探求にあたって、「右脳的な感覚」は欠かせない要素であると、ずっと考えていたからだ。

 わたしが「幸福知」の「知」に込めたものは、非常に多層的だ。
 ひとくちに「知」といっても、この一語のなかに、sense〈感覚〉、insight〈洞察〉、intelligence〈知性〉、knowledge〈知識・知っていること〉、imagination〈想像力〉、creativity〈創造力〉… などなど、豊かな意味をゆるやかに含みこませている。

 なかでも今回フォーカスしたかったのは、wisdom〈智慧〉、およびcognition〈認知〉というあり方の知であった。なぜか。

 まず〈智慧〉について。
現代日本の生きづらさの大きな要因のひとつに、「知」の意味の狭さがある、とわたしは思っている。いまの日本のスタンダードにおいては、知とは「あるシステムの内部で成果を出すこと」を指す。ありていに言えば、学歴社会で勝てること=賢い、という価値観だ。

 こうした価値観の世界では、コストパフォーマンスとタイムパフォーマンスを高く、期待どおりの結果を計測可能な状態で出せる人が「賢い」と思われ、社会の中で優位に立つ。

 しかし、こうした「知」は、きわめて限られたシステムの内部でのみ成立するものさしでしかない。山口周がアレントを引いて指摘するように、「悪とは、システムを無批判に受け入れること」だ。つまり、もし「知」に「そのシステム自体がほんとうに人類のためになるのか」という視点が欠落しているならば、むしろその影響力の大きさゆえに、社会を損なう力にすらなる。
 たとえば最先端の科学が生み出す知見が、ほんとうに「よきもの」であるかどうかは、その知見のさらに外部に立ち、それを俯瞰し、地球と人類にとって真のウェルビーイングとは何かを不断に問い続ける、より広く高い知性によってはかられなければならないように。

 だからこそ、本ワークショップのタイトルstandART beyondには「既存のスタンダードを超えてゆく」という意味が込められている。知のスタンダードの枠組みを問い直し、より高く、より統合されたものへと昇華させることをもくろんでいるからだ。

 〈智慧〉のために必要なのは、思考能力を鍛えることではなく、知のモードを変えることだというのが、わたしの今のところの結論だ。つまり、世界を分断されたものとしてではなく、統合されたものとして受け取ることができる、認識のモードのチェンジだ。そもそも世界を分断されたものとして受け取ると、それを四苦八苦して繋ぐための思考が必要だ。そして往々にして、そうした思考だけでは、問題はなかなか解決しない。
 分断の奥にある本来の調和を把握することができる、思考を超えた「感覚」があってはじめて、「問題が霧消する地点」へと至ることができる。問題が存在していないレベルでものごとをとらえるモードだ。

 そのカギとなるのが、右脳的なものの見方なのである。

 そして〈認知〉について。
 幸福というのは感覚であり、体感である。だから、頭でいくら損得勘定をして、人に先んじて何かを獲得したとしても、自分の全身と全霊が「ああ、なんて幸せなのだろう」というあたたかな喜びに安らいでいるのでなければ、ほんとうに幸せであるとは言えない。
 体感の欠落した、頭で考えただけの幸福観しか持てずにいると、幸福を追いかけ続けながらも永遠につかめず、けっきょくのところ空虚な人生になりがちだ…、というのが、研究過程で見聞きしたさまざまなケースから、わたしが感じてきたことであった。

 幸福であるためには、幸福を「感じる力」が必要である。それには、幸福を〈認知〉する回路がきちんと機能しているかどうか、ということが非常に大切だ。この力は意識することやトレーニングによっても身につけることができる。

 この「感覚としての幸福を感じる力」を担っているのもまた、右脳なのである。

 こうした点を鑑み、第二回となる今回は、ある日とつぜん右脳優位になり、それ以来幸福感にひたされながら生きているというネドじゅん氏を招いて、右脳感覚を体感するワークをお願いすることにした。

 当日お目にかかったネドじゅん氏と打ち合わせをしていると、ふと「わたしが自らワークショップを指導するのは、おそらくこれが最初で最後だと思います」とおっしゃり、こちらがびっくりしてしまった。

 ふだんはさまざまな専門家とともに活動されているので、ワーク指導のときはその方々にお任せしてしまうのだという。氏はそもそも、大きな講演やオンラインでのご活動が多く、今回のように少人数でじかにリードしていただく機会が貴重だとは知っていたが、「最初で最後」とまではわかっていなかったので、自分で企画しておきながら「なんてレアな機会を作ってしまったのだろう」という驚きからスタートした。

 おおよそ50名が参加したワークショップは、大きく分けて三部に分かれて進行した。

 まず第一部は、ホストであるわたし筒井がシリーズ全体のコンセプトと、なぜ今回右脳体験にフォーカスしたのかを説明してから、ジル・ボルティ・テイラー博士のTEDスピーチを全員で視聴。

 本ワークショップ・シリーズが大切にしているものが、「概念知よりも体験知」「知識よりも智慧」であり、参加された方々が、頭では理解しきれなくとも、この場でたしかに何かを体感し、幸福の感じ方のきれはしでも持ち帰ってくれたら…とお話しする。ネドじゅん氏のリクエストで、わたし自身の一瞥体験もシェアさせていただいた。

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 「地球規模の共生のための〈智慧〉wisdom」と「幸福の感覚の〈認知〉cognition」。こうした〈幸福知〉にとって非常に重要な役割を果たしているのは、どうやら右脳であるらしい、ということを最初に知ったのが、このテイラー博士の伝説的なTEDスピーチだった。

