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【報告】智頭町訪問その2――智頭の歴史・生活とワークショップ

2024.04.09 梶谷真司, 宮田晃碩, 山田理絵, 桑山裕喜子

 3月15日(金)から17日(日)にわたる智頭出張の2日目、私たちは午後からパン屋・カフェ・ホテルを営業している「タルマーリー」で開催された「第3回 耕読まちづくりカフェ」に参加した。UTCPからの参加者は梶谷真司先生、山田理絵さん、桑山裕喜子さん、そして報告者の宮田晃碩の四名である。斎藤幸平先生は体調不良のため現地でのご参加がかなわず、オンラインでご参加いただくこととなった。またその前の時間には「石谷家住宅」と、町中から車で10分あまり山へ入ったところにある「板井原集落」を見学させていただいた。

 智頭は特に江戸時代、因幡国から江戸までの参勤交代の第一の宿場町として栄えた。その宿場町のほぼ中央に石谷家住宅がある。石谷家は元禄時代初めごろに鳥取城下から智頭に移り住み、大庄屋を務め、その後地主経営・宿場問屋を営むようになったという。明治・大正年間には石谷伝四郎が山林経営と農民金融を発展させながら衆議院議員、貴族院議員にも選出されている(以上、石谷家住宅HPより)。そうした繁栄を伝えるのが石谷家住宅である。

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 屋敷の門をくぐり玄関口で入館料を払うと、普通の一戸建てならすっぽり収まってしまいそうなその空間が土間であることにまず驚く。ここで福本昭夫さんと会い、邸内をご案内いただいた。福本さんは前日にも智頭の文化事業についてお話しくださったが、この日はガイドの名札を下げてまるで講談師のような軽妙な語りで各部屋や庭の意匠、それにまつわるエピソードを紹介してくださった。外から見ても立派な屋敷だと感嘆するが、内側を見ればあれは○○杉、これは○○杉と全国の杉材が使われていることも、部屋の作りや調度、訪れた人のエピソードも、いかにこの家が豊かで各方面とのつながりを持っていたかを物語る。文化財としての価値と同時に、私たちは福本さんの知識にも圧倒されたのだった。

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 次に岡田憲夫先生、山泰幸先生に「智頭の桃源郷にお連れします」と案内していただいたのが板井原集落である。山の中の細いトンネルを抜けて小さな渓流をわたり、その流れを右手に見ながらすこし遡ると、川に庇をかけるようにして数軒の古民家が並んでいるのが集落のいわば外縁で、橋を歩いて渡ればその集落の内側へ入ることになる。

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 隠れ里らしく藤原姓が多かったというが、現在住んでいるのは二人ばかりである。養蚕や炭焼きで栄えた昭和30年代の山村の様子をよく残しているとして鳥取県の伝統的建造物群保存地区に指定され、保存の努力が続けられてきた。約3年前にオープンしたカフェ「和佳」の隣には「板井原ふるさと館」が併設されており、小さな空間ながらジオラマや住民への聞き書きなど充実した内容の展示がある。そのパネルによれば、居住者が(1名の地域おこし協力隊を含めて)3名になってからも、智頭の中心部に転居した元住民がいわば通勤することによってこの集落を管理し、行事を続けてきたのだという。この日は苧麻から糸を作り草木染めを行っている工房「草縁」でもお話を伺うことができた。主宰の荒井よし子さんは2015年から板井原集落に住み始めたという。秘境のようだがここには現実の時間が流れ、糸を撚るように生活が続いていた。

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 町に戻り、古民家をリノベーションした "tomarigi" でカレーを食べ、タルマーリーに戻ると既に20名ほどが集まりめいめいに座っていた。前日と同じカフェスペースでの「耕読会」、そして特別企画として「いまここで、このとき、共に地域を語る」と題した「リレートーク」、その後には懇親会が予定されている。
 耕読会とは岡田先生が約30年にわたり年に4回ほどのペースで主宰してきた読書会で、毎回本を決めて語り合うのだが、必ずしも通読していなくても構わない。「本の周りで話し、言葉を見つめ直すやりとり」が趣旨であるという。もともと岡田先生が鳥取大学から京都大学に移られる際、智頭との関係を絶やさないという意図もあり、様々な関係者の交流の機会としても、各地で開催しながら年に一度は智頭で開催しているという。2年ほど前からはタルマーリーがその会場になっているのである。取り上げる本は大抵2冊なのだが、この日は著者をゲストに迎えることもあって3冊指定されていた。梶谷真司『問うとはどういうことか:人間的に生きるための思考のレッスン』(大和書房、2023年)、斎藤幸平『人新世の「資本論」』(集英社、2020年)、そして米原万里『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(KADOKAWA、2001年)である。
 鈴木裕二先生の司会で耕読会が始まるときにはどうやら30名ほどが集まっていた。斎藤先生は残念ながら現地に来られず、オンラインでの参加である。ほかにも数名、遠方からオンラインで参加されていた。参加者は智頭に住む人もいれば、大学関係者やタルマーリーの関係者、縁があっていつも耕読会に参加している人などさまざまである。

