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梶谷真司 邂逅の記録124 3年ぶりのIPO~国際哲学オリンピック in リスボン

2022.06.16 梶谷真司

 2022年6月26日から29日まで、ポルトガルのリスボンで、第30回国際哲学オリンピック(IPO:International Philosophy Olympiad)が開催された。

本来このリスボン大会は、2020年に行われるはずだった。2年前、中止の決断を下さなければならなかったのは、参加するすべての国にとって大変つらいものであったが、ポルトガルの大会事務局にとってはことのほか苦しいものだっただろう。それだけに満を持して行われた3年ぶりの大会は、すべての参加国にとっていつも以上の喜びがあったし、生身の体で会えていることがかえって非現実的な気がした。

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 国内選考は、前年に行われた倫理哲学グランプリの入賞者16名が今年2月の選考会に参加し、英語でエッセイを書いて競った。見事日本代表となったのは、筑波大付属駒場高校の池田淳一郎君と、洗足学園高校の多田夏希さんの二人である。この後二人には、出発までのトレーニングとして、まずエッセイライティングの方法、評価の基準についてのレクチャーを行った。そして過去の課題文を使って、本番と同じ条件で(4時間で語学の辞書のみ使って書く)英語のエッセイを書いてもらい、それを添削するということを数回繰り返した。
 これは通常の準備なのだが、今回はコロナ対応が大変だった。そもそも当初、日本から渡航できるかどうかが分からなかった。ポルトガルは、日本からの渡航を不要不急の用事(現地に居住、家族、留学、仕事など)以外では認めていなかった。そこで大会事務局から招待状を出してもらって、ポルトガル大使館に連絡して判断を仰いだところ、意見は言えても、許可証のようなものは出せないと言われる。入国許可を出せるのは国の入管局だが、このような緊急性に低い案件には対応しないだろうと、身も蓋もないことを言う。
 しかも驚いたことに、ポルトガルは在日大使館に日本語のサイトがなかった!(ヨーロッパの国で一番付き合いが古いのに!5月24日=まさに出発日!になってようやくできた)。だからとりあえず招待状をもって飛行機に乗り、リスボンまで行って、そこで交渉するという計画を立てていた。
ところが日本からポルトガルへは直行便がない。そこでフランクフルト経由ででも行こうと思っていた。ところがドイツでは、最終目的地で確実に入国できることを証明しないと、トランジットもさせないというルールになっていた。こうなると、私たちはリスボンにすらいけない。それでは意味がないので、そういう面倒なことを言わない国を経由して行けないか別のルートを探し、ロンドン経由なら可能だということが分かり、それで往復のフライトを予約した。幸い4月28日に日本からの渡航についても、目的の制限がなくなり、PCR検査での陰性証明さえあれば、ポルトガルへ行くことができるようになった。
 またもう一つ、ロシアのウクライナ侵攻のため、航路が変わり(ロシア上空が飛べない)、フライト時間が2時間ほど長くなった。とはいえ、このことは渡航にとってさほど大きな問題ではない。とにかくこれで確実に参加できることになった。出発前にそれが分かっただけでもよかった。

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 大会前日の5月25日の夕方にリスボンに到着。もちろん何の問題もなく入国できた。その日はホテルの近くのポルトガル料理の店に入り、ゆっくり夕食を取った。翌日26日は午前中ホテルの近くを散歩して、集合場所の駅前広場に。次々に各国の代表団がやってきて、教員と生徒はそれぞれの宿泊施設へ移動。夜のオープニングセレモニーで、皆が再会を喜んだ。27日に高校生は午前中エッセイライティング、午後は教員がエッセイの評価があった。28日は高校生も教員も一緒に市内観光に行ったが、同じ時間帯に国際委員会(過去にIPOを開催したことのある国)の会合が開かれ、私はそれに出席しないといけなかった。そのため私は残念ながら、リスボンという多くの人が称賛する街をほとんど見られなかった。
 そういうわけで、久しぶりの対面開催はよかったのだが、私自身はそれほど多く体験できなかった。したがって大会については、これくらいにして、詳しい報告は一緒に行った榊原健太郎氏の報告に譲ろう。

