【報告】 PKU-UTokyo Spring Institute 2017 (3)
2017年3月16日の報告
行程3日目の今日は、午前に東京大学の武田将明氏、午後に北京大学の楊立華氏が講義を行った。
宿泊先から大学構内施設への比較的長い道のりには一同慣れ始めたところであったが、肝心の教室の中には、参加者それぞれの構えた硬さを感じさせる雰囲気が未だに色濃く漂っていた。メインテーブルから一歩引くかたちで、壁際に沿って備えられた聴講者用の椅子には、周囲を伺い伺いする人々が各々定められた時間までの所在なさをかこっている。発表を前に自身の資料に目を通す武田氏の姿がその中で目立っていた。
日本の近代文学から今回のInstituteのテーマである文明論へのアプローチを試みる武田氏の発表は、英国留学からの帰国後に展開された漱石の文明批評に始まり、その漱石をはじめとした明治第1世代の問題意識を批判的に超えていくという宿命的な課題を抱えて登場する後の世代へと焦点を移していった。近代日本の目指した文明開化の表層性をとりたてて批判していくという文明批評のある種素朴で健気なあり方を先代の背中にみつつも、その言葉の限界を否が応でも嗅ぎ分けてしまっている文壇の息子たちの苦闘の物語、これが文学史において文明を語る際には避けて通れぬ問題としてあることを確認する意義深い発表となった。武田氏の取り上げた小林秀雄の言葉はその意味で象徴的であるように思う。「故郷を失った文学」。〈西洋〉の前に空白となった我々の故郷。この甘えた苦渋の表情が彼等の宿命を今に伝えていると言えるだろう。
一方で、午後の楊氏の発表を前に、教室はこれまでにない緊張感に包まれていた。”An Interpretation of Zhuangzi’s Identification of Things”という題で発表されることになっていたが、それぞれ聞き知るところの氏を目の前にして、その語る世界に触れることのできるこの場の機会に、喜びに交じる一抹の不安を一同が確かに感じ取っていた。
その楊先生曰く、西洋における世界認識をおおよそ宿命的に規定してきたところの二元論を相対化するテキストとして「荘子」を取り上げてみることができるという。特に重要なのは、その一元論的な認識のあり方だということであった。今回のInstituteについて、アジアを舞台に「文明」論を再考するという機会において、西洋の思考の枠組みを相対化していくことのできるテキストが我々の手元にあるという事実の再確認は殊更に大きな意味を持っていた。張りつめた緊張感と共に粛々と進んでいった時間のなかで、中国哲学を人類の遺産として開放するという中島隆博氏の問題意識も、また1つ具体的な姿をみせたと言えるだろう。
今井一貴(東京大学)