梶谷真司 邂逅の記録90 国際哲学オリンピック 2017 in Rotterdam(2)
今年はフライトのタイミングの関係で、一日早く現地入りすることにした。5月21日の早朝に羽田を出発し、ロンドン経由でアムステルダムに到着。そこから電車でロッテルダムへ。夕方6時ごろに参加者用のホテルに入る。同じように前泊組のチームが何組もいて、一年ぶりの再会を喜んだ。
大会初日は、夕方からオープニングセレモニーがあり、教員たちは一年ぶりの再会を喜んだり、新しいメンバーとの会話を楽しんだ。高校生たちもすぐに打ち解け、楽しそうに歓談していた。2日目、高校生はいよいよ本番のエッセイライティング。教員はその時間、7つ用意されたいろんなワークショップに参加した。一つ当たり45分、全部で3つ選ぶ。今年の大会全体のテーマがTolerance(寛容)なので、いずれのワークショップもそれに関連している――①「ジョン・ロックと宗教的寛容」、②「活動としての寛容」、③「寛容の実践」、④「寛容の自由主義パラダイム」、⑤「寛容と真実」、⑥「寛容と課税」、⑦「Philosophicons」の7つである。
私自身は、まず⑦のPhilosophiconsに参加した。これは、今回のホストを務めているオランダの教員がクラウドファンディングで開発中の、思考のプロセスを可視化するブロックである(http://philosophicons.com/)。何が問いで、何が結論で、それをどのようなタイプの論証(演繹か帰納か)がつないでいるか、根拠が暗黙の裡に前提されているのか明示的示されているのかなどを、色と形の違うブロックを組み合わせていく教材である。これで十分に哲学の議論の構造を分析できるかどうかはともかく、これを使ってみんな文章を読みながら議論することで、問い、論点、結論、演繹・帰納、アプリオリ・アポステリオリなど、哲学の概念に習熟していくことができる点で興味深かった。
2つ目に出たのは、⑤の「寛容と真実」で、これは相手の立場を尊重する寛容さが、相対主義に陥り、何が事実か、何が真実なのか問えなくなるという、昨今のPost-truth politics(何が真実かよりも信条や感情に訴える政治)と、IT技術との関連について討論した。3つ目は③「寛容の実践」で、私たちが何かを許容したりしなかったりするとき、どういうバイアスや無意識の偏見、差別意識が作用しているかを考察し、そこから実際に他者を承認し、共存するにはどうすればいいかを論じた。
続いて、評価の基準やプロセスについて話し合う教員の会合が開かれた(IPOでは、引率した教員全員が審査に当たる)。ここでは評価基準である①課題文との関連性、②課題文に関する哲学的理解、③議論の説得力、④議論全体の首尾一貫性、⑤独自性について、それが具体的に何を意味するのかについて議論する。エッセイを査読するとき、第一段階では4人1グループになって一緒に読む。その後、どういう点がいいと思ったか、よくないと思ったか意見交換をするが、評価がおおむね一致するときもあれば、大きくずれることもある。最終的に評価が一致する必要はなく、互いの意見を聞いたうえで、最終的にはそれぞれの判断で評価をすればいい。
いろんな国から来た、いろんな境遇の高校生たちがいるから、実にいろんなエッセイを書いてくる。中にはこちらの予想をはるかに超えるものがあって面白い。今年はどんなエッセイに出会えるか――評価は明日、3日目である。会合後、エッセイライティングを終えた高校生たちと合流し、ロッテルダムの港をフェリーで周遊し、街中で夕食をとった。