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【報告】哲学ドラマ特別イベント&ワークショップ「ふたつのつばさ」公開稽古+対話(2)

2017.03.09 梶谷真司, 八幡さくら, 大谷賢治郎, 松山侑生, 水谷みつる, Philosophy for Everyone

哲学ドラマワークショップ――公開稽古から身体を使ったワークと哲学対話へ

続けて開催された4日(日)のワークショップでは、午後いっぱいを使って、通し稽古と身体を使ったワーク、そして物語についての哲学対話を行なった。俳優たちは本公演と同じ衣裳をつけ、観客席側には前回と同様、演出の大谷をはじめとした公演スタッフが並んでいた。驚いたのは、3日前と比べ、芝居のテンポが格段によくなり、密度が濃くなっていたことである。公演まで1週間を切り、急速に作品が仕上がっているのが感じられた。参加者には就学前の幼い子どもたちもいたが、目の前で繰り広げられる芝居を、時に笑い声を上げながら夢中になって見ている姿が印象的だった。物語と俳優たちの生き生きとした演技が、子どもたちを引きつけて離さないようだった。

通し稽古の後は、演出家からのフィードバックは行なわず、軽く休憩を挟んで、身体を使うワークに移った。俳優も加わり、参加者と一緒になって身体を動かした。最初は「名前鬼」。鬼に狙われた人が、タッチされる前に別の人の名前を呼ぶと、呼ばれた人が鬼になるというシアター・ゲームである。みな今日、呼んでもらいたい名前を書いた名札をつけていたが、初対面の人も多く、狙われていると気づいても、咄嗟に誰かの名前を呼ぶのがなかなか難しかった。あちこちで笑いが起こり、参加者同士、お互いの顔と名前に親しむきっかけとなった。

続いて「2UP 3DOWN」を行なった。5人が前に出て横一列に並び、目を瞑って、つねに2人が立ち、3人が座った状態を維持するというシアター・ゲームである。視覚に頼らずに、隣だけでなく一緒に並んでいる数人の気配を感じ取り、誰かが動いた時に自分が動くか、他の人に任せるか、瞬時に判断しなければならない。これはかなり難しい。5人ないし6人のグループに分かれて行なったが、なかなかうまく行かず、目を開けて自分たちの姿を確認して、大笑いするグループも多かった。

その後、大谷がいまやった2つのワークと演劇とのかかわりについて説明した。演劇は関係性の芸術であり、相手の存在に耳を澄まし、敏感に感じ取ると同時に、自分をしっかりと表現し、伝えることが大切という内容だった。他者の話をよく聞き、同時に、自分の考えを丁寧に言葉にするというのは、哲学対話でも非常に大事なことであり、前半のまとめがそのまま後半への橋渡しとなった。そして最後に、合図なしに全員で一斉にジャンプするゲームを行ない、何度目かのトライでようやく一斉にジャンプできた後、前半を終えた。

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「物語を読み解く問い」――3つの仮説を考える

休憩を挟んで後半は、哲学対話を行なった。俳優にも役としてではなく本人として参加してもらい、ファシリテーターは筆者が担当した。はじめに全体の流れとして、「物語を読み解く問い(Comprehension Questions)」から「深く考える問い(Reflection Questions)」へと二段階に分けて問いを出し、思考を深めていくことを説明した。二段階に分けたのは、作品の解釈にかかわる問いと、作品をきっかけに生まれるより一般的で抽象的な問いを混在させないためであり、同時に、前者と後者で違うアプローチを経験してもらうためである。

「物語を読み解く問い」としては、たとえば以下のようなものが出された。

・父と母はなぜ結婚したのか?
・子どもになぜ飛ぶことを禁じるのか?
・父も母もいつかライフを飛ばせてあげようと思っていたのか?
・なぜトーアはいじわるなのか? ホントにいじわるなのか?
・なぜ「ふたつのつばさ」なのか?
・ライフは子どもにどういう教育をするか?
・ドードーは救われないのか?
・父はなぜ他の人に相談しなかったのか?
・双子が近寄って来た理由は?
・世界にドードーはどのくらいいて、どこに住んでいるのか?
・母はルールをおかしいと思わないのか?
・父はそんな母を嫌じゃないのか?

