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【報告】第1回 Frontier Author's Talk

2018.02.01 石井剛, 國分功一郎, 文景楠

UTCP Frontier Author’s Talkは、UTCPで活動に携わり、現在は世界のどこかで活躍しているかつての若手研究者たちの新著について、著者を囲んで行う合評会である。その第一回は、『中動態の世界 意志と責任の考古学』(医学書院、2017年)が大きな反響を呼び、小林秀雄賞も受賞した國分功一郎氏をお招きすることができた。國分氏には、この新たに立ち上げたトーク・シリーズの趣旨に即座に賛同してくださり、また年度末に近い多忙な時期に駒場に来ることを快諾していただいた。この場を借りて深く御礼を申し上げたい。

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このシリーズは、UTCPを哲学を次世代に向かって播種する場として活用していくことを目的のひとつに掲げている。お招きする著者が若手から中堅へと脱皮を遂げつつある一線の研究者であるのに対し、ディスカッサントには、著者よりも若い世代の研究者や博士課程生を招こうと欲している。今回は、文景楠氏(東北学院大学)と宮田晃碩氏(東京大学博士課程)のお二人に発題をお願いし、それをもとに活発な議論が繰り広げられた。以下は、文氏、宮田氏双方による報告である。(以上、石井剛執筆)

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文は主に三つの点についてコメントした。まず一点は、バンヴェニストを援用した國分氏によるアリストテレス解釈の是非である。國分氏は、アリストテレスの『カテゴリー論』 から「中動態」の痕跡を見いだすことができると主張する。これに対して文は、このような解釈の可能性を完全に否定することはできないが、「中動態」を指し示すと確実に認定できる要素が『カテゴリー論』のテキストにはなく、これ以外の著作に目を向けると、むしろ「中動態」をアリストテレスに読み込むことを躊躇させる要素のほうが多いと指摘した。次に論じられたのは、特定の文法事項から異なる思考の可能性を読み取るという、本書の基調をなすリサーチプログラムの妥当性である。文は、この試みが翻訳可能性といった論点を考慮すれば非常に困難なものであることを指摘した上で、今後さらなる考察が必要であると述べた。最後に注目したのは、「中動態の世界」の完成形といえる、スピノザの世界における倫理の位置づけである。國分氏は、スピノザの世界に「能動性への契機」を認めることで、その倫理的意義を積極的に救い出そうとする。文は、この「能動性の契機」の内実を再検討することで、この試みが本当にうまくいくのかに関していくつかの疑問を提起した。(以上、文景楠執筆)

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國分功一郎氏の『中動態の世界』は、哲学書でありながら広く読者を獲得し、大きな反響を呼んだ著作である。読者によって共感を寄せるところは様々だろうが、中心的なトピックはその副題が示す通り「意志」と「責任」の概念を問い直すというところにある。言い換えれば、この著作の眼目は、「主体性」や「人格性」の新たな理解を切り拓くという点にあると言えるだろう。ところが実のところ、主体性の概念について著作中で明示的に論じられているわけではない。『中動態の世界』が示唆した可能性を正しく評価するためには、この点を掘り下げ、考察を展開する必要がある。そこで提題者の宮田は、『中動態の世界』から見えてくる「主体」のあり方を検討することに努めた。
具体的には、第一に本書の提示する倫理学の素描に対して素朴な問いを提示し、次いで本書において批判されているアーレントの意志論をあらためて取り上げ検討し、最後にひとつの提案として “suffering” の主体、というものを考察する道筋を示した。大まかに言えば宮田の提題の主旨は、「意志」や「責任」の概念を、批判されているのとは別のかたちで復活させる必要があるのではないか、ということである。

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國分氏からは、温かく真摯な応答をいただいた。主体性の概念についてはたしかに更なる議論の展開が必要であること、また責任概念についてじつは目下別の場所で考察を進めていることなどをお話しいただいた。駆け出しの研究者として提題者を務めた私としては、勝手ながら一線の哲学者とともに思索に携わっている感覚を抱き、確かな手ごたえを感じた次第である。ただ力不足と時間の制限のゆえに、自身の提題からさらに議論を広げ深める、ということが十分できなかったのではないかという心残りがある。
印象深かったのは、提題に対してもフロアからの質問に対しても、つねにご自身の率直な言葉で語る國分氏の語り口である。これが、思索と議論が豊かに広がっていくための条件であろう。
私は提題の中で、「中動態」という言語的なカテゴリーを掘り起こすことは「中動的な主体性」に耳を傾けるための通路である、ということを言った。人と語るための言葉を耕す、そのような哲学を私も続けてゆきたい。今回の合評会は、そのための一つの貴重な機会であったと思う。(以上、宮田晃碩執筆)

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