【報告】多田夏希 国際哲学オリンピック オリンピア大会に参加して
こんにちは。第31回国際哲学オリンピック(IPO)に日本代表として出場させていただきました洗足学園高等学校3年の多田夏希です。
大変光栄なことに、私がIPOに参加するのは今回で二度目でした。二度のIPO出場は、私にとって何にも代えがたい大切な経験で、このような機会を与えてくださった国際哲学オリンピック日本組織委員会の先生方(梶谷先生・榊原先生・林先生の御三方)と上廣倫理財団に、この場を借りて改めて感謝申し上げます。
昨年度の報告は私が一度目(あの時はまさか二度目の出場が叶うだなんて夢にも思っていませんでしたが)のIPOで感じたことを懸命に書き留めたものですので、稚拙な文章ですがそちらも是非読んでいただければ幸いです。この報告では、前回大会に参加してから私に起こった変化や、今大会で感じた成長についても皆さんと共有できればと思います。
さて、今大会はギリシャのオリンピアで開催され、世界49カ国から代表生徒が集まりました。哲学発祥の地といわれるギリシャに行けるのを、昨年度のリスボン大会に引き続き、とても楽しみにしていました。加えてオリンピアはオリンピック発祥の地であるということで、「競争の公平性」について考えるプログラムも多数組まれており、充実した経験になりました。
大会初日の夜に開会式があり、翌二日目には早速エッセイライティングが行われました。IPOでは、その場で与えられる課題文4つのうちから1つを選択し、母国語ではない言語で哲学エッセイを執筆します。(今までの大会のものも含め、課題文は国際哲学オリンピックのホームページに掲載されているので、是非見てみてください)私は以下の課題文を選びました。
Having accepted the principle of equality as a sound moral basis for relations with others of our own species, we are also committed to accepting it as a sound moral basis for relations with those outside our own species, the non-human animals.
Peter Singer, Practical Ethics (1979)
日本語に意訳すると、
平等の原則を、私たちと同じ種に属する他者との関係において安定した道徳的基盤として受け入れた以上、私たちは、私たち以外の種のもの、つまり人間ではない動物との関係においてもそれを受け入れることに努めている。
などとなるでしょうか。
私は、人間同士の平等の原則を人間と動物の関係にも適用できるのかについて論じました。平等とは脆弱で相対的な概念であるため、それが保障されるためには共同体のメンバー全員が同等な責任を負い、また自らをそのような主体であると認識している必要があるということを、(1)人間と動物はそれぞれ共同体の構成員として、社会に対してどのような責任を負っているのか、(2)なぜ人間は動物を人間と同等に扱いたがっているのか、(3)法律が理解できないかつ法律によって自由が奪われることがない動物を、人間の法の下で保護する意義とは何か、の3つの論点から論じました。結果として入賞することはできず悔しい気持ちでいっぱいですが、今まで先生方に教えていただいたことや対話の中で仲間から得たことを思い出して、2年間の練習の成果を精一杯ぶつけることができたと思っています。
今大会のテーマの「競争の公平性」とは、「全員生まれ持ったものが違う(すなわちスタートラインが違う)のに、同じルールで、同じ土俵で戦うことにどのように公平性を保障するべきか?」「勝利に値する人とはどんな人か?」といったことです。私自身受験生になり、日々模試や定期考査の結果を見ながら厳しい「競争」の現実に直面しているため、実体験をもとにたくさん考えることができました。やはり競争は公平であるべきと思う一方で、皆のスタートラインが違うからこそ生まれる努力や才能もあるのだと感じます。それぞれの得意や苦手が違うからこそ、自分とゴールとの間の距離に愕然としたり競争相手に脅威を感じたりしながら、目標に向かって頑張ることもあるのではないか。周囲に惑わされるのではなく自分と向き合うことが勝利への近道なのではないかなど。
私は現在高校3年生なので、今大会は私の学外活動のフィナーレでもありました。学校の外に飛び出て経験する非日常は、机に向かう勉強では知りえないことを、毎回私に教えてくれました。例えば、色々な人と知り合ったり色々な思想に触れたりすることの大きな意義の一つは、「寛容さ」を身につけることだと考えるようになりました。自分とは全く違う考え方や文化を持つ人を「自分とは違う」と見るのではなく、「そういう考え方もあるよね」「何か共有できることはあるかな」と、互いをありのままの姿で受け入れる姿勢を持つことが大切なのだと、IPOで出会った友達が示してくれたからです。IPOでできた友達は、話す度に愛にあふれた言葉をくれ、今でもお互いの節目を心から応援し祝福するような、素敵な人々ばかりです。どんな発言をしても必ずそれを受容してくれて、誠実に返答してくれるような寛容な人で溢れる哲学という場は、やはり多くの人の「救い」であり続けるのでしょう。
私にとっても、哲学は救いです。一つ目の理由は、「哲学好きの高校生」という(日本では特に)ややニッチな存在としての孤独を、国内だけでなく世界中の哲人と分かち合えるということです。大会中に何度「それ私だけかと思った!(I thought I was the only one!)」と聞いたことか。学校などで哲学の話をすると「難しいこと考えてるね」「考えたことなかった」と返されることがありますが、そういうことばかりを考えている人たちと話すと、やはりニッチなのも楽しいなと思えてくるのです。二つ目の理由は、いかに偏狭なものさしで物事を判断していたのかを気づかせてくれるということです。 小さなことで自分を追い詰めたり、膨大なタスクをコントロールできないことに落ち込んでいたりするときは、哲学から学んだことを糧に、最終的に何にたどり着くために目の前のことに取り組んでいるのかを思い出すようにしています。
二度のIPOへの参加を通して、ポルトガル・ギリシャというなかなか訪れる機会のない国の魅力を自分の肌で感じ、世界のバイタリティ溢れる哲人たちとの会話から本当に多くを学びました。二度の旅は、私にとって本当に夢のような経験でした。
最後になりましたが、IPO 2023 Organizing Committeeの皆様、このような素敵な大会を用意してくださりありがとうございました。また、国際哲学オリンピック日本組織委員会の先生方、上廣倫理財団の皆様、私のことを二度も日本代表に選出してくださり、引率をしてくださり、そしてなにより私のことを信じ続けてくださり、本当にありがとうございました。実力不足で、受賞という形で恩返しできずに、本当に悔しいです。これからさらに日本の高校生の間で日本倫理哲学グランプリそして国際哲学オリンピックが広まるように、この経験を多くの人に伝えていくことで、僅かながらこの感謝の気持ちを形にしていきたいと思います。
これから日本倫理哲学グランプリそして国際哲学オリンピックに参加しようと考えていらっしゃる方々は、それはそれは楽しく忘れられない思い出となり、必ず将来の糧になりますので、是非挑戦してください!もちろん、哲学サマーキャンプやウィンターキャンプに参加するだけでも十分に価値のある経験であり、多くの学びがあるはずです。
私の報告を読んで、一人でも新たな一歩を踏もうと考えてくださる方がいらっしゃれば嬉しいです。最後まで読んでいただきありがとうございました。