 このプレゼンテーションの内容は、ある朝目覚めてみると、左脳に卒中を起こしており、左脳が機能しない右脳優位の世界が、すべてがあるがままで幸福な、愛と平和と調和の世界であった、というものだ。
 この動画は、参加者の方々に、なぜそもそも右脳の感覚をよびさますことが、幸福にとって重要であるのかを、ワーク前に実感していただけたらという思いで視聴していただいた。左脳モードと右脳モードの切り替えによる世界認知の変化と、右脳世界の至福を生き生きと語るテイラー博士のスピーチは、今回のイントロダクションにぴったりであったと思う。

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 第二部はいよいよ、ネドじゅん氏による最初で最後のワークショップ。大阪訛りのやわらかで軽妙なおしゃべりで、ご自身の体験と、右脳感覚を体感するためのワークをリードしていただく。

 テイラー博士が脳卒中によって至った右脳優位の状態に、病的なきっかけもなにもなしにある日とつぜんなった、というのが、ネドじゅん氏である。
 その日以来、「炭酸の泡がおなかのそこからずうっと上がってくるように」つねに幸せの感覚に満たされているのだ、と言う。

 その感覚を「練習すればだれでも再現可能なもの」として、研究や活動を行っているネドじゅん氏によって、いくつかのシンプルで実践的なワークが行われた。

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 わたし自身、研究の過程で、さまざまな瞑想やワークの実践経験があり、ご著書なども読んでいたが、やはり、実際にその場でリードしていただくと理解度がまったく変わる。

 実はこの、「実際にその場でその人から渡されるものの力」を体感していただくのが、今回の大きな目的のひとつであった。ネドじゅん氏はさまざまな媒体(インターネットやラジオ、書籍など)での露出が非常に多く、発信された情報自体に触れることは比較的簡単な方である。
 しかしその多忙なネドじゅん氏に、わざわざ現地までお越しいただいた理由のひとつは、実際に右脳優位で生きているご本人の存在から放たれるなにかを、わたしたちが受け取り体験することができるように、という思いからだった。

 これはなにも、ふんわりしたオカルトな話ではない。五感は実は、顕在的に意識できる何倍もの膨大な情報を受け取り、それに反応している。「あれが見えた」「こんな音が聞こえた」と頭で把握できる何倍もの情報量を、じつはわたしたちは無意識レベルで受け取り、無意識レベルで反応しているのである。

 「知」のなかにsense〈感じること、感覚〉、という意味も込めているのは、こうした知らず知らずのうちに認知しているものも含め、人間の知として考えたいからでもある。人間の可能性を最大限に広げてとらえてゆくことで、わたしたちは本来の力を実際にとりもどしてゆくことができるのだと思う。幸せになる力も、幸せな社会を創る力も。

 そして今回のいちばんの収穫もやはり、この、「実際にネドじゅんさんがいることによって可能になった体験」であったと思う。わたし自身も、情報として知っていたワークを、これまでとはまったく違った体感をもって体験することができたし、会場の参加者の方々の感覚が喜びにひらく瞬間などを感じることもできた。

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 第三部は、質疑応答タイムとなったが、参加者の方々の熱意のおかげで、非常に質の高い質問があいついだ。自己探求の過程で理解がむずかしく大きな壁になりやすいポイントや、感覚が研ぎ澄まされる過程で生じやすい疑問などが、たくさんの参加者からつぎつぎと出され、それらのすべてにネドじゅん氏が軽やかに答えてゆかれた。
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 ふつう質問への答えというのは、論理的につじつまの合うものであることが多い。しかし、「右脳モード」から発されるネドじゅん氏の答えは、論理的なつじつまよりも、頭ではわからなくとも深いところで腑に落ちる、といったタイプのものであった。もし、この同じ答えを文章で読んでも、きっと「?」とよけいに分からなくなってしまったのではないだろうか…と感じる回答も多かったが、あの場で、いつもより右脳モードの状態で受け取ることで、頭(左脳)での理解を超えた、身体での理解とでもいうべきものが体感された。なかには、人生の転機となるような、非常に大きな気づきを得た参加者の方もおられた。

 禅問答の問いは、不条理でとんちんかんである。その奇想天外な問いは、きっちりと論理的な答えを出させるためのものではない。あまりのことに思わず思考が停止してしまう、その瞬間、あわよくば、何も考えられなくなった左脳に、空白を生じさせるためのものだ。だから禅のめざす究極の知「悟り」はまさに、右脳によって世界を理解するということでもある。
 今回の質疑応答は、この禅問答に近しい、論理を超えた理解が生じた、非常に貴重な場となった。

 以上が、当日の報告である。ワークショップ後も熱気はおさまらず、あとからあとから参加者の方がネドじゅん氏と言葉を交わすために集まっていた。

 ありのままをことほぎ、愛しあい、広く高い視野で、よりよい共生と調和を目指す。〈幸福知〉の探求が目指しているのは、たんなる個人の一時的な快楽ではなくて、こうしたより純度と視座の高い、幸せで優しい社会のビジョンだ。
 今回のワークショップの体験が、参加者の方々それぞれのウェルビーイングと、日本の優しい未来とを、深いところで養う、滋味深い大地となってくれることを願っている。そして、日本の知のスタンダードに一石を投じる、ひとつの可能性となってくれることもまた、心から願ってやまない。
(報告:筒井史緒)

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