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【報告】 個人の選択で、社会は変わる? ー 気候正義のためにわたしたちにできること(シリーズ「企業の政治的責任と公共性を考える哲学 Vol1)

2024.06.18 堀越耀介,

【報告】 個人の選択で、社会は変わる? ー 気候正義のためにわたしたちにできること(シリーズ「企業の政治的責任と公共性を考える哲学 Vol1)

2024年4月17日、シリーズ「企業の政治的責任と公共性を考える哲学」第一回目のイベントを開催した。このシリーズは、個人や企業の社会的責任、さらに政治的責任を問い直すことで、あらためて「公共性」について考えながら、哲学の可能性について対話を深めることを目的にしている。オーガナイザー(兼モデレーター)は、UTCP研究員の堀越耀介と、このレポートを書いている田代伶奈(FRAGEN代表)である。

初回は、「 個人の選択で、社会は変わる? 」をテーマに、国際環境NGOで働く渡辺瑛莉さんをお迎えし、「気候正義」のためにわたしたちに何ができるか?を議論。オンラインで参加者とも対話を行った。渡辺さんは、オーストラリアのメルボルンに拠点を置くNGO「マーケットフォース」 という環境団体のスタッフ。日本企業、特に金融機関や大手銀行に対して、気候変動対策を加速するように働きかけを行っている。

渡辺さんとは、打ち合わせ時から意気投合をし、このまま配信しちゃえばよかった...!と大いに盛り上がったことを覚えている。当日もさまざまな観点からお話しいただき、「責任」について考えを深める機会になった。簡単に報告したい。

(「⚫︎」の印は、今回のイベントで出た問いや新たな視点、疑問であり、このシリーズで引き続き考えていきたい論点である。)

企業の責任とは何なのか?田代の問題意識

最初にこのシリーズが発足した問題意識を簡単に書くと、企業における「責任」とはなんなのか?誰がどこまでどのように負うべきものなのか?という問いはなんとなく共有されているものの、実のところ議論が十分にされていない、ということだ。私自身、去年はじめて熊本県水俣市に滞在し、水俣病事件について教科書以上の言葉、現場で生の声を聞いたとき、自分の、そして企業(水俣病事件では「チッソ」)の、国や行政の「責任」ということをどのように考えるべきなのか、わからなくなり、おろおろした気持ちになった。

CSR(企業の社会的責任)という言葉が聞かれて久しいし、SDGsやサステナビリティといった言葉の流布によって「なんとなくよいことをした方がよさそうだ...」という空気はあるものの、 行き詰まった資本主義社会やその結果としての気候危機、格差拡大や差別問題、民主主義を脅かす政治的な諸問題は深刻さを増している。モラルなき企業文化が目先の利益のために、なにを犠牲にするのか?私たちは、歴史を見てきたのだ。

まず、「企業の責任」と言っても、さまざまなあり方がある。イベント冒頭に報告をした。

1.「社会的課題の解決は全ての企業も平等に取り組むべき」:社会的な・公共的な観点
2.「企業は利益の出る範疇で社会的課題に取り組むべき」経営・戦略論的な観点
3.「企業を通して社会課題を解決。ビジネスも手段にできる」:ソーシャルビジネス的な観点

⚫︎社会課題を解決するための主体ではない「企業」。社会的なインパクトを与えることを重視しても、資本主義・新自由主義的な経済体制の中で、しかも私企業である以上、公共政策に関心を持つべきだ、というのは無理があるのでは。

⚫︎とはいえ社会的責任の一旦を担う企業において、「利潤追求」と「社会正義」では後者が大事にされるのは当然ではないか。

⚫︎儲かるCSR、儲かるSDGs、儲かるサステナビリティ、いわゆるSDGsウォッシングをどう考えるのか?脱政治化した巧妙な目標を立てる企業文化をどう変化させていけるのか。

