梶谷真司 邂逅の記録106 障壁のある人生をどのように生きるのか?(1)
2020年初のイベントは、1月12日(日)に“障壁”をテーマに行った。今回は元UTCPの研究員でもあり、現在神戸大学で教鞭をとる稲原さんの科研費プロジェクトとの合同企画である。
稲原さんの科研は、「哲学プラクティスと当事者研究を融合させることで、当事者と一般の人たち両方の考え方、価値観を変え、社会変革につながる理論と実践の研究を行う。当事者研究なので、一般には障害をテーマとするのだが、今回、それよりももっと多くの人たちに感心を持ってもらおうと、“障壁”をテーマにした。
障壁とは、障害のみならず、学歴や職業、国籍、性別、経済力、子育てなど、生活する、とくに仕事や勉学をするうえで“壁”になりやすい。標準から外れると、それだけで排除されたり、無理を強いられたりする。誰もが抱えうるさまざまな“障壁”について一緒に考えられればという趣旨で、今回のイベントを開催した。
そこで今回は、ゲストとしてまず昨年『ママは身長100cm』(ハフポストブックス)を出版した、骨形成不全症で2児の母親、伊是名夏子さん、シングルマザーとして子連れで研究する大学院生、藤原雪さん、外国人として日本で暮らす脳性まひの哲学者、マイケル・ペキットさんをお招きした。稲原さんも脳性まひの障害を抱えており、登壇者はみな、さまざまな障壁にぶつかりながら生活している人たちである。
申込の時点で100人を超え、当日は90人ほどが来場。いつもどおり子連れでも家族連れでも大歓迎!としていたが、実際子ども10人ほど来ていて、イベントの間ずっと元気に遊びまわって、いい感じに“うるさく”してくれたおかげで、学術イベントっぽくない、誰が参加しても気にしない場になったと思う。
最初に私が今回のイベントに至った経緯を説明し、その後ゲストスピーカーに自己紹介を兼ねて、「自分がぶつかってきた“障壁”がどのようなものだったか」についてお話しいただいた。
伊是名夏子さんは、沖縄生まれ。「伊是名」という名前が好きで、骨形成不全症という障害をもって生まれ、とにかく骨折しやすく、誕生以来、何度も骨折しては手術・入院をしているという。小学校と中学校は養護学校に通ったが、高校は地元の普通科、首里高校を希望。家族、先生、周囲のみんなに反対されたが、根気強く説得して入学。いろいろ理由はつけたが、本当は制服がかわいかったのと、好きな男子が進学するから!という、ごく普通の高校生と同じ理由だった。
バリアフリーですらなかった高校での生活は、だからこそ周りと深くつながり、一緒に過ごせた3年間だったという。その経験から、伊是名さんは「みんな違ってみんないい」という標語に疑問を投げかける。そうして違いを強調すると、区別をしてお互い関わりにくくしてしまう。「やっぱり一緒がいい」というのも大事だ。実際、伊是名さんの同級生は、伊是名さんを障害者として意識せずに過ごしたという。
結婚というのは、彼女にとってさらに大きな壁だったそうだ。それまでは理解し応援してくれた人たちですら結婚には反対、もしくは反対する人に理解を示して彼女を諭してきた。それでも彼女はあきらめることなく結婚し、子供も産み、育てている。何をするにも介助が必要で、できないことも多いが、海外に旅行もいくし留学もするし、学校で英語も教える。子どもとの関係も、ごく普通の仲のいい親子だ。介助者とも家族のような付き合いをしているというた。
彼女のモットーは「がんばらないためにがんばる」だそうだ。傍から見ると(おそらく客観的にも)、彼女の生活には、想像できないほどいろんな困難、障壁がある。それにもかかわらず、というか、それだからこそなのだろう、彼女は必要な助けを我慢して一人でしようとせず、可能なかぎり助けてもらって、“自然体”で生きているのが、彼女の表情からも、一緒に来た家族からもうかがえた。
