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【報告】第五回UTCP・間アジア人文学セミナー

2017.10.31 石井剛

第五回UTCP・間アジア人文学セミナーは2017年10月20日(金)に東京大学駒場キャンパス18号館コラボレーションルーム3で開かれた。報告者は京都大学大学院文学研究科 の谷雪妮、司会者は同大学人文科学研究所の森川裕貫氏である。報告者は明治後期に登場する「煩悶青年」を一つのキーワードとして、1920年代までの橘樸の思想の形成過程を捉え直そうと試みた。

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日本の「煩悶青年」世代とは、主に明治10年代の生まれで、日清・日露戦争前後に青年期を過ごし、大正時代に文壇・思想界のオピニオン・リーダーとなった世代を指す。日清戦争から日露戦争にかけて、日本の国際的地位が向上するにつれ、国民の対外的危機意識が薄れていった。また、明治国家体制が確立し、それまでの国家への献身によって幸福を得られる国家と個人の調和的関係が崩れ、両者の乖離が目立つようになった。高山樗牛は明治国家を確立した世代と「煩悶青年」世代との「橋渡し」の役割を果たし、「煩悶青年」の代弁者となった。彼は国家至上主義から「本能」を解放することを要望した。また、西洋文明による「画一化」に対して、民族固有の精神・性情・理想を強調した。アカデミズムにおいては、高山や姉崎正治らがロマン主義的な人文学を確立した。この時期の思想動向を端的に表すならば、「国家」から「個人」への価値の転換であり、ロマン主義的な個人主義の成立につながった。そして、大正期になると、かつての「煩悶青年」が人格主義・教養主義・生命主義を唱えるようになる。また、人格主義の主張や国家至上主義への批判は大正デモクラシーの理念を支えるものともなった。「国家」とは異なる「社会」あるいは「民族」の統制下に自ら個人を帰属させようとした。

報告者は橘樸の思想を、上記の思想的文脈の中に、次のように位置付け直した。
まず、橘の自伝などを参照し、橘の青年期を分析した。橘は1881年(明治14年)に生まれ、世紀転換期において「人生問題」を懐疑する「煩悶青年」の世代に属した。自己主張が強かったため、精神と身体を厳しく管理する学校教育には馴染めず、自我のあり方について大いに「煩悶」していた。また、日露戦争時、橘は初めに日本の対外的膨張を楽観視したが、民衆が戦争の被害に苦しむ様子を見て、「国家の栄光」のために個人が犠牲にされることを問題視した。橘が中国に渡航したのは、学校生活の失敗の繰り返し、そして国家体制に追い込まれる中での自我のあり方に対する「煩悶」が重要な動機となったと思われる。

次に、1920年代の『京津日日新聞』家庭欄に橘が投稿した記事、そして橘を生涯の師と仰いだ宿南八重の日記などを分析し、橘の人生観と歴史観を考察した。大正期に入って、橘は阿部次郎・和辻哲郎などの人格主義者の思想に共鳴した。一方では、個性を深めることで「宇宙の人格者」に通じ得る人生観、他方では、「民族」の純真な「本来の姿」を求め、そこから「国家主義」を摘出していく思考を共有していた。橘の中国論と関連づけてみると、橘は中国社会に道教という「民族宗教」を発見し、また道教を媒介として、古代の民族の「本来の姿」が発する光が、現在の社会改造、ひいては未来の民族のあるべき姿を照らしていると認識していたのである。こうした「民族」像が橘の中国論の中に貫かれていたのではないかと考えられる。

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コメンテーターの村田雄二郎氏は、「煩悶青年」として橘樸像を提示したことを評価するとともに、同時代の中国についての考察が欠けていることを問題点として指摘した。橘が高く評価した章炳麟は明治末期における日本の思潮から影響も受けており、橘と章炳麟の思想的共振をさらに検討する必要があると指摘した。そのほか、博士論文の書き方の注意点、1920年代中国の聯省自治とギルド連合運動をさらに整理する必要があること、橘の道教研究と中国の民俗学、日本の柳田國男の民俗学との関連を検討することなどを助言した。

討論では、来聴者から、高山樗牛のナショナルなロマンチズムと大正時代のロマン的な個人主義との関係、日本のアジア主義における橘の位置付けなどについて質問が出された。また、石井剛氏は、明治末期の日本と同時代の中国との思想連鎖について、章炳麟と魯迅などを例にあげて指摘した。これらの意見を受け、報告者は、橘樸研究を通じて、個人と国家、伝統と近代といった諸位相において、東アジアにおける思想の連鎖あるいはすれ違いを如何に描くかが一つの大きな課題であると改めて感じた。ともあれ、台風が襲来する直前であるにもかかわらず、熱のこもった議論ができ、多くの来聴者と問題関心を共有できたことは報告者にとって大いなる喜びであり、研究を進める上で貴重な糧となった。
(文責・谷雪妮)

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