梶谷真司 邂逅の記録127 奇跡が自然に起こる場所――名古屋駅前の着ぐるみ街頭活動に1年以上通って(2)
〇団体の活動内容
団体の活動は、大きく街頭活動(アウトリーチ)とスポーツに分けられる。街頭活動はさらに募金と交流からなる。そのさい着ぐるみを着るというのが、この団体のユニークな点である。それだけでメンバーの一人になれるし、初めてでも人々の注意を惹き、警戒感を和らげられ、子どもに手を振り、振ってもらえる。
また募金は、上でも書いたように、どこか別のところにいる“恵まれない人”に対するものではなく、団体の活動に対するものである――「子どもの非行防止や居場所づくりの活動を行っています。よろしかったら街頭募金にご協力お願いします!」と、道行く人に呼びかける。
交流はメンバーから通りがかりの人に声をかけたり、興味をもった人から声をかけられたりして話をする。相手は同年代の高校生や大学生。話す内容は、最初は団体の活動、その後は相手のこともある程度聞くが、基本的には他愛もないおしゃべりである。街頭活後の後は、事務所に戻ってまたおしゃべりをしたり、トランプやボードゲームをしたりする。
もう一つの活動のスポーツも交流の一つで、バドミントンやフットサルが多い。これが街頭での募金や声かけと同列に並べられるのは、奇異に思われるかもしれないが、いずれも若者の居場所づくりとしての意味をもっている。街頭活動が苦手、もしくは興味がなくても、メンバーどうしで楽しめる。
こうしていろんな参加の機会を作ることで、より多くの人たちが過ごしやすいようにしている。ただこれだけと言えば、これだけである。ところが、ここでは普通では考えられないようなことがたくさん起こる。
〇分からないこと、驚くべきことの数々
相当な工夫や努力をしても、普通は実現しないこと、それでいてなぜそうなるのか分からない驚くべきこと、つまり言葉の通常の意味での“奇跡”が、ここではごく普通に、当たり前のように“起こる”。しかもさらに驚くのは、メンバーの誰も、そんなたいそうなことをしていると思っていないことだ。その一端を紹介しよう。
-誰が来るのか、当日にならないと分からない。
一回目でLINEに入れてもらったので、メンバー間のいろんなやり取り、連絡を私も見られるようになった。そのやりとりにも驚いた。いつも鍵を開けるMさんが「今日誰が来る?」と聞くと、「準備から行けまーす」(だから事務所に来る)とか「少し遅れるので直接街頭に行きます!」とか連絡が入る。
街頭活動は毎週のことなので、バイトのシフトのように、ある程度は担当日を決めて、極端に少なくなったり、一部の人に負担が集中したりしないようにするものだと思っていた。だが、この団体のメンバーは、その日にならないと、誰が来るのか分かっていないようだった。
ボランティアと言うと、えてしてお金をもらっていないことが強調され、本来の意味の自主性は忘れられがちである。表向きは自主的だと言われても、どこかに強制力が働く。それに対して、ここのメンバーは本当に自主的に来ている。来たい人が来られる時に来る。担当も決めていない。名古屋以外の町に住んでいる人も少なくない。それでも毎週(!)10人以上集まる。
彼らはなぜ来ているのか? どうしてこれで成り立っているか?――1年以上たった今でもよく分からない。
-知り合った人がいきなり着ぐるみを着る
街頭での声かけと言ってもいろいろである。通りがかりの人に声をかけることもあるし、団体やメンバーのツイッターやインスタで活動を知って興味をもった人が見に来て話が始まることもある。見に来ても恥ずかしがって自分から話しかけられず、声をかけられるのを待っている子もいる。
そうこうするうちに、その日に知り合った人がその場で着ぐるみを着て、声かけを一緒にやることもある。ここですでにメンバーと区別がつかなくなっている。このことは、荒井さんの本に書いてあったので、その点で意外ではなかったが、こんなにあっさり起きるとは思わなかった。
-路上生活をする人たちとの交流
私が初めて行った時に女子高生とハグしていたのは、Oさんというおじいさんである。後に路上生活を30年続けていることが分かった。彼以外にも同様の人たちが何人か近づいてくるが、メンバーが話をするのはOさんくらいで、他の人は避けられている。ただし、話をしないというだけで、物理的に距離をとったりするわけではない。