一通り問いが出尽くした後、すぐに対話に入らず、まず、それぞれ1つの問いを選び、その問いに答える仮説を3つずつ紙に書いてもらった。この時、最初に思いつく仮説はふだんの自分の考えに近いので、次にはまったく逆の視点から考え、さらに3つ目もまた違う視点から考えるようにと言った。同時に、仮説だから気楽に、自由に想像を巡らして書いて欲しいとも伝えた。

次に4人程度の小グループをつくり、それぞれ書いた仮説を発表して、質疑応答も含め、自由に話し合ってもらった。早く終わったグループには、新たに1つ問いを選び、共同で3つの仮説を考えてもらった。

こうした一連のワークを行なった目的は、まず、一種の思考のエクササイズとして、1つの問いに対し複数の仮説を考える経験をすること、次に、仮説をお互いに伝え合うことで、物語の解釈は多様にあり得ると実感すること、そして、それらを通して「ふたつのつばさ」という作品についての理解を深めることだった。次の「深く考える問い」で興味深い問いが次々と出されたことを考えると、その目的はある程度、達せられたのではないかと思う。問いを二段階に分ける有効性を感じた。

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「深く考える問い」――自らの問題として対話する

続けて「深く考える問い」に移った。出されたのは、以下の問いである。

・子どもの羽を切らない親はいるのか?
・飛べたら幸せか?
・子どもが親の教育について親を恨むことはあるのか?
・子どもの飛ぶ方向を決定づける(狭める)ことはありか?
・障害があっても人間として尊重されるべきでないのか?
・本当のことを知らしめるのはいいことか?
・親が愛情によって制限するのは悪いことか? 良い/悪い制限の境界はどこに?
・幸福は万人にとって同じか?
・親は子どもをコントロールし得るのか?
・「上着」は何か?
・本当にありのまま自分を受容できるか?
・親は言ってはいけないことをどう教えるか? どう反応すべきか?
・それぞれの真実はどこにあるのか?

このなかから似た問いをまとめ、多数決を取って、次の2つの問いを選び、2グループに分かれて対話した。

①子どもの羽を切らない親はいるのか? 子どもの飛ぶ方向を決定づける(狭める)ことはありか? 親が愛情によって制限するのは悪いことか? 良い/悪い制限の境界はどこに?
②「上着」は何か?

筆者は①のグループに入った。「子どもの羽を切らない親はいるのか?」という問いは、劇中のあるシーンととりわけ深くかかわっている。思い詰めた母親がライフの羽を切ることを考え、そんなことをしたら二度と飛べなくなると父親に止められるシーンである。対話では、子どもの羽をまったく切らない親はいないが、子どもは親に制限されても、やりたいことがあればやるのでは?という意見や、虐待などで力を奪われていたら、親に逆らうこともできないし、自分のやりたいことさえわからなくなる、といった意見が出た。また、現在、子どもを育てている親の立場から、危ないことを含む子どものさまざまな行動についてどのような態度を取るべきか、日々、問いと選択を突きつけられているという、非常に切実な話が語られた。他方、親に進路を反対された経験のある子どもの立場から、親へのあふれるような思いが述べられる場面もあった。演劇が奥深いところで思考と感情を揺り動かすことを、改めてひしひしと感じさせられる対話であった。

もう一つのグループが扱った②の問いの「上着」とは、物語のなかでライフと両親がつねに身に着けている「肩掛け」のことである。その肩掛けは、ライフの両翼も、両親の片翼も、どちらも隠している。そして、肩掛けで翼を覆っている限り、決して飛ぶことはできない。そこから、自分たちにとって「上着」とは何なのか? それは必要なものなのか? 「上着」を身に着けることで、私たちは何をしているのか?といった問題が話し合われたと、振り返りで報告があった。

最後は全員で大きな円をつくって座り、それぞれのグループの対話の報告と振り返りをして、4時間のワークショップを終えた。冬の陽の落ちるのは早く、外はすっかり暗くなっていた。

今回のワークショップでは、対話のファシリテーターが筆者1人だったこともあり(哲学ドラマ・コレクティブのもう1人のメンバー、松山侑生は海外滞在中で参加できなかった)、後半の対話で大人のグループと子どものグループを分けなかった。なかには最後まで大人と一緒に対話に参加した子どもたちもいたが、多くのとくに幼い子どもたちは前半ですっかりお腹いっぱいになってしまったようで、後半はひたすら自由に遊びまくっていた。今回はもともとワークショップの対象を就学年齢以上としていたこともあり、それでよいと考え、そのままにさせておいた。しかし、あれだけ走り回るエネルギーがあり余っているのであれば、子どもだけのグループをつくって、演劇を見て感じたことを言葉以外のかたちで表現する機会をつくったら、おもしろかったのではないかと思う。身体表現のほか、絵を描き、それを見て語り合うなどの方法があり得ただろう。今後の企画の際にはいっそう工夫し、子どもも含めた多様な参加者が楽しみながら考え、感じ、対話することのできる場をつくっていきたいと思う。

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(文責:水谷みつる)

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