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【報告】高校生のための哲学サマーキャンプ報告 〈後半〉

2017.08.08 梶谷真司, 八幡さくら, 李範根, 佐藤麻貴, 榊原健太郎

8月1日から2日にかけて、国立オリンピック記念青少年総合センター(東京・参宮橋)および東京大学駒場キャンパス 21 KOMCEE West 303において、「高校生のための哲学サマーキャンプ」が開催された。前編に引き続き、2日の様子を後編として、チューターの石川から報告したい。

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【エッセイの発表・検討】
まず初めに、前日に書き上げたエッセイのストラクチャーを、違う課題を選んだ参加者同士でグループを作って発表した。前日の報告書に載っている課題文を読んだ方はお分かりいただけるだろうが、どの課題文も一筋縄ではいかず、そもそもどのような切り口で論じればいいのかすら悩ましいようなものばかりである。そのため、中には1日目のセッションだけではストラクチャーが完成せず、夜中までかかって完成させたという参加者もいた。どのストラクチャーからも高校生の思考の懸命な格闘の跡と熱意が滲み出ており、発表を聞く人も真剣に耳を傾けていた。

発表を5〜10分ほどで終えたのち、グループ内でコメントを出し合った。印象的だったのは、「発表する人」「聞く人」という形でのコメントと応答にとどまることがなく、全員が同じ立場としてストラクチャーで提示された問題について考えていたことである。前日の哲学対話の効果があったのか、誰一人として相手を「ディスる」ことも茶化すこともせず、自らの経験や具体例を持ち出して積極的かつ説得力のある発言をし、ストラクチャーへのコメントにとどまらず問題そのものについての思考をその場で深めていっていた。発表者もその中で新たな課題を突きつけられて頭を抱えたり、逆に新しい切り口を得ることができて目が輝いたりしていた。

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【エッセイの修正】
全員の発表とコメントが終わったのち、チューターは会場となった教室からひとまず退室し、高校生だけで自らのエッセイの修正を行っていた。そのため私はどのような雰囲気で彼らが修正に取り組んだのかはわからないが、隣の部屋からでもわかる静けさから、真剣に自らの思考や他人からのコメントに向き合っていたのだろうと想像できる。

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【修正エッセイの発表】
エッセイの修正が終わったのち、休憩も兼ねて駒場の生協食堂で昼食をとった。他県からの高校生と雑談に興じる生徒、普段は会えない大学生・大学院生と話をしようとする生徒もいれば、話し足りないかのように他の人たちと離れた席に座って哲学的な話に耽るグループもおり、このサマーキャンプが彼らにとっていかに貴重な機会であるかを再び実感した。

昼食の後は修正したエッセイを先ほどとは違うグループで発表した。修正の結果に自信を持って発表する人、一生懸命考えても答えが出ず、少し自信なさげな人と様々な発表を聞くことができた。ここでも先ほどと同様に、発表者とグループのメンバーが一緒になって問題について対話する姿が見られ、「あまり口を出すな」と言われていたチューターである私も、気がついたら「プレイヤー」の一人として対話に参加していた。チューターとしては反省すべきことなのかもしれないが、それだけ彼らとの対話が真剣で面白いものであったという証拠でもある。高校生と大学生が一緒になって真剣に対話ができるということは、素晴らしいことではないだろうか。

時間に制限があるため、対話を途中で止めなければいけない場面が何度もあった。その度に高校生は「もっと話したい」「まだわからない」という表情をし、私としても対話を遮るのが気が引かれるほどだった(もちろん、私自身ももっと話を聞きたかったし、もっと話をしたかった)。だが、現在の高校において自ら問いを立てて文章を書くという授業はほとんどないし、大学に入ったからも、参考文献なしに自らの頭だけで徹底的に考えて書くという経験はほとんどない。そのような貴重な機会を、彼らは大変楽しんでくれたようであるし、楽しめるほど自らの知力と対話力を振り絞ってくれた彼らを私としても誇りに思う。

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【終わりに】
最後に少し筆者の個人的な話をさせていただきたい。私は現在東京大学文科三類の一年生で、去年までは高校生だった。私がUTCPの活動ならびに哲学オリンピックに出会ったのは高校一年生の冬で、それ以来サマーキャンプや哲学オリンピック、UTCPのワークショップなどにも多数参加してきた。広島の高校に通っており、校内で自分の哲学的な関心について話す機会など全くなかった私にとって、オリンピックの最終選考会やサマーキャンプで同年代の高校生と夜を徹して語り合うのはこの上もなく楽しかったし、そこで知り合って現在も交流のある「哲友」も何人もいる。高校三年生の時には哲学オリンピックの国際大会に出場し、今では後期課程では哲学を専攻しようと思っているが、それほど哲学にのめり込むようになったのも、このサマーキャンプでの経験がきっかけだ。その意味では、サマーキャンプは自分の原点とも言えるような場所である。
 今回サマーキャンプのチューターをするという仕事を二つ返事で引き受けたのは、そのような自分を変えてくれた場所への「恩返し」であると私は思っている。私は参加者が哲学の道を進むようにならなくてもいいと思っている。しかし、ここで学べる「問い、考え、語る」方法と経験、そしてここで得られた友人は必ず彼らの将来を形作ることになるだろう。サマーキャンプが終わってからも会場に残って話を続ける高校生の姿を見て、私はその確信を強くした。同時に、彼らが哲学と出会って格闘するその場に、今度はチューターとして居合わせるという経験も、私に多くのものを与えてくれた。大学で論文を書いたりすると時として文献の中に埋もれそうになることがあるが、自分の原点が何なのか、自分で考えるということはどういうことなのか、もう一度見つめるきっかけになった。そのような場所を提供してくださったUTCPの先生方に感謝申し上げ、この報告を終えたいと思う。

(文責:石川知輝 [東京大学前期教養学部])

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