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【報告】Asian Cities: Hubs of Interaction, Tradition and Transformation

2017.03.14 中島隆博, 石井剛, 川村覚文, 八幡さくら, 筒井晴香, 佐藤空, マーク・ロバーツ, 金景彩, 李範根, 石渡崇文, 新居洋子, 井戸美里

去る2017年1月10日から13日にかけて、東京大学東洋文化研究所においてAsian Cities: Hubs of Interaction, Tradition and Transformationと題した国際ワークショップが開催されました。本ワークショップは、UTCPの他にハーバード大学イェンチン研究所、Academy of Korean Studies、東京大学現代韓国研究センターなどとの共催として企画されたものです。以下、3日間にわたるワークショップの模様について、報告いたします。

1月11日

中島隆博氏(UTCP)による開会宣言のあと、Theodore Bestor氏(ハーバード大学)がオープニングリマークとして、「相互交流、伝統、変貌-築地、豊洲、東京オリンピック(Interaction, Tradition, and Transformation: The Curious Case of Tsukiji, Toyosu, and the Tokyo Olympics)」という題で講演を行なった。ベスタ―教授は、築地の歴史を印象深く振り返ったあとで、現在、話題となっているその移転問題についてその概要を語った。講演は、築地という東京の特定の場所と歴史的・現代的意義について振り返りながら、今回のコンフォランスの主要テーマである社会における「都市」の役割を鮮やかに浮かび上がらせるものであった。

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セッション1の最初の講演者であるAndrew Gordon氏(ハーバード大学)からは、オンライン・アーカイヴ「2011 Japan Disasters Digital Archive」に関する報告があった。2011年3月の東日本大震災の写真や映像などがこのオンライン・アーカイヴに保存されているが、その役割は、単にその歴史を映像として「保存(Preserve)」するというものに留まらず、そのような歴史の保存を通じて、人々を「繋げ(Connect)」、それを通して人々が様々な「発見(Discover)」をする。また、そこに自らが保持する資料を掲載することで、このアーカイヴに「参加する(Participate)」ことも可能である。ゴードン教授の言葉の中で印象的だったのは、「つくる側と使う側のギャップをなくす」という言葉である。このように、アーカイヴを閲覧する側が資料を提供することで、「つくる側」に回り、他の「作り手」が新たな情報を受け取る側に回ることもできる。このような双方向な情報やり取りは、これまでにない形で災害というものを考える方法を提供するものである。また、これとは別に「素材を集めるためには、現地とコネクションがあった方がいい」とゴードン教授は述べるが、これはこのようにハイテクを駆使できる時代になっても、やはり「現場」とのやり取りが極めて重要であることを示しており、災害を考える上で必要な「距離感」というものを改めて私たちに考えさせる。

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Helen Hardacre氏(ハーバード大学)の講演は、日本の憲法改正に関する近年の社会動向に関するものであった。憲法改正についての議論は、もともとはタブーであったのだが、1994年、読売新聞がそれを破ってメディアでの憲法改正の議論を開始した。近年の憲法改正をめぐる論議は世論主導ではなく、自民党主導であり、最近の世論調査では、憲法改正の「必要がある」という人は少なくなっている。さらに、後半では、安部政権と日本会議、および憲法改正に向けた最近の動向についての報告もあり、昨今の憲法改正論議の様々な側面について論じられた。

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竹沢泰子氏(京都大学)は「神戸を再建し、再定義する-1995年以後の政府系組織と非政府系組織との協同(Rebuilding and Redifining Kobe: The collaboration between governmental and non-governmental organizations after the 1995 earthquake)」という題で報告を行なった。2017年は神戸港が開港150周年にあたる。神戸は昔から外国との交流の拠点であり、異国情緒というイメージとともに語られる街である。しかしながら、神戸は1995年の阪神・淡路大震災によって忘れることのできない打撃を受けた。多くの死者を出したこの災害は、日本における災害時の救援活動を見直す大きなきっかけを与え、1995年はのちにボランティア元年とも呼ばれるようになった。もともと、神戸は韓国人や中国人をはじめとする多くの外国人が住む都市であるが、1995年の地震を通して、日本人の住民は外国人の隣人の存在を改めて意識するようになったという。報告は、大地震という歴史的事件を通して、地域社会における多文化共生の問題を深く考えさせるものであった。

