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【報告】第6回 Trans-Asian Humanities Seminar (人文亞洲研習班/間アジア人文学セミナー)

2018.01.18 石井剛

去る2018年1月9日、第六回UTCP間アジア人文学セミナーが東京大学駒場キャンパス101号館で行われた。今回のセミナーは、台湾交通大学社会與文化研究所博士課程の謝萬科が報告をし、東京大学総合文化研究科の月脚達彦教授がコメンテーターを務めてくださった。司会は東京大学総合文化研究科の石井剛教授教授が担当した。報告は、近代朝鮮の知識人申采浩、朴殷植と李炳憲の儒教思想と批判、そして民族主義との関係についてという主題であった。

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報告者の問題関心は、近代朝鮮のナショナルなイマジネーションと言説において、儒教がどのような役割を果たしていたかという点にある。報告者は国魂と国教という議題を切り口にし、朝鮮儒教への批判的言説に関して言えば、申采浩、朴殷植と李炳憲三者の言説には、三つの異なる典型が見られると考えた。三つの典型はそれぞれ、儒教が奴隷性、普遍性、宗教性を持つというものである。これらの代表的な言説は、論述の戦略として、朝鮮民族主義とナショナルなイマジネーションの核心を構成し、帝国主義の侵略への対抗の役割をも担おうとした。

申采浩は、二元対立の歴史叙述を通して、朝鮮自身に属する花郎道の伝統を作り上げた。保守的であり、事大主義を主張する儒学伝統に対し、申采浩は進取的、独立自主を主張する花郎道は朝鮮がもともと持っているものであり、後者こそが朝鮮の国魂の拠り所だと主張した。さらに、事大主義的な、奴隷性を持つ儒学思想を捨てて初めて、朝鮮は自立へ向かうことができると考えた。換言すれば、儒教が抵抗の働きを持つ普遍的な思想を提供したとしても、それが「朝鮮の」儒教にならない限り、朝鮮は朝鮮になれないのである。申采浩が終始念頭に置いていたのは、朝鮮民族の主体性を確立させるということであった。

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申采浩と異なり、朴殷植と李炳憲は儒教が提供する普遍的な思想を受入れており、それを使い大同の真髄を展開しようとした。朴殷植において、民族の興亡は国教の保存に懸っている。日韓併合以前の朴殷植は、大同教を立ち上げ、孟子、王陽明の心学路線を受け継ぎ、儒教を思想のリソースとし、知行合一、尚武の新しい国民道徳を提唱した。日韓併合後になると、朴殷植の主な思想は変化した。彼は韓国の民間に伝わる檀君教を信奉するだけでなく、檀君を国魂信仰の中心に据え、儒教を補助的な思想として、人道主義と接続できる抵抗的な言説に転換させようとした。李炳憲の場合は、康有為に深く影響されており、理論だけでなく、行動においても韓国で孔教運動を推進しようとした。民族に関する言説では、李炳憲は儒教が韓国自身の宗教だということを証明しなければならなかった。その論理はこうだ。伏羲は東夷の人で、東夷は古代朝鮮に属していた。孔子の思想は伏羲の神道から教えを説いたことに由来しているため、孔教はもともと朝鮮のものとしての性質を持つ。したがって信奉すべきものである。それだけでなく、李炳憲は朝鮮、中国、日本の神話の起源の始祖が同一という議論を通して、孔子の教えは単一の国家に限定されるべきではなく、東洋の、世界的な宗教として受入れ、思想されるべきだと主張した。

コメンテーターの月脚達彦教授は歴史背景について補足をし、歴史研究者の角度から踏み込んだコメントをした。なかでも重要なのは、研究対象の諸テクストの発表時間が抜けており、テクストを生み出した歴史的コンテクストを確定できないという指摘である。言論や思想はなにもないところから出てくるのではなく、どれもが当時の歴史的状況に対する反応である。たとえば、朴殷植が大同思想を人道主義の高さにまで引き上げたのは、第一次世界大戦後の反省の影響を受けたためである。また、著作の時期を明記すれば、民族の史学としての申采浩と朴殷植の歴史学の著作は、愛国啓蒙運動期の思想行為だということが分かる。一方、李炳憲の儒教復原論と歴史教理論は、日韓併合からかなり後のことであり、日本の植民地統治という歴史に直面している。そこで問われるべきは、李炳憲を申采浩、朴殷植と一緒に並べて比較することの意義は何か、ということである。報告者はこの比較可能性に関する疑問を答えることで、初めて効果的な議論が可能となる。月脚教授はまた、朴殷植と李炳憲がともに康有為の影響を受けたのなら、儒教を国教に据える点で同じである一方、朴殷植の大同教と李炳憲の孔教にどのような差異があるのかという疑問を呈した。さらに、研究対象の全集からの引用であっても、本人の著作ではなく、編者が誤って選入した可能性があると指摘した。なぜなら、当時の文章の多くは新聞や雑誌に発表されており、署名がなかったり、筆名で発表したりする場合があるためだ。文章の口調や主張が研究対象の思想全体と一致しない場合があり、たとえば『二十世紀新国民』が申采浩の作品でない可能性が高く、研究や引用する際は細心の注意を払わなければならない。最後に、セミナーのほかの参加者から、朝鮮儒学思想史の内側から、または民族や世界秩序の想像から論文を構成してはどうかというアドバイスがあった。

(文責:日本語訳:張煒)

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