【報告】〈哲学×デザイン〉プロジェクト27「カメラを持って、回して、そこにいる」
6月13日にオンラインで実施した〈哲学×デザイン〉プロジェクト27「カメラを持って、回して、そこにいる」は、映像が伝えるリアリティとは何か、そしてカメラとともに現場に赴くとはいかなることかを考える企画だった。ゲストにお招きしたのは、困難を抱えつつ地域で生きる子ども、または障害を持った大人、そして彼/彼女らを支える人々と場所を描くドキュメンタリー映画を手掛けた二人の監督、重江良樹さんと田中悠輝さんである。
前半では、重江さんと田中さんの両監督がそれぞれ手掛けた作品『さとにきたらええやん』と『インディペンデントリビング』からの抜粋を鑑賞しながら、お二人が映像を通して描こうとしたものをお話しいただいた。
重江さん
映像ジャーナリストへの興味から働きながら通った専門学校で、ドキュメンタリー映画に出会った。「善か悪か」と単純化せず、受け手が社会そのものについて考える可能性を感じた。
2016年に公開した『さとにきたらええやん』は、大阪・西成区の釜ヶ崎にある「こどもの里」という子どもの遊び場に2008年から通い、作った。通うなかで、自分自身、居心地の良さを感じて元気をもらい、また社会の現実を教えてもらった。ドキュメンタリーを撮るなら、自分が一番好きなところを映して、観る人を元気にしたいと思った。こどもの里は、子どもが遊び、泊まれ、そして生活ができる場所。スタッフの人たちも、支援者であり地域のなかの生活者であるという意識が強くある。
映画では、こどもの里に通う子どもの家をスタッフが訪問し、家族会議をする場面がある。一見すると、子どもがカメラを意識していないように見えるが、実際はその逆で、カメラの前で親のことをどう言うか、色々考えて言葉を選んでいるのが伝わった。子どもが親を強く想う気持ちが、そのように表れたのだ。また、別の親子の場合、シングルマザーの母自身が虐待を受けて育った経験から、子育ての大変さを抱えていた。しかし話を聞くと、子どものことをとても考えていて、必死で育児に向き合おうとしていた。撮影では当初、自身の躊躇いもあって、距離を置いて離れて撮ってしまっていた。しかし編集会議で「対象が遠すぎる。その距離感では失礼だ」と言われて以来、なるべく近づいてその人の人生の一部を撮らせてもらおうと意識するようになっていく。里子として子どもを預けている親へのインタビューでも、子を想う親の強い気持ちを同じように感じた。総じて、痛みを知っている人はやさしい。しかし不器用さゆえ、愛していても一緒に生活することがうまくできない。そんなとき、地域にあるこどもの里がそのあいだに入って、家族をつなぎとめていく。映画が完成したさい、そこに登場する人たちから「いいなあ」と言ってもらえたのが励みなった。
撮影ではまず、相手に変化が現れるのを待つ。そして次に、自分が聞きたいことをインタビューしていく。とはいえ、相手の気持ちをカメラに収めるのは難しい。相手への好意を土台に、誠実さを忘れず、関係性のなかでどこまで踏み込んでいいのか、つねに考えている。相手には何の得もないし、デメリットを被ることすらある。自分自身のエゴであると自覚しつつ、しかし、映画を通じて「こんな社会でいいのか」と社会に問いかけたい。自分も釜ヶ崎で暮らしていて偏見や差別を感じるが、深刻な問題を抱えていても人は自分の力で輝くことを伝えたい。
田中さん
現在、自立生活サポートセンターで生活相談や広報に関わり、また重度訪問介護のヘルパーもしながら映像制作を行っている。大学卒業後に生活困窮者支援をするなかで障害当事者の自立生活運動を知り、ヘルパーとして関わる過程で、映像制作の世界に足を踏み入れた。劇中の人々との出会いがあり、2016年から大阪を舞台にして、自立生活に向かう四人の障害当事者を撮影し始め、映画『インディペンデントリビング』が2020年3月に公開された。
映像は、伝えたくても言葉にならない空気感や雰囲気を伝える。自分の場合、映画をどう撮るかの指針を夢宙センターの平下さんからもらった。平下さんは子どものころ、家庭での不遇があって、施設に入ったとき、障害者の自分がさらに弱い立場の人を差別していると気付いて、生きなおしていく。平下さんが始めた夢宙センターは、自分とは違う他者を、本人でないながらに何とか分かろうとする姿勢を体現した場所だった。目の前の相手を分かろうとする営みを止めないこと。映画を撮るときはもちろん、編集でもそれを意識し、映像の分かりにくさをナレーションなどで代弁するのを避け、余白を残すことで映像から伝わるものを活かそうとした。
カメラを向けた一人、トリスさんは高次脳機能障害で、半身マヒと失語症があり、言葉でのコミュニケーションが難しい。色々考えているのにそれが伝わらない苦しさを本人は抱えており、担当のヘルパーは目を見ながらどうにかその意図をくみ取っていく。撮影では、カメラを回す自分自身、どうすれば彼のしんどさに気付けるかを考えながら現場に居続けた。周囲の談笑をよそに沈黙しながら、トリスさんが食べる前に口をもごもご動かしている様子にじっとカメラを向けた。その後、撮った映像を何度も見返し、その口から「ありがとうございます」という周囲への感謝が読み取ったとき、強いストレスを抱えて苦しんでいた彼のひとつの変化に立ち会えたと思った。それは映像だからこそ気づいた瞬間だった。
