【報告】2019年国際哲学オリンピック(3) 体験記
熊谷勇輝
この度IPOローマ大会に参加させたいただいた熊谷勇輝と申します。まず、上廣倫理財団の(旅費に限らない様々な点における)ご支援に、この場を借りて感謝を申し上げたく存じます。私にとって上廣倫理財団のサポートがなければIPOに参加することは叶わなかったでしょう。また、引率の榊原先生、林先生はもちろん、梶谷先生、北垣先生(五十音順)にはエッセイの添削で大変お世話になりました。あまり出来の良くないエッセイだったかと思いますが、本番では Honorable Mention (佳作) という結果に繋がったので、終わり良ければすべて良しです。
さっそく今回のIPOについて説明する前に「哲学オリンピックは何を競うのか?」という非常に重大な問いについて、私の思うところを公にしようと思います。
実は、私は「哲学をやっている」などという言葉を発するのが、恥ずかしくて堪らないです。自分が哲学をやれているのか、そもそも哲学をやるとは何か、そういった然るべき(自己)批判に無自覚な人間が嫌いだからです。「数学をやっている」「語学をやっている」「筋トレをやっている」といったことを発するのには実に抵抗がありません。たぶん両者に違いがあるのだろうし、薄々自分でも感づいているような気はしますが、それでも何か直面したくないような感じを「哲学をやる」に感じます。だから、哲学オリンピックに対してある種の偏見というか、こう、「ああ『哲学』ね......(苦笑)」のような疎外感を受けるのも(誰もこの冷酷な事実に言及しようとしないか無視を決めようとしますが!)、僕としては、至極当然だと考えます。このことについては3000文字ぐらい書きたいことがあるのですが、今思うところを簡単にまとめると「哲学オリンピックは(少なくとも文字の上では)啓蒙が目標であって、それと同時に(もしあるなら、競われるべき)『ほんとうのてつがく』について論じるのは基本的にナンセンスだし、そう割り切れないがために生まれる批判もナンセンスだ」ということです。私は中3の頃から選考会に顔を出し、今年初めてIPOに参加したのですが、それでもなお、今の今まで、この惨たらしい問いが緩まることはありませんでした。今後参加される方は、ぜひこの問いに一度向き合った上でIPOに臨んでほしいと思っていますし、僕も多分この1年間は考えるはずです。
まあこんなことを書くこと自体も、書いている自分さえも、憎たらしくて恥ずかしくて仕方がないので、ここらへんで切り上げてIPOについて報告いたします。
まず1日目は成田空港からシャルル・ド・ゴール空港へ向かい、空港の近くで少しジャンクですが美味しい夕食をとり、ホテルでゆっくり休みました。自分にとっては初めての海外旅行だった上に、フランス語をある程度勉強していたので、とても不思議な感覚がしました。いわゆる「異世界転生」モノのような、でも日本語の通じる相手が3人いるという風穴を吹き込むような事実、に些かの当惑を憶えました。2日目はローマに向かい、ここでも美味しいパスタをいただき、会場へと向かいました。すると、現地の警察が空港の検問所より厳しいボディチェックを実施しており、内心驚きながらお土産のポテチが詰まった荷物を見せたりしていました。あとはよく覚えていないですが、唯一(この日に限らず)非常に強く印象に残ったのは、イタリア人は時間に大変寛容であるということです。とても寛容だったので、開会式も1時間ほど余裕を持って催されました。3日目は頑張ってエッセイを書き、4日目まで講演やら観光やらを楽しんでいました。でも、とにかく自分としては、上の問いは頭の中にありました。他の参加者に聞くべきかと思いながらも、聞くことに何か言い難いグロテスクさを感じていました。
ようやくの決着を見たのが、最終日の結果発表でした。自分としては来年もチャンスがあるし、別に観光ができたから正直どうなっても構わなかったのですが、なんと Honorable Mention をいただき、醜くも「いざ貰ってしまうといい気分だし、もっと頑張ればよかったのかな」などと思ってしまいました。単純でバカバカしいけども、そんな結論で自分のような人間は満足できるようです。
哲学オリンピックというのは、どこまで行ってもよく分かりませんが、少なくとも本分であるところの哲学的啓蒙については、少なくとも僕にとっては、成功しているようです。私は他の立派な参加者のように偉くて哲学っぽいことは書けません(書きたくもありません)が、今後参加される方々のためにも、今のIPOに対する本心を以って報告に替えさせてください。