次は藤原雪さんが登壇。彼女は稲原さんのもとで大学院生として研究している。専門は社会福祉と現象学とジェンダー、テーマは自分自身にも関わる「妊娠を契機とした女性の生きられた経験」だという。彼女は学生時代に結婚して間もなく妊娠。その後、入籍はしたが離婚。シングルマザーとして子育てをしている。一般的には、学生が子供を産むと、休学するか退学し、通学するにしても子どもを誰かに預けてくる。藤原さんにとってそれも選択肢だったが、彼女はあえて子どもを連れて研究を続けることを選ぶ。院生仲間の協力を得て、院生室に子どもの遊び場を作ったり、託児ボランティアを募集し、面倒を見てもらったりしている。彼女自らいろいろ考えてどのようにすれば院生生活を快適に過ごせるか実践してきた。
周りの学生たちは協力的だったこともあり、休学せず、2年間で修了できそうだという。様々な葛藤や障壁があったが、院生仲間、託児ボランティアの学生、そしてコースの先生方の理解があり、藤原さんの当初の目標は達成できそうだ。葛藤や障壁が出てきたときに、なかなかそれらを乗り越えたり、壊したりすることができない。彼女の現在進行形の様々な障壁を聴きながら、障壁のある人生を生きるために、「対話する」ことの大切さを改めて感じた。
続いてマイケル・ペキットさんが、日本における外国人としての経験と障害者としての経験のいい面とよくない面、嫌な面について話してくださった。彼によると、母国のイギリスでは、差別されることは少なかったが、公共の場で配慮され、特別に扱われるというまさにそのことによって「障害者」にされてしまう。他方日本では、むしろ外国人であることの方が目立ち、障害者として哀れみや同情の目で見られることは少ないという。
また日本でのよくない点は、たとえば電車の優先席で、座らずに立っていることが礼儀だと思われているが、席への通路をブロックしていて、必要な人がそこにたどりつけない。またペキットさんから見ると、障害者に席を譲る人は、「かわいそうな人を助ける人」と見られないといけないかのような印象をもつという。さらに日本で嫌なのは、「障害者だ」と名指して笑う人がいることだという。子供が言うこともあるが、それで親も一緒に笑っていることがあるらしい。
彼の話からは、日本では、障害者や外国人に対して思いやりが示される一方で、無邪気なほどの露骨な差別があることが分かる。この日本人の二面性は、相手のためにしていることが、実は自分のためにしていることから来ているような気がした。自分がよく思われたいときにそうしているだけで、そうでなければ、簡単に相手への配慮が欠落するのではないかと思われた。
最後に稲原さんが、自分がぶつかってきた壁について話した。それは幼少期、年子の妹に好きなお菓子を捉えるという日常の些細なこともあれば、小学校の入学案内が来ないという制度的差別もあった。また小学校から中学校にかけて、壮絶ないじめにもあった。高校や大学への進学のさい、障害者であることを理由に入試を受けるチャンスすら与えられなかった。
オーストラリアに留学するさいも、語学留学ではビザが下りても、正規の学生ではなかなか認められず、大学院進学の時もビザ取得に時間がかかった。帰国して就職しようとしても受け入れられず、イギリスに留学を決意するも、ここでも滞在許可が下りず、強制送還一歩手前まで行ったという。ペキットさんと結婚したが、折悪く移民法が改定され、配偶者ビザがとれない。就職しようとして130か所も応募したが、やはりできなかった。
自分だけ帰国して就活をしてもなかなか難しかったが、応援してくれる人も現れ、講演や学会発表をするようになり、UTCPの研究員に採用された。10か月間務めた後、大阪大学に助教として採用されたが任期は3年。その間に応募した数は78件。面接に行っても、嫌がらせのような質問を受けたこともあった。絶望しかけた時、神戸大学で職を得て今に至る。
稲原さんの場合は、障害者であることに加え、外国に留学したり、国際結婚したりすることで、障壁が何倍にも高くなり、幾重にも立ちはだかることになった。それは彼女が選んでしていることでもあるだろうが、それ以前に日本では、障害をもつ人が人並みのことをしようとするとその時点で拒絶されていることが根底にあるように思われる。そしてそれがその先で困難を倍加させるのではないか。
(続く)