またもう一人、知的・身体の重度の重複障害を抱えるヒロさんにもカメラを回した。表現らしい表現も難しいヒロさんが、長年担当のヘルパーの介助を受けて一緒に湯船につかる場面を映した。それは古い写真に残る、かつて子どものヒロさんを抱えて一緒にプールに入っていたお母さんの姿と重なって、ヒロさんの自立を目指して周囲が模索してきた過程を浮かび上がらせる映像になった。
撮影は本人にとっては辛い場面であることも多く、撮る葛藤はあるが、変化の瞬間を映すことで、他の場面でしんどさに出会う人たちに力を与えてくれるものになる。言葉だけでなく間(ま)や空気感にも肉薄しようとし、その瞬間に立ち会うまで一緒に居続ける。
以上のゲストお二人の話を踏まえ、イベント後半ではホストの梶谷、中里を交え、対話を行った。
映像が映し出すリアリティとは何だろうか。梶谷は、ゲストの各映画を観て、ジャーナリズムのように問題提起ありきの編集も多いなか、様々な諸相を映しながら分かりやすい問題提起をしていないことにリアリティを感じたという。社会的に弱い立場の人々を都合よく撮る映像が、感動ポルノと呼ばれることも少なくない。前半の話でも、重江さん、田中さんともに観る人にゆだねる余白の意義を強調していた。その余白とはいかに作られるものなのか。
重江さんは撮影のとき、目の前の人が持つ素晴らしい力に焦点を合わせるという。そして編集では、その人が置かれている社会の問題を前面には出さずに、視聴者が読み解ける工夫する。だから、結果として感動ポルノと言う人がいても、それもひとつの反応として受け入れる。一方、田中さんは、何が現場にあるか分からないまま入り、カメラを回していくなかで、撮るべきものを浮かび上がらせていく。そして、製作途中のものを本人たちにそのつど観てもらい、お互いに思ったことを言い合う。この過程によって、作品が出来合いの感動を繰り返すだけの感動ポルノに陥らずに済むのだろう。
映画制作では作り手の意図がさまざまに入る。しかし重江さんも田中さんも「とにかく観て感じてほしい。そのことで映画は作り手の意図を超えて育っていく」と言う。おそらく映画の余白とは、作り手がカメラを持って立つ現場に、観る人をいざなう扉であると同時に、作り手すら知らない新しい現実を観る人が引き出すような把手でもあるのだろう。
今回のゲストお二人の作品はどちらも舞台が大阪だが、カメラの先でさまざま問題が複雑に絡み合っている点も共通している。「虐待」「障害」といった一つの切り口では到底語り切れない現実がある。それはそのまま映画制作の難しさに通じる。だからこそ編集者やプロデューサーなどを交え、チームでなければ作り切れない、ということも二人は共通して語っていた。
重江さんが「思いが強すぎるがゆえに、近すぎて分からなくなる」と言うのは、田中さんの映画『インディペンデントリビング』で語られた「人に頼れるからこその自立」というメッセージに重なっていくだろう。重江さんの場合は、社会的に批判対象とされやすい親であっても決して否定や批判をしない関係性の紡ぎ方をこどもの里で見つけたし、田中さんの場合は、「勝つか負けるか」という関係で行き詰まる親子が第三者のスタッフの助けで「だれも悪くない」という関係に変わっていく過程を夢宙センターで見つけた。健全な依存の心地よさこそ、私たちが二人の作品から感じる安らぎの正体かもしれない。
改めて「カメラを持って、回して、そこにいる」とはどういうことだろう。『さとにきたらええやん』の終盤に差し掛かるところ、お母さんに頼まれてお金を貸してしまった高校生の女の子に、翌日カメラを向ける場面がある。前日、職員に諭されてボロボロ泣いたものの、「次同じことあったらどうする?」という重江さんの問いかけに、曖昧な間(ま)が続き、「分からん」とこぼす。重江さんはこの場面を撮ったときに映画の完成を予感した。ダメと分かっていても、親に請われればそれに応えたいと思ってしまう、その戸惑いは、親を誰より想う子の姿だった。繊細な場面にカメラをあえて向けるのは、辛さを感じることだが、重江さんはそのなかで「カメラを介した出会い」が生まれていくと感じている。
田中さんは、撮影を通じて相手を理解していく過程を「玉ねぎの殻を剝くように」と表現した。田中さんがカメラを持った『インディペンデントリビング』の舞台もまた、笑いに包まれた「面白い」現場だった。障害当事者の自立生活という苦労の多い道を切り開こうとする運動でありながら、決してまじめ一辺倒ではない。当事者と支援者という関係性のなかで、互いの立場で交わされた決まりごとをギリギリのラインで超えていける瞬間に笑いが生まれる。田中さんはそこに個人と個人との出会いを感じ、自身もそのなかに巻き込まれながらその瞬間瞬間を映像として写し取っていく。
「カメラを持って、回して、そこにいる」とは、モノをひとつ携えてそこにいるだけでも、カメラだけがそこにあるわけでもない。「いまだ知らぬだれかのまなざし」であるカメラという不思議な道具を携えつつ、しかし何よりも撮影者自身が他ならぬ生身の人間として、感じ、考え、願い、その場に一員として居続けられるなかで見えてくるものを「カメラとともに見る」、そういう在り方なのである。
両作品から、撮り手の繊細な関係性へのまなざしがはっきり伝わってくるのは、そういうわけなのだ。
(文責:中里晋三)