もっとも活動の初期は、まったく関わらないか緊張関係にあって、現在のようになるには2年くらいかかったらしい。今や彼らと一緒にいることは、団体の活動の一部になっている。つまりこの活動は、路上生活をする人にとっても、居場所となっているのだ。
これは一見する以上に驚異的なことではないだろうか。私たち(っていったいどういう人だろう?)は普段、路上生活する人と接点をもつことすらない。お互い関係をもつ必然性がなく、むしろ避けている。しかし、団体が駅前という彼らの居場所、その近くで活動をしたために関わりができた。団体のメンバーにとっても、当初は怖かったらしいが、毎週顔を合わせるうちにお互いに次第に慣れていったそうだ。
また、活動を始めた当初は、駅裏の広場は今よりも暗くて治安も悪かった。風俗店のスカウトやキャッチセールスなど危険な人たちも多く、彼らより早く若者に接触して福祉につなげるのが団体の趣旨でもあった。だから、当時はそういう人たちからメンバーが絡まれることもあった。しかし着ぐるみを着た若者のような無害無垢な人たちには、攻撃する理由も身を守る必要もない。そうしていつしかスカウトもキャッチもいなくなり、週末の駅前は着ぐるみ集団が他を圧倒してしまったようだ。それは路上で生活する人にとっても大きな安心になっただろう。
とはいえ、団体のメンバーは、声かけボランティアにありがちなように、彼らの体調を気づかったり、困りごとを聞いたりするわけではない。そういう“支援”はしない。メンバー自身、路上生活する人たちとは、仲のいい知り合いとして接する。だから毎週再会を喜ぶ。
それどころかOさんは、活動の開始時間より前に来て、メンバーが荷物を置く場所を取っておいてくれる。そして私たちが行くと、「おーい、遅いぞ!」と笑顔で言う。むしろ助けられているのは、こちらのほうだ。こんなことがどうして可能なのか。何度見ても不思議な光景である。
-いろんな人が緩やかに一緒にいる
メンバーには、いろんな悩み、問題、背景をもっている人がいる。それは上で書いたように、いじめ、不登校、自殺未遂、虐待、家出、性被害、精神疾患など、それぞれに専門の支援組織があるような深刻な問題である。
ところがメンバーは、普段そうしたことについて、秘密にしたり避けたりするわけではないが、とくに話題にすることもない。街頭活動後の交流(おしゃべり)も、他愛もない話をしているだけのことが多い。あるいは、トランプをやったり、しりとりをやったり。
もちろんメンバー間には、仲のいい関係もあれば、それほどでもない関係もある。だからお互いの事情を多少なりとも知っていることもあるが、まったく知らないこともある。
総じて彼らは、一緒にいるのがどういう人か、なぜ来ているのかあまり気にしていないように見える。居心地がいいから来ている。そしてそこが自分にとって居場所であるように、他の人にとってもここが居場所になるといいという気持ちを、強弱濃淡の違いはあれ共有しているようだ。
その気持ちがあるから、居場所を求めている人は誰でも拒否せず、受け止めている。そして新たにメンバーになるのは、しばしば普通なら「要支援」となる人である。そういう様々な事情のある人たちが、まったく無理なく自然体で一緒にいられるのは、いつ見てもすごいと思う。
-驚くべきスピードで人が変わる
この団体で繰り返し驚かされるのは、メンバーになった人が、ただ一緒に街頭活動をして、事務所でおしゃべりしたりゲームをやったりお菓子を食べてたりしているだけで(もちろん一部のメンバーが、それ以外のところで世話をしていることもある)、目覚ましい変化を遂げることだ。
最初は恥ずかしがって着ぐるみを着るのも断って隅っこで立っていた学生が、数か月後には、声かけで大活躍をしている。話しかけられても、首を縦に振ることも横に振ることもなくただ困った表情をするだけだった女の子が、数か月後に自分からしゃべるようになっている。他のところでは手に負えないと言われ、○○障害だとされた人が、とくに何の問題もなく交流している。家でも学校でもほとんど話さない子が、ここではよくしゃべり、自分の意見も言うようになる。それに何より、毎回のように起きることだが、路上で声をかけられて最初は警戒していた人が、10分後には和気あいあい、友だちのようにしゃべっている。
