梶谷真司 邂逅の記録100 文字を通して自らと向き合う
2019年2月17日と3月2日、書家の華雪さんによるワークショップを行った。タイトルは、
アートcare『「木」を書く~字を書くことから見えてくる“わたし”』
(イベント自体の進行、様子については以下のリンク先を参照)
https://www.souq-site.com/shop/g/gMkasetsu01/
華雪さんは、「一字書」という独自のジャンルで活動を続けてきた書家である。師匠や古典の書をお手本とするのではなく、一つの文字(多くは象形文字)を書く。ワークショップ両日ともに「木」という字を書いた。
自分が思ったように書く。大きさも形も、自分で考える。筆も、華雪さんが用意した多種多様な種類の中から自分が気に入ったものを選ぶ。水牛、リス、イノシシ、馬、孔雀、竹、華雪さんの髪など。紙の大きさも形も自分で決める。ある意味「好き勝手」であり、自由である。どのように書かないといけないかの指示や制限はない。正解もない。上手下手もない。
だが、気楽からは程遠い。「なぜそのように書いたのか」の説明を求められるからだ。筆を選ぶ、紙を選ぶ、線の太さ、配置、字の大きさ……すべてを自分で決める。そのすべてに理由がいる。「何となく」は許されない。たった一文字を書くために、どれほど自分と向き合わなければいけないのか。
筆の感触を確かめるために、何度も線を引く。直線、曲線、丸。そしてそれを文字にしていく。自分にとって「木」とは? それを文字に書くのはどういうことか? 自分と「木」という文字はどのように関係しているのか? いろんな形で書いてみて、徐々に自分の字を見つけていく。でもなぜ? なぜこんな線を書くのか? この「木」で何を表そうとしているのか? そもそもここで私は何をしているのか? 何をしに来たのか?
ワークショップでは、15人ほどが参加していた。だからきっと、参加した15人の全員が同じ空間で、ある意味みんなで一緒に、ある意味それぞれバラバラにこんなことを自らに問いかけていたんだろう。その不思議な一体感と孤独感。
哲学対話を授業に取り入れているとある学校の年度末の振り返りで、「哲学対話ってどんな時間ですか?」という問いかけに生徒が寄せ書きをしていた。「いろんな人の意見が聞ける」「今までなかったことを考える」など、それらしいものがある中に、こんな言葉が書かれていた。「孤独になれる時間」「自分と向き合う時間」――華雪さんのワークショップも似ている。
普通、みんなと一緒でありながら孤独と言うのは、どこか疎外感が伴う。もしくは、一緒にいることと孤独であることは、端的に相いれない。だけど、この一字書の体験は、連帯感と孤独感が結ばれている稀有な状態だ。そこには安心感がある。哲学対話は共有された言葉と思いを通して自分に向き合う。一字書は共有された一つの文字を通して自分に向き合う。
最後に大きな紙にそれぞれが自分の「木」を書く。それが豊かな森となる。ワークショップで起きたことがそのまま形になったようだった。