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 それとは別に、今回はコロナ以外でも特別なことがあった。ロシアのウクライナ侵攻である。これによってロシアが参加することの是非が議論になった。この件は、今なお私の中で釈然としない思いを残しているので、それを書き記しておこう。
 まず話の前提として説明しておくと、各国の代表団は(今回日本は招待状を出してもらったが、それはあくまで渡航制限に対応するため)、通常の手続きとしては、大会事務局やIPOの委員会の許可や招待を得て参加しているわけではない。それぞれの国で選考を行い、代表団が決まったら登録をして参加するだけである。審査もなければ、申し込みをして承認ということもない。
 だが今回、ロシア(およびベラルーシ)の参加をめぐって、“招待”するかどうかという話になった。最初は、公的な資金をもらってくるのは問題だが、民間や自己資金で来るならいいだろうとか、国旗を出すのはよくないかもしれないとか(参加チーム紹介の時に、通例国旗が表示される)、スポーツのオリンピックみたいに、ロシアIPO委員会みたいな名前だったらいいんじゃないかとか。またIPOからAppeal for Peaceという声明を出した時、ロシアの先生も名前を連ねているわけだから、彼女たちには問題はない、プーチンには反対しても、ロシア人全体を排除することはないなど、いろんな意見が出された。
 私自身はどうにかロシアも参加する方向で落ち着かないかと期待していた。ところがウクライナはもちろん、隣国で難民を大量に受け入れているポーランド、リトアニアなどの先生たちが激しく反発した。ロシアチームの本人たちが戦争に反対していても、プーチン政権下で生活してきたことには変わりない。だから彼らも結局はこの戦争に責任があるんだ、という意見であった。
 被害にあっている国の人たちのこうした意見をなだめたり、まして批判したりするのはほとんど不可能だ。彼らが寛容さを示さなければ、誰も意見が言えない。そのうち「ロシアが参加するイベントに我が国から代表団を派遣するわけにはいかない」という国まで現れた。最終決定権は、今回の主催国であるポルトガルの大会事務局がもっていて、結局はポルトガル政府にも配慮し、ロシアは招待しないという結論が出た。
 これに私は大きなショックを受けた。私自身は、政治と哲学は切り離して考えるべきであって、むしろこういう時だからこそ哲学では結びついていたい、だからロシアの参加は認めるべきだと考えていた。私と同じように考える日本人も多いだろう。しかしひょっとすると、これは自分が当事者ではなく、直接関係ないからこそ言える理想論なのかもしれないと思った。
 そもそもロシアの参加を積極的に(無条件に)認めようとするのは、IPOのメンバーの中でも、まったくの少数派だった。そのような立場を明確にとったのは、トルコ、モンテネグロ、ベルギーの先生だけだった。ベルギーの先生は、何かにつけ中立的態度を崩さない人だった。トルコの先生は(創立メンバーの一人で年配の女性)、強い信念がある人だが、今回のことについては、この話題が出た直後に、「罪のない者だけがこの女に石を投げよ」という聖書の言葉を引用して、どの国の人も過去にも未来にもわたって罪がないというわけではない、今回の決定が将来にも影響するから、こういうことでどの国に参加資格があるとかないとか議論すべきではないと主張した。
 モンテネグロの先生は、ボスニア・ヘルツェゴヴィナのサラエボの出身、ユーゴスラビア紛争で故国を逃れ、モンテネグロに亡命した女性である。第1次・第2次大戦で多くの親族を失い、ユーゴスラビア紛争の時にはNATOによる爆撃により、多くの友人知人が殺されるのを目の当たりした。それでも彼女は「誰も恨んだことはない。そう育てられた。憎しみは意味のない感情だ。相手が誰であっても、助けられるなら助けよう。IPOもあらゆる人にとっての避難所になるべきだ」と訴えた。
 私も彼女たちに賛同し、国家と国民を分けて考えようと言ったが、たぶん私の意見には、彼女たちのような言葉の重みはない。それでも彼女たちの考えが議論の流れを変えることを期待したが、そうはならなかった。
 理想はともかく、何が現実的に妥当な判断だったのか私には分からない。国家と国民はどのように関係しているのか、国家の責任を個人はどの程度まで負うのか――こうしたことを深く考えさせられた。そういう意味で今回は、私にとって忘れられない大会となった。
 裏側にはそんな複雑な事情もあったが、日本の高校生はそんなことはものともせず、エッセイライティングに取り組んでくれた。そして池田淳一郎君が佳作を受賞した。これで日本は6年連続の入賞である。しかしそれより大切なことは、哲学を通して世界各国の高校生たちがつながりってくれたことだ。彼らのみずみずしい精神がよりよい未来へとつながることを願うばかりである。

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