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続いて、セッション2の最初の報告者であったDavid Odo氏(ハーバード大学)は、明治期の日本を写した土産物写真における文化と社会の表象に関して発表された。現代における商業写真もそうであるが、この時期の写真もそれを見る側の需要に応じて撮影されていたという。人びとがとりわけ関心を抱いたのは「侍」や「芸者」であって、写真家が日本人であろうと西洋人であってもこの二つは常に撮影の対象になった。当時の日本人女性は、全て芸者であるかのように外国人に思われていたという。また、報告で使用された刺青の入った男の写真は、実はもともと刺青は入っておらず、需要者のニーズに合わせてあとで書き込まれたものであった。オッド氏の報告は、明治期に撮影された多数の写真を見せながらそれらを興味深く分析したもので、聴く側を引き込んでいった。

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井戸美里氏(京都工芸繊維大学)の報告は「都を視覚化する-前近代の日本における名所としての京都(Visualizing the Capital: Kyoto as Meisho in Premodern Japan)」という題で行なわれた。名所という概念に焦点を当てながら、京都が近代以前においてどのように視覚化されていたかという問題について議論された。井戸氏が取り上げたのは、名所と呼ばれる場所が和歌や紀行文などの中で、どのようにつくりあげられるかという問題であった。さらに、井戸氏は17世紀前半の京都を描いた風景画について分析し、また、京都の古代名所の再建は17世紀前半の古典の再評価の動きと密接に関係していると語った。

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文責:佐藤空(UTCP)

Mark Roberts氏(UTCP)は、1980年代に作られた一連のSFアニメーションにおける都市表象を分析し、都市の現在、未来に対する想像がSFというジャンルを通じていかに再現されていたのかについて発表を行った。氏によれば『AKIRA』『機動警察パトレイバー』『攻殻機動隊』『メトロポリス』などといった80年代のアニメ映画における都市表象は、1960~70年代のメタボリズムが提示したユートピア的な都市想像の代替物であった。氏はフレドリック・ジェイムソンのSFジャンルが持つ効果についての議論を参照しながら、80年代のアニメ映画がディストピア的な都市の未来を描くことで「現在」を歴史化する契機を与えるとともに、未来への想像不可能性を提示したということを、個々の作品に表れる都市のイメージの分析から論証した。さらに最後には、そのようなディストピア的都市想像と現実における都市計画との関連性について指摘した。

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川村覚文氏(UTCP)の発表は、被差別部落の問題に象徴される近代的差別の起源を網野善彦の議論やミシェル・フーコーの「統治性」をめぐる議論から問うものであった。網野善彦によれば中世日本には「楽」「苦界」「無縁」といった表現に象徴される原始的な自由が存在した。市や都市は、統治権力からの自由と平和が保障された一種のアサイラムであり、そこに生きる人々は自由に移動することのできるノマドだったのである。中世日本における人々の自由は、彼らの神聖性に由来し、またその神聖性は天皇を起源としていた。したがって天皇の神聖性が衰退すれば、「無縁」の人々の神聖性も衰退してしまうのであり、近代以降の差別はこのような神聖性の衰退に起因するというのが網野の議論を通じて読み取れる差別の起源である。川村氏は、天皇を特権化してしまう網野の議論の限界を指摘しながら、フーコーの「統治性」を、天皇とノマディズム、そして差別を理解するためのもう一つの参照点として提示する。フーコーの「統治性」概念の観点からすれば、天皇は人々の自由を動員する主体となる。神聖性の衰退、「統治性」の強化が都市の形成と差別の根底にあるというのが氏の発表の骨子である。

