梶谷真司 邂逅の記録92 ポッキーイベント~空虚にして充実した時間
2017年11月11日、「ステキな問いの忘れ方」というイベントを行った。何をするのか自分でも決めない、初めての試みだった。ポスターもタイトルと会場と開始時刻があるだけ。ポッキーの日にちなんで「ポッキー持参のこと(プリッツも可)」と書いてある。あとは、「参加者(いろいろ)」と「梶谷真司(哲学者)」の文字だけ。ゲストなし、中身なしの企画。
もともとこの日は、ライターの夏生さえりさんとのイベントをやる予定だったのだが、いい部屋が取れず、かといってせっかくポッキーの日なのに何もできないのももったいない。「恋」と「問い」をかけてタイトルを作るアイデアにどこかの時点で取りつかれて、やるしかない、と思った。いいポスターができたらやろう!とフリーの写真素材を探すこと1時間。若い女性が机の上に突っ伏した印象的な写真が見つかった。ポスターはあっという間にできた。イベントのタイトルは1985年にリリースされた薬師丸ひろ子の曲「ステキな恋の忘れ方」(井上陽水作詞・作曲)を入れ替えたパロディである。井上陽水の作詞作曲、薬師丸のアルバムまで買った。もうやるっきゃない。
でも、こんないい加減ないイベントで、いったいどういう人が何のために来るのか?
〈哲学×デザイン〉プロジェクトでは、できるだけ趣旨が分かりにくい、当日何をするのか分かりにくいことをやるように心掛けてきた。来た人が違和感を覚え、戸惑い、客であることに安住できない空間を作る。だから、部屋の前後両方にスクリーンを下ろし、椅子も雑然と置き、前も後ろもなくする。ゲストスピーカーの席を明確に決めず、客の間に座ってもらう。参加者はどっちを向いて座ればいいかもよく分からない。受付もやめた。
来た人は、いきなり自分がどうしていいか分からなくなる。受付はないのか、どこに座ればいいのか、どっちが前か、終了時間はいつか(開始時間にしか書いていない)聞いてくる。何を聞かれても答えは「特に決まっていません。好きにしてください。」
こっちが決める部分を減らし、参加者が決めなければならない部分を増やすと、参加者はより参加するようになる。初めの会場設営も最後の原状復帰も、参加者にやってもらう。そうすると、参加者次第にたんに参加するのではなく、主催者側に近づいてくる。最近、学術イベントですら「おもてなし」精神が蔓延し、参加者を客扱いする。それで来た人は、面白かったとかつまらなかったと感想を言う。消費者気分だ。だがイベントというのは、主催者と参加者が一緒に作るもので、一方が提供し他方が享受するという関係ではない。まさに一部を担う(participate = take part)のである。そうすれば、イベント(出来事)の見物人ではなく、関係者、当事者の一人になる。面白いかどうかは参加の仕方の問題であって、つまらないのは――哲学対話の時もそういってきたが――その人の責任で、参加の仕方が悪いのだ。私は主催者として、場を設けた時点で責任を果たしている。あとの責任は参加者が果たせばいい。
ということで、今回は、ポスターにもゲストの代わりに「参加者(いろいろ)」と書いてある。これは「来たらちゃんとやってね」というメッセージでもあった。ポッキー持参が条件なので(持っていない人は、どこかで買ってからまた来てもらうつもりだったが、全員持参してた。えらい!)、それを会場の外の談話コーナーで出してもらい、机の上に並べてもらった。会場で好きなところに座ってもらい、椅子が足りないので、出してもらう(足りなくなることは分かっていたが、あえて準備はしない)。全部で40人くらいだっただろうか。始まって上のような、筋の通らない趣旨説明をし、薬師丸の曲を聴いてもらう。それでこちらから問う。
「なんで、こんな中身が分からないイベントに来たんですか?」
答えはパッとしない――「何をやるのかなーと思って」(おいおい)、「ポスターが気に入って」(中身はいいのか!)、「梶谷さんのイベントに来たかったから」(いやいや、私だってもっと有意義なイベントを他にやってるよ!)、「お母さんについてきただけ」(子どもは正直だな)と、誰もが大した覚悟も目的もなく来ていた。大丈夫か、この人たちは。
「中身のないイベントなのに来た責任はみなさんにあります。それぞれのグループで、このイベントのタイトル、ポッキーにからめて企画を考えてください。」と丸投げ。20分ほどたって、それぞれにどういうプランを考えたか説明してもらい。あとは、ポッキーを食べる企画は会場横の談話コーナーで、それ以外は会場内で、適当にやってもらった。会場内では「忘れること」をめぐって哲学対話、談話コーナーではいろんなポッキーを食べ比べながら談笑、もしくは(特に子供たちは)何十とあるポッキーの箱(中身入り)でタワーを作ったり、ドミノをして遊んだり。私はいろんなところをブラブラ。3つか4つに分かれてバラバラに違うことをやっているのだが、緩い一体感があった。いつもより子供と大人が自然に絡んでいた。これはポッキー効果か。
アンケートはずいぶん前からとっていないので、参加者がどう思ったのかは分からない。知りたいとも思っていない。これが哲学のイベントなのかどうかはどうでもいい。私が見ていて、けっこう稀有な、いい場だったな、とは思った。それにPhilosophy for Everyone(P4E)と〈哲学×デザイン〉プロジェクトのコラボ企画としては、中身を空虚にすることで、かえって充実した時間にできた。一つの到達点に来たな。ポッキーイベント、来年もやろっと。
(梶谷真司)