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梶谷真司 邂逅の記録103 語ることによる排除を乗り越える ――書く哲学対話の試み

2019.10.25 梶谷真司

共創哲学(inclusive philosophy)の基本的な問いの一つは、どこでどのような排除が起こり、それをどうすれば取り除き、より包摂的にできるのかである。前回の山田小百合さんとのコラボイベントで明確になったように、そこで重要なのは「どうすればいろんな人たちが一緒に何かをできるのか?」を考え、実際にやってみることである。

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今回のテーマは「言語」ある。言語は、包摂と排除のもっとも一般的なものである。言語は、人と人を結び付ける一方で、分断ももたらす。バベルの塔の物語では、天に届かんとする塔を建設しようとした人間への罰として、紙は人間から共通言語を奪った。その結果、人間はお互いに言葉が通じなくなって一緒に仕事もできなくなり、人間の野望は打ち砕かれた。
つまり同じ言葉を話す人どうしは共にいることができ、異なる言葉を話す人どうしは、共にはいられないのだ。それは日本語と英語、中国語のような、いわゆる言語の違い――多くの場合国や民族の違い――だけのことではない。地方(方言)、年齢・世代、性別、学歴、職業などについても、同じであれば結びつきが強く、違っているとギャップや分断、排除を生み出す。さらに耳が聞こえない、目が見えない、字が読めないなどの認知機能の違いによっても、分断や排除が起こる。
他方で、これまで哲学対話を実践してきて、「話す」ということの意義を深く理解するのと同時に、そこに対話の限界も感じてきた。そして「話す」というのは、対話にとって根本的なものではないのではないか、もっと言えば、意味のやり取りは何らかの仕方で必要であっても、言葉(少なくとも明示的に表現される言葉)は必ずしも必要ではないかもしれないと思うようになった。

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そこで今回は、障害者福祉をビジネスに結びつけている会社「ヘラルボニー」の松田崇弥さんと、言語の異なる者どうしのコミュニケーションの場を提供する「異言語ラボ」の菊永ふみさんをお呼びすることにした。
二人との出会いは、5月12日に東京芸術大学で行われたTURNミーティングである。TURNとは、障害の有無、世代、性、国籍などの違いを超えた多様な人々の出会いによる相互作用を生み出すアートプロジェクトである。今年の4月に、以前UTCPのイベントでコラボしたことのあるライラ・カセムさんが、今年の4月にプロジェクトデザイナーに就任し、その縁で私もパネリストとして呼んでいただいた。そこにヘラルボニーの松田さんも登壇して、彼と普段から仕事をしている菊永さんとも知り合った。
その時のテーマは「未来を切り開くコミュニケーションって!?」。ライラさんと松田さんと私と、TURNを統括する日比野克彦さんで、コミュニケーションや相互理解について、それぞれの立場から語り、ディスカッションをした。
※TURNミーティングの報告:https://turn-project.com/timeline/diary/5227

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このイベントで松田さんと菊永さんがやっている「未来言語プロジェクト」を知り、その「全人類が可能なコミュニケーション」という理念に共感し、今回のコラボ企画になった。当日は、50人を超える参加者が来た。
まず私が今回のイベントの経緯と趣旨を説明し、そのあと松田さんと菊永さんにご自身の活動について話していただいた。松田さんは、双子の兄弟と、自閉症のお兄さんと育った。障害がある人やその家族は、世間からは同情されたり、大変だと思われたりすることが多い。しかし松田さんにとって、お兄さんは、少し変わった人ではあっても、かわいそうなわけでも、大変なわけでもない。だから、知的障害は、見方によっては、強烈な個性、“異彩”になる。双子の兄弟は、それを社会に向けて解き放つことをミッションに掲げ、ヘラルボニーを設立した。
※ヘラルボニー:http://www.heralbony.com/
以来、日本各地の障害者施設と協働して、様々な会社やシーンにあったアート作品を提供したり、障害者の作品をモチーフにしたプロダクトを作ったり(MUKUという自社ブランド)、工事の仮囲いをギャラリーにして作品を展示したり(全日本仮囲いアートプロジェクト)する活動をしている。

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松田さんによれば、「知的障害のある方が描くアート作品には、予定調和・バイアスを破壊する力がある」。だからそのクオリティにこだわり、ブランディングし、きちんとビジネスとして成立させる。
もう一つの活動が、今回のテーマ「未来言語プロジェクト」である。理解できない外国語、耳の聞こえない人にとっての音声言語、目が見えない人にとっての文字言語といった言語による障壁をどのように超えることができるか――このような可能な限り誰にでも開かれたコミュケーションの可能性を探る。
このプロジェクトで松田さんがコラボしているのが、異言語ラボの菊永ふみさんである。彼女自身、耳が不自由で、話すことはできるが、聞くことに大きな困難を抱えている。当日は手話通訳の方に来ていただき、私たちとの間のコミュニケーションを手伝っていただいた。
※異言語ラボ:http://igengo.com/
しかし異言語ラボは、「異を楽しむ世界を作る」を理念とし、むしろこの不自由さを逆手に取って、「異なる言語・文化をもつ者どうしが協力し、伝え合い、認め合うことで、新たな世界が広がる瞬間を実感できる場を想像し、探求する」活動をしている。そして「異言語脱出ゲーム」という一種の謎解きゲームのイベントを行っている。これは、耳が聞こえる人と聞こえない人が一緒に、身振り手振り、文字などを用いて、謎を解きながら脱出するワークショップで、様々な学校や企業でも行っている。
彼女の活動は、聴覚障害を軸にはしているが、このイベントを通して、参加者は自分の限界と共に新たな能力を知り、自己のアイデンティティを知り、自分とは異なる他者を理解し、協力し、信頼することを学ぶ。

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松田さんにしても菊永さんにしても、彼らにとって障害とは、けっしてたんなる困難ではなく、新たな、際立った“可能性”である。彼らの活動は、障害者福祉のポンテシャルを拡大するだけではない。それはアート、ビジネス、教育、ライフスタイルにも新たな領域を開いていく。
二人の活動紹介のあと、イベントの後半では、言葉を発しない、文字だけで行う哲学対話を試みた。まずはテーマとなる問いを出してもらい、その中から3つを選んだ。
「話す言葉だけが言語か?」
「芸術作品のうまいとヘタはどう違うのか?」
「宇宙人・ネコ・ペンギンとコミュニケーションは取れるのか?」
話しながら行う通常の対話と違ったので、それで戸惑うグループもあったが、他方で、話すのが苦手な人にとっては、書く方が気楽だったという意見もあった。また、ある程度まとまりのある対話をするのに、文字だけで対話するのは不自由を感じた人もいた。ホワイトボードの大きさの制約で、何でも書けるわけではなく、書くことを選ばねばならず、そこで悩んだ人もいた。
他方で、対話が同時並行でいろんな方向に展開し、みんなそのどれにも参加し、自由に行き来できる。しばらくたってかなり前に書かれたことに反応することもできる。字の代わりに絵を描く人もいた。全体として、言葉による対話よりも自由な感じがした。
耳が聞こえないことのハンディは、ほとんどなかったと思われる(ただし、菊永さんによると、聴覚障碍者は、文字を書くのが苦手な人も多いとのことだった)。文字はたしかに障壁である。しかし、文字のみによることで、言葉を話すことからくる限界は、かなりの程度乗り越えられることが分かった。
松田さんや菊永さんとはいずれまたコラボする予定である。今度は別の障壁を超えるコミュニケーションの可能性を探りたい。

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