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セッション3の最初の登壇者であったSeung-Mi Han氏(延世大学)の発表は「ナショナリズム時代における帝国の新女性/モダンガール」という題目で行われた。氏は、2005年に公開された韓国映画『Blue Swallow』とそれ以降に公開され、商業的に大きな成功を収めた映画やドラマ(『モダンボーイ』『京城スキャンダル』『暗殺』など)を比較しながら、それらの作品間にみられる植民地という空間に対する認識の違いから、いわゆる「親日」問題(戦争協力)の再検討を行った。ジェンダー、階級、民族性が複雑に交差する植民地空間を親日、反日のいずれかに裁断し、理解してきたことが、今現在も踏襲されている植民地のイメージからもみてとれるという、従来の植民地への認識に対する批判的介入が試みられた発表であった。

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Ting Yui氏(武漢大学)の発表は、清時代の儒学者、院元(1764~1849)の知的軌跡を追いながら、広州という地域が中国帝国の学問的中心地になっていくプロセスを検討するものであった。もともと行政官吏であった院元は、学海堂を設立し、多くの儒学者を集め『皇清経解』の編纂に取り組むことで、広州において独特な学問体系を構築していったという。氏によれば、新儒学によって従来の漢学が新たな転機を迎えた時期、中国の古典と歴史をめぐる院元の知的実践は、中国帝国の辺境に過ぎなかった広州を儒学の新たな中心地たらしめた。古典的儒学が再構成され始めた時期における個々の儒学者たちの実践とその結果として創り出された中国内部の学問的位階を垣間見れる興味深い発表であった。

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Sun Huei-min氏(中央研究院)は、19世紀末から20世紀初頭までの上海における借家制度に関する発表を行った。外国からの移住者が激増しつつあった当時の上海では、借家、貸家を巡って様々な問題が発生していた。氏によれば、当時の上海は少なくとも三つ(中国、フランス、イギリス)の法的体系の中に置かれ、賃貸住宅マーケットに関わっていた者たちもそれらの複数の方針から自由ではなかった。氏は、当時の上海における複数の賃貸住宅制度とその制度下に置かれた人々の対応を分析し、国際都市となりつつあった19世紀末以来の上海の風景を描き出した。

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文責:金景彩(UTCP・東京大学大学院博士課程)

1月12日

午前中のトップを飾ったセッション4では「Asian Cities in Global Transformation」と題して、様々なアジア各国の都市についての研究発表が行われた。まずMichael Herzfeld氏(ハーバード大学)の発表「隠れた植民主義」(Crypto-colonialism)では、タイのバンコクを取り上げ、ヨーロッパスタイルの公的な建築物と仏教寺院の建築様式を比較しながら、植民主義がいかに都市の文明化に影響を与えてきたかを分析した。Herzfeld氏は、植民主義の中でバンコクがとりわけ都市の建築に関して独自の発展を遂げたことを踏まえながら、建築やデザインが権力に結びついている点について議論する必要性を訴えた。質疑では、日本や他の国の都市においても空間の使用に関して政治的な力が関与していることが話し合われた。

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次に潘天舒氏(復旦大学)は歴史的記憶と地域の力がジェントリフィケーションの問題にいかに関わるのかを上海の事例を取り上げながら発表した。潘氏は自身のこれまでの上海についての調査を踏まえながら、「上海ノスタルジー」という記憶がどのような経緯で政治的に造られてきたのかを説明した。潘氏によれば、「古い上海」対「『新しい』上海」という対立が様々な書籍、映画などのメディアを通して表現されてきた。また潘氏は、現在の上海におけるジェントリフィケーションの問題として、高所得者層と低所得者層の対立が地理的にも言語的にも起こっている状況を報告した。質疑では上海の他の地域や、実在と言説との区別などについて議論が交わされた。

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園田茂人氏(東京大学)は中国の大都市におけるローカル・アイデンティティーが減少傾向にあるのかどうかを、天津、上海、重慶、広州という四都市についての時系列データの調査・分析を報告した。園田氏によれば、ローカル・アイデンティティーは現代中国においてより強くなっている。これに関して社会政治的な関係や将来的な調査をする必要がある。そして、園田氏は、ローカル・アイデンティティーに、物質主義的な決定要因から非物質主義的な決定要因が関連していることも指摘し、先の都市を香港や台湾などの近隣の大都市と比較することで両者の類似性が判明するのではないかと報告した。参加者からは台湾を比較対象とする問題や大都市における特殊性について意見交換がなされた。