哲学実践が企業に寄与することとは?堀越さんの報告から。

UTCP研究員の堀越さんは、普段から企業で哲学対話などの実践を行ったり、企業の人事研修や方針・理念の策定に関わっている。ご自身の活動報告に加えて、そこで感じる問題意識が共有された。それは、哲学実践を企業に取り入れていく流れが活発化している中で、 なかなか政治的責任・社会的責任といった核心的な議論までは踏み込めていないという現状である。哲学者はどのような形で企業に寄与できるのだろうか。

例えば、欧州・北米では
哲学コンサルティング
トレンドが広まり、
“CPO(チーフィロソフィーオフィサー)” ポストも出現しているという。哲学の専門性を有する人が、企業で活躍し始めたのである。ドイツでは企業に倫理学者が入って方針を決定していくという流れもある。遅れて日本でも哲学が企業に取り入れられる事例は増えている。

⚫︎急に倫理の話をするのは難しい。そのような依頼は来ない。一見関係ないテーマで哲学対話をしていても、「社会的責任」という話になることがある。これが哲学の力ではないか。

⚫︎概念をうんぬんするのが哲学なので、私たちはもっと「概念」に関わっていけるはず。企業の炎上・コンプラ対策にも哲学や倫理学が役に立つはずでは。

⚫︎哲学者や倫理学者が企業内で具体的な提案をしていく必要を感じるが、問題は2点。①哲学者がいるから意識高い会社ですよ、と哲学が使われるのはよくない。また、倫理学者が倫理的であるとは限らないので、哲学にどこまで期待できるのか怪しい。

なぜいま「サステナビリティ」なのか?会社と社会を変える“株主提案”とは?渡辺さんの活動紹介から。

いま企業はなぜ「サステナビリティ」をうたい、特に気候変動対策を進めなければいけないのか。渡辺さんから2つの視点が提示された。1つは、消費者の視点。持続可能な未来を考慮したものを、消費者が選ぶようになっているということだ。世界を見ると、Z世代などこれからの消費行動を支えていく世代(気候変動の影響を最も受けやすい世代)の消費行動は明らかに変わっているという。2つ目は企業側の視点。科学者も警告しているように、二酸化炭素や炭素の排出量を減らしていかないと、私たちは地球に住めなくなる。つまり、企業の「存続」も「利益」もなにもない、ということだ。生存のためにも、ビジネスモデルの転換が急務だとはいえ、問題は、パリ協定の1.5度目標も努力義務であって、政府や企業に対する罰則規定や強制力がないということである。

渡辺さんが所属するNGO「マーケットフォース」は、気候変動を助長している企業活動への「資金の流れ」を止め、それによって気候変動を解決に導くことを目指している。企業やメガバンクは、私たちが預金した資金を運用し、化石燃料や関連事業に再融資する。その流れを止める活動だ。

渡辺さんたちのこれまでの実績として、市民とともに働きかけたことでオーストラリアの4大銀行が2030年までに発電用の石炭(一般炭)の融資を0にすることを約束したという事例が、イベントでも報告された。渡辺さんたちは、オーストラリアだけではなく、日本の商社や電力会社、金融機関やメガバンクにも働きかけを行っているという。方法は、「株主提案」という独特な手法だ。企業の株を買い、 株主として株主総会に出席し、気候変動対策を強化するよう提案を出す。ほかの株主の賛同や支持を得られれば、取締は役会が企業の運営に反映せざるをえなくなる。

日本政府はいまだに石炭火力発電所の廃止の期限を決めてない唯一のG7の国だが、日本にも成功事例がある。2020年、日本の気候ネットワークが最初にみずほ銀行に株主提案をしたさいに、みずほ銀行は、日本企業として石炭火力への融資を0にすることを初めて発表した。この発表が、他のメガバンクにも広がった。「株主提案」という手法はその際の大きなきっかけとなっている。実際に、環境や人権侵害の問題のあるプロジェクトから日本の企業が撤退をしている。

気候変動対策への市民の意識は欧米と日本とでは比べ物にならないが、金融業界では、「ドミノ倒し」的に変化が起きている。担当者の反応や企業の風通しが徐々によくなっていることを感じていると渡辺さんはいう。

