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【報告】「『哲学の学校』をつくる教師と生徒の挑戦——東洋大学京北中学高等学校の取り組みから」

2021.08.19 堀越耀介

2021年7月11日、UTCPシンポジウム「『哲学の学校』をつくる教師と生徒の挑戦――東洋大学京北中学高等学校の取り組みから」が開催された。
講演者は、石川直実(東洋大学京北中学高等学校教諭)、竹内正人(東洋大学京北中学高等学校
教諭)、オーガナイザー・司会は、堀越耀介(東京大学大学院博士課程/日本学術振興会特別研究員)、梶谷真司(UTCP)の4人によるイベント開催となった。

 当日は、まず東洋大学京北中学高等学校の概要から発表が始められた。哲学者井上円了(1858-1919)による学校創立とその理念「諸学の基礎は哲学にあり」の継承が、京北の現在までの哲学教育に大きく影響していることが話された。他方で、単に「先哲の思想」としての「哲学」のみならず、生徒の内側から湧いてくる「ワンダー」からはじめ、それを吟味するという意味での「哲学的な思考」に、京北がより力を入れているということもまた言及された。
こうした哲学教育を実現するため、京北では、中学課程で必修となっている科目「哲学」に加え、高校での必修科目「倫理」、「名著精読」といったカリキュラムが組まれている。そのほかにも、「哲学ゼミ」、「哲学エッセーコンテスト」、「哲学の日」といった行事や授業内での実践が行われており、京北が名実ともに「哲学の学校」であることが感ぜられた。
中学の「哲学」では、すべての教員が授業を担当するのが特徴的だった。授業内容も、毎回個々の教員によって考案されたものが、それぞれの教員の個性や専門分野を生かした仕方で実施されている。授業は、毎回教員2人のチームティーチングで行われ、さらに各教員は学年をまたいでローテーションするため、生徒はタームごとに異なる哲学の授業を受講することになる。授業後には毎回、全教員による「授業検討会」も行われており、入念に準備・検討された哲学の授業が、それぞれの教員のユニークさを生かして実施されている。
特に、単なる「価値の押し付け」にならないよう、生徒一人ひとりが考え、例えば「ルール」というテーマであればそれがなぜ存在するのか、その意味を問い直せるよう常に授業が設計されている。生徒自身が主体的に問い、考える。そして、対話を通して哲学的に問い続けるという態度を育成することが、京北の哲学授業における共通の理念となっている。教員側も、ひたすら生徒の「ワンダー」に寄り添い、急がずに哲学する姿勢を大切にしているようだった。安易な、短期的な解決・結論ではなく、余暇(スコレー)としての哲学という本来の姿を忘れずに、また、教師自身も楽しんで哲学するという姿勢が大変印象的だった。
「哲学ゼミ」では、毎年、様々な現場に赴き、特に「体験すること」を通して哲学するというコンセプトが意識されている。被災地である岩手県大槌町や、基地問題を考えるために沖縄県各地に赴くなど、当事者に話を聞き、また自分たちで哲学対話を行うことを通して哲学する。今年度も、コロナ禍で合宿実施の見通しが立てられない中、生徒の方から4つの自主企画が集まったといい、生徒の自主性や自由な発想が育っていることがうかがい知れた。
「哲学エッセーコンテスト」についての興味深いお話を聞くこともできた。京北の「哲学エッセー」は、主に国語の授業の一環として実施され、それぞれの生徒が取り組む。「哲学」授業との連携も意識され、「自ら問いを立て考察する」という基本姿勢は変わらない。作成されたタイトルはどれもユニークで、「カオナシとは何か」「未成年が大人の制限化にある理由」「なぜ人はペンを分解したがるのか」「脱・チキンのしかた」「ピザトーストと協力」などなど。他方で、入念な「作成の手引き」も用意されており、ユニークな主題を扱いつつも、しっかりと論理や根拠が意識された文章になるよう、教員による工夫も凝らされていた。
特徴的なのは、エッセーの下書きを書く段階で、生徒の保護者から意見をもらうなどしてエッセーを仕上げていく過程である。哲学の学校としての方針や理念が、教師や生徒だけでなく、保護者のレベルでも共有されていることが、こうした体制を可能にしているように思われた。こうした「哲学エッセー」の成果は、年度末に全生徒が参加する「哲学の日」を通して発表・表彰される。ここでも生徒同士の対話が行われるほか、ゲストが招聘されるなど、哲学的に考えるための様々な催しが行われるため、一年の集大成となる。
こうした一つ一つの哲学的な取り組みにより、現在では入学する生徒の志望理由として「哲学教育」があげられるほどにまでなっているというから驚きである。他方で、こうしたカリキュラム化・マニュアル化と、個々のユニークな先生方の「アート」としての哲学授業をどう両立させていくかといった問題や、生活指導や進路指導、生徒会活動といった学校全体の中にまで「哲学」がしみ込んでいくまでにはまだまだ時間を要するようだ。こうした京北の一つ一つの取り組みはどれも完成しているわけではなく、また完成させるべきでもなく、常にそれが過渡期の中にあるということが強調されていたことも大変印象的であった。

(文責:堀越耀介)

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