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昼食をはさんで午後からはセッション5「Asia and Tradition」と題してアジアと伝統について発表が行われた。まず青山和佳氏(東京大学)が文化的マイノリティであり、周縁に住む人々に対して私たちがどのように対応すべきかを自身のフィリピンでの調査結果をもとに報告した。具体的には、フィリピンのミンダナオ島ダバオ市のサマ系住民にいて、米国人宣教師により持ち込まれたペンテコステ派・キリスト教がいかに受容され、実践されてきたかを、青山氏は現地でのビデオ記録とともに発表した。青山氏は社会的な政策について注意をそらすことによって、スティグマを破壊することができると指摘した。質疑では、サマ系民族のアニミズムや「家族」という社会的価値について説明がなされた。

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名和克郎(東京大学)は、ネパールのカトマンドズの渓谷にある都市調査を通して「都市の人類学」について問う発表が行われた。カトマンズは宗教的にも政治的にも様々な人々を受け入れてきた都市である。名和氏は、文献や旅行者によって知られるカトマンズ渓谷を紹介した上で、人類学者として行った自身のフィールドワークに基づきながら、様々な写真とともに極西部ネパール高地における移住の歴史と民族内の関連について報告した。質疑では、人類学という方法論や宗教が都市化にいかに関与しているかが議論された。

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周湘氏(中山大学)は「川と寺院:『他なる』場所における自然の想像力1800-1900」と題して発表した。周氏は広州にある海幢寺という寺院と取り上げ、その成立史を地図と資料をもとにしながら紐解いた。街と川を挟んだ向かいにあるこの寺院が歴史的にどのように人々に受け止められ、想像力を刺激し、詩歌や絵画の中で表現されてきたのかを具体例と共に説明した。周氏は時代ごとに寺院の異なる色や表現の仕方を比較しながら、その寺院を自然風景として想像する人々の試みを分析し、人々の自然に対する把握の仕方の変化を論じた。

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休憩を挟んでセッション6「Korea in Interaction」と題して韓国における他国との相互作用について発表が行われた。松谷基和氏(東北学院大学)は「明治初期における韓国に対する日本人のキリスト教徒の使命」という題で発表を行った。19世紀末に朝鮮半島に入ってきたキリスト教(プロテスタント)の普及過程や、それが現地の社会や文化に与えた影響について資料と共に詳細に報告した。発表の中で、アメリカによる朝鮮半島の支配状況や、宗教だけでなく日本の教育の普及に関しても報告が行われ、宗教以外の日本の植民地戦略について報告がおこなわれた。質疑では、韓国におけるアメリカの活動や日本仏教布教活動などについても質問された。

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橋本悟氏(メリーランド大学)は、資本主義に反する事例として韓国と台湾の間を越境する植民地文学について発表した。橋本氏は、魯迅、Kim Saryang、龍瑛宗を取り上げ、日本帝国の支配下で生まれた植民地文学が文人たちの相互交流の中で生まれたことを指摘した。さらにKim Saryangと龍瑛宗の文学作品を引用し、分析を行った。橋本は、原作と作家自身の翻訳を比較して、主語の使用法や言葉の選択がKimと龍の間でかなり異なっていることを指摘し、言語の変化を読み説いた。質疑では、資本主義と植民地の関係やマイノリティ文学について質問が行われた。

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朴炯智氏(延世大学校)は、グローバルなフィクションとアジアのメトロポリスとして、ソウルが表現されていることを、現代のドラマを取り上げて紹介した。朴氏は主に『Sense 8』と『Cloud Atlas』を取り上げ、近未来のグローバル・コミュニティーのあり方や生活様式の変化について、ドラマのシーンをスライドで示しながら分析した。質疑では、グローバルなフィクションの中で各都市の差異がいかに描かれているのかなどが質問された。