⚫︎消費者として、私たちひとりひとりに責任があるのか。何を買うのか、何を選ぶのかが全部投票行動であり、どういう地球で生きていきたいかの意思表示である。→お金をどこに預けるのかも「選択」である。個人として、どの銀行に預けるかを選ぶことができる。なんなら選ぶ責任がある。

⚫︎そのためには情報公開や透明性が大事。市民セクターが強くなることも大事ではないか。

⚫︎気候変動の問題は、影響を受けやすい当事者だけが考えなければいけない問題なのだろうか。社会的に弱いとされている人たちが、真っ先に被る被害である限り、ただの環境問題ではなく人権問題である。

私の責任はどこにあるのか?渡辺さんの話を受けて議論。

渡辺さんの報告を受け、オンライン参加者とともに議論を行った。テーマ「 個人の選択で、社会は変わる? 」に戻り、個人と社会の責任のあり方を考えた。

⚫︎気候危機という構造的な不正義に、「私」個人はどこまでの責任があるのだろうか。「みんなが共に責任を負っている」と考えないと解決しないのではないか。

⚫︎「政治的な責任」こそ、まさに翻って私たちひとりひとりの責任では。

⚫︎自分も責任を担う一員だという考えは悪くはないが、トップ何百企業がCO2の9割を出しているような状況で、彼らを変えないといけないことは明らか。どう彼らを変えるのか?のアプローチが必要。

⚫︎責任を「Responsibility(応答できる力)」と捉えることで、もう少し考える幅が広がるのではないか。責任により反応しなければいけない人たちがいる。責任をフラットにしない。応答しなければいけないレベルは企業と個人では違う。だが、呼びかけられなければ応じなくていいのか?という問題もある。

⚫︎低所得者層がマックを選ぶ、という傾向について。(環境問題や大企業資本主義に加担している)その人に責任はあるのか。個人の消費行動の責任をどこまで問うべきなのか。

⚫︎企業にいる「個」をどう捉えるのか。自分の所属する会社に対する社員の責任はどこまであるのか?就職も選択のひとつだが、企業や法人の目的に個人の責任があるか。

⚫︎伊藤忠商事が2月5日、子会社を通じてイスラエルの軍事企業エルビット・システムズと結んだ協業に関する覚書(MOU)を2月をめどに終了すると明らかにしたことについて。デモでは就活生に対する啓発活動も行われていた。軍需産業に手を貸すな、と「個人」に呼びかけるのはよい動き。

⚫︎自分が所属している会社や団体が、直接人殺しに関わっている場合は、「個人の責任」の範疇としても カウントしていいのではないか。気候変動でも、ひとは死んでいるので、やはり多くの人に責任が生じている。

⚫︎とはいえ個人でできることには限界がある。労働組合を強くする必要があるのではないか。

⚫︎社会を変えるためには政治を変えることが必要。だが、企業が変わらないとなかなか政治や政策が変わらないのではない。

⚫︎自らの責任をきっちり問える人たちが、企業の意思決定を変えて行ってほしい企業が利潤追求よりも大事なものは何か?そのことをきちんと考えられる社会であるべき。

⚫︎私たちが思考を手放すときに、やりがいがない、ということがある。「働く」ということについて企業内で対話することが、結局責任を考えることにもつながるのではないか。

⚫︎「社会的責任をとる」や「社会のために」と、聞こえのいいことを並べることで、逆に逃げ道をつくっているのではないか。本当に責任を負うべきこととそうではないことがわからなくなる状況の危うさがある。

⚫︎哲学者が企業に入るのもいいが、哲学の強みは「対話の重要性」。小さな企業、学校、団体単位で対話が起きていくっていうことが、より重要。哲学することは、「私」が個人として考えること。そのような時間が大事なのではないか。

⚫︎企業との「対話の道」を開いていくのは、いかに可能か。

次回以降の予定
哲学者は企業をどう変えられるのか?実際企業で働く哲学者をお呼びして考えます。また、「ソーシャルグッドは、政治を変えるのか。広告業界の方をお呼びして、広告やマーケティングの視点から、企業の責任について深堀りします。

(田代伶奈)

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