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 耕読会ではまず梶谷先生、斎藤先生からそれぞれ自著解説とメッセージが語られ、次いで全参加者がひとことずつこの三冊のいずれか(あるいはすべて)について感想や問いを話し、その後著者を交えてのやりとりが交わされた。ひとりひとりの発言にたっぷり時間が与えられ、それぞれのペースで語られていたことが印象深い。
 『問うとはどういうことか』は、問いについて徹底的に解き明かす本である。問いの機能や分類を整理して考察しているのだが、あらゆるトピックにわたって具体例が挙げられており、実際に問いを立てるための方法や問いをもって現実の問題に取り組む方法にも独立した章が設けられているのが特徴である。そうした意味できわめて実践的な本と言える。参加者からは、特に最後の「いつ問うのをやめるべきか?」という章に心を動かされたという声が多く、なかには自身の悩みや不安をそれとして受け止める支えになったという人もいた。実際のところ、梶谷先生はこの章を書くためにそれまでの章を書いたと言っても過言ではないのだと明かした。たしかに問いに関して最も問題なのは、それをどう始め、どう終えるかという境界の部分なのかもしれない。他の人が問うていても自分には問題のポイントが分からないとか、逆にどうすれば自分の問いを他者と共有できるのか悩むといったことはよくあるだろう。そうした「問いについての問い」を共有するなかで、私たちそれぞれの時間が重なり合うように思えた。
 『人新世の「資本論」』は、資本主義の枠内で「持続可能性」を追い求めることの欺瞞を指摘し、マルクスの思想を新たに読み解き、〈コモン〉を手がかりに脱成長の理論と実践を提唱する新書である。著者の斎藤先生は過去にタルマーリーの渡邉格さん、麻里子さんと対談もされている(そのうち一回は2023年4月1日にUTCPで開催したイベントである)。
 今回は斎藤先生と参加者とのあいだで、グローバルな規模での脱成長についてのみならず、タルマーリー等におけるローカルな実践についても語り合われた。脱成長にとって欠かせないのは、生産手段を見直すことである。単に経済規模を縮小するのではなく、生産手段を自然の循環に合わせたものへとシフトしていかねばならない。その点で、野生の菌にこだわり人間と自然が織り成す環境に目を凝らしながらまちづくりに関わるタルマーリーの実践は示唆的である。とはいえ、ただ各地で点々と有意義な活動が行なわれているというだけでは、地球環境を守ることはできない。だからこそ自分は様々な現場に足を運んだり、森を共同購入して共有財産として管理する「コモンフォレストジャパン」の活動を立ち上げたりしながら、一方ではやはり理論をもって政治・経済界に訴えつづけているのだと、斎藤先生は語った。議論はローカルな活動と市場との関わりや、いったいどれほどの人に訴えれば世の中は変わるのかといった点にも及んだ。どうすればマジョリティが「問う」ようになるのかという話題が挙がったのは、上の『問うとはどういうことか』とあわせて取り上げたからこそだろう。
 もう一冊の『噓つきアーニャの真っ赤な真実』は、ロシア語通訳の仕事をしながら作家として多くのエッセイを残した米原万里が、少女期に通っていたプラハのソビエト学校での級友たちとのエピソードを思い出しながら、各地に散って連絡も途絶えていた友人たちを尋ね求めるという作品である。ソビエト学校には各国から共産党の代表者の子女が集まっており、彼女らの語る望郷愛国の思いは無邪気で切ない。その万里のルーツは、ここ智頭なのである。石谷家の向かいには現在も米原家の屋敷があり(こちらは文化財に登録されているが公開はされていない)、作品の中で万里は父親の実家に遊びにいくたびその生活の豪奢さに驚いていたという記憶を綴っている。ソビエト学校の級友には、共産党幹部の家族として豊かな生活を送る少女もいたが、その矛盾に割り切れない思いを万里が抱く背景には、自分の父親が智頭の名家を飛び出し地下活動に身を投じたという事実への尊敬がある。この作品が今回選ばれたのは、智頭との関連に加え、「コミュニズム」を介して『人新世の「資本論」』と関連するということもあった。

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 「耕読会」からの続きで、「いまここで、このとき、共に地域を語る」と題された「リレートーク」の時間が設けられた。ここでは私たちUTCPのメンバーが智頭を初めて訪れた者としてその印象を語り、続いて渡邉格さん、麻里子さんと、格さんのご両親、そして智頭に住む方々、山先生、岡田先生がそれぞれ考えるところを語られた。私の印象に残っているのは、そこで「智頭について語る」という語り方がほとんどなされなかったことである。それよりもむしろ、智頭で様々に活動してきた個々人のエピソードが交わされ、それが智頭というフィールドを作る一本一本の糸になっているのだという印象を受けた。そして前日から私が感じてきたのが、語り手の多彩さである。岡田先生は研究者として40年近く智頭に関わり、間違いなく智頭のまちづくりの中心人物のひとりであるが、それよりも前から智頭で活動されてきたエネルギッシュで魅力的な方々がおり、それぞれにここ数十年の変化の捉え方がある。そうした複数の視点や語りが、対立するのでもすれ違うのでもなく、一つの場に共有されていることは貴重なことだと思われた。
 この日の会の締めくくりに岡田先生は、こうして集まり語り合う「コミュニカティヴ・スペース」こそが〈コモン〉なのだと語った。この〈コモン〉は、人々の交流によってすこしずつ変形し、そうして醸された〈コモン〉が今度は訪れる人を変化させてゆく。そのような力動的な〈コモン〉である。その場にどれほど寄与しえたのかは心もとないが、なにかが私の内でも変化しつつあるのだろう。それを確かめるためにも再び智頭を訪れたいと私は思った。懇親会の場でも、美味しいパンとビールを囲みながら語り合うにつけ、また新たに輪を広げて再訪すべき理由が次々と見つかったのである。言葉を交わすなかで、未だ言葉にならないものがふつふつと醸成されてゆくような時間であった。このような場に招じ入れてくださった皆さまに心から感謝申し上げたい。

(報告:宮田晃碩)

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