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Michael Kim氏(延世大学校)は、植民地時代のソウルの視覚的イメージを通して再構成される植民地の日常について発表を行った。Kim氏は当時の写真をいくつも取り上げてそこに映っている街並みや車、人々の服装、韓国人、日本人などを分析し、そこから韓国の植民地時代の日常について説明した。Kim氏はコロニアリティという語が今日のグローバルなレベルにおいて、どのような要素を含んでいるのかを理解する必要性を指摘した。質疑では、写真に写っている人々の様子についてのさらなる解説や写真の分析方法について話し合われた。

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セッション6では発表者の報告後、司会の本田洋氏(東京大学)が韓国朝鮮社会における植民地の経験や複雑性の問題についてコメントし、四人の報告者と参加者間でさらに質疑が行われた。写真や映画、小説などのメディアの違いがもたらす現実性についての理解の差異などが議論された。フィクションは現実の再現ではないことを踏まえた上で、写真について分析することの難しさなどが指摘された。

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以上のように、第二日目の会議は文化人類学や歴史学、社会学など様々な分野の研究者がアジアの都市について意見を交わし合う、活発な議論の場となった。

(文責:八幡さくら)

1月13日

最終日は、セッション7が行なわれた。最初の登壇者である橋本毅彦教授は「戦前と戦後日本における耐火設備」と題して、日本の火事対策がいかなる歴史的背景に基づいて講じられてきたかを論じた。

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江戸時代、日本家屋の大部分は木造であり、火災にとても弱かった。明治維新を経て、近代式の蒸気ポンプが導入されたが、水の供給手段が限られていたため、消防士たちは町の各部分に配置された水の桶を抱えて現場に向かわなければならなかった。1923年の関東大震災以後、日本の建築家たちは鉄やコンクリートなどの火に強い素材の使用を検討したが、それでも木造の家屋は多く残り、震災以降、むしろ火災は増加した。当時は火事が起きた際、一般の人々を火災現場から離れさせることが原則とされていたため、消防士が到着するまでは一切消火活動ができなかった。日本政府は1937年にこれを改め、火災現場にいる一般市民の消火活動を奨励する法案を提出した。

第二次大戦後は、GHQの主導でアメリカ式の安全基準の導入が検討されたが、それに際して調査を命じられたのが建築家の堀内三郎である。堀内は家屋の耐久性や風の影響などを調べ、火災が発生してから延焼するまでに要する時間を計測し、1960年に論文として発表した。堀内と仲間の調査員たちはその後理論と実験に基づいて、消防士が現場に到着して放水を開始するまでの時間を8分、消火に必要な水量を40トンと規定した。日本の都市における消防署の地理的配置は、この計測結果を基準として決められたものである。このように、現在の日本における消防システムには、緻密な技術的計測と明確な基準設定を背景として成り立っていることがわかる。

二人目の登壇者ジョン・リー(John Lie)教授の発表タイトルは「安定社会日本(Stationary Society Japan)」で、成長経済の行き詰まりが明らかになりつつある現代社会において、日本がモデル社会となりうることを論じた。

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近代社会は長らく経済成長への信頼に依存してきた。成長とそれに伴う将来的な富の約束は、あらゆる社会問題に対する便利な解答であり続けてきた。しかしグローバリゼーションがもたらした破滅的影響の数々を前にして、成長の政治経済(political economy of growth)はもはや受け入れがたいものとなっている。そこで日本に目を向けた場合、見いだされるのは成長神話の崩壊である。バブル崩壊後、日本社会は「失われた20年」と呼ばれる失意の時期を通り過ぎてきたが、この間にも日本経済は年2%ほどの成長を維持しているため、実際に起こったことは成長の消滅というよりはむしろ標準化である。現在の安倍政権はかつての高度成長モデルの再生を訴えるために、この「失われた20年」というシナリオを利用しているが、安倍晋三の主張するような戦後日本経済のシステムは滅びつつある。三井や三菱、パナソニックやソニーといった旧財閥系の企業は力を失いつつあるし、戦後日本社会の特徴であった終身雇用や年功所得などもすでに形骸化している。他方で、苦痛にあえぐ大企業の影には、かつてないほど生き生きとした日本社会の姿を見出すことができる。日本には職人の伝統が今でも生きているし、中小企業は技術と革