いずれも、普通では容易には起きないことだろう。要支援とされそうな人は、病院や専門家にかかっても、これほどのスピードでよくなることはないと思う。それがごく普通の若者だけで、これほど劇的な変化が起こるのは、何度見ても驚愕する。
-若者による居場所づくり
この団体は若者が主体の活動であり、大半が高校生と大学生、社会人も数人いるが20代である。代表の荒井さんは活動に来ないこともある。私が参加した時でも彼が来なかったことがあるが、活動もみんなの様子も普段とまったく変わらなかった。事務所の管理も若い人たちに任されていて、毎回のように来るメンバーは鍵をもっているが、代表の荒井さんがもっていないこともある。
またトラブルが起きても、荒井さんはあまり介入しない。彼によれば、いろんな人がいれば、時にぎくしゃくしたり衝突するのは当然で、そうしたことが起きないように大人がルールを作ったり仲裁したりせず、メンバーどうしが試行錯誤して乗り越えるのを待っている。荒井さんも時々意見は言うが、指示をしたり仕切ったりすることはない。
ここでは大人が若者のために居場所を作っているのではなく、あくまで若者たちが自分たちの居場所を作りながら、それを他の若者にも広げていっている。
荒井さん自身もいろいろと試行錯誤してここに至っているらしいが、このような活動をする荒井さんの覚悟、度量、そして若い人への深い信頼には心底感服する。そしてメンバーがそれに本当によく応えている。組織論的な視点から見ても、この団体は非常にユニークで卓越した事例ではないかと思う。
〇いろんな人の居場所であるために
私たちは普段、“何者か”であることによってグループの一員となり、居場所を得ている。それは、家族であれ、学校であれ、会社であれ、地域であれ、他の何かの集団であれ、同じことである――男である、女である、友だちである、夫である、妻である、父親である、母親である、娘である、息子である、大人である、子どもである、教師である、学生である、○○の社員である、○○人である、○○出身である、○○病である、○○障害である、等々。
けれども、つねに“何者か”でいるのは、容易なことではない。そうした役割を十分に果たせなくなったり、奪われたり外されたり、そこになじめなくなったりすることがある。飽きたり嫌気がさしたり、負担に思ったりすることもある。そうなるとそこは居場所ではなくなる。すぐにその集団から離れるわけではないにしても、そこにいづらくなる。
そんな時、どうすればいいのか。また別の何者かになって、別の居場所を見つければいいのだろうか。もちろんそれでもいい。でもそれはまた同じことの繰り返しになる。何者かでなければ、そこにいられないことに変わりはない。
全国こども福祉センターのすごさは、おそらく、そこにいるために何者でなくてもいいということだ。メンバーになる条件もあるようなないような。着ぐるみを着れば、それだけで仲間になれる。でも着ないといけないわけではない。街頭活動は重要だが、苦手な人、興味のない人は、フットサルやバドミントンだけ来る。それくらいゆるい。
たしかに街頭活動や団体運営上の役割はある。けれどもそれは基本的に、その時々でやれる人がやる、やりたい人がやる。だから日によって変わることもある。今日は違うことをしてみようと思って、やってみたら意外にできた、楽しかったというふうに。やっぱりゆるい。
核になる人はいるが、その人たちの発言力が特別強いわけでもない。とくに頑張っているわけではない人も、居心地が悪そうにはしていない。実際、私自身、たいして役に立ってはいない。いてもいなくても活動自体に影響はない。大学教員でもなければ、哲学の研究者でもない。月に一度来るおじさん。それだけのことだ。
上下関係がなく、年齢や立場が違っても、誰もお互いに敬語を使わない。私のこともみんな「梶谷さん」と呼んで、他のメンバーと区別せず、普通に話をする。私もここでは何者でもない。それがどれほど居心地のよいことか。彼らが来ている理由が、少しだけ分かる気がする。
とはいえ、来ている人の中には、「ここに来ていなかったら、どうなっていたか分からない」「ここに来なかったら死ぬと思う」という人までいる。そのような若者たちのための場所を誰かが作るのではなく、彼ら自身が作っている。そこがすごいのだ。
ここを一言で表すなら、奇跡が自然に起きる場所である。それを見るのが楽しみで、私は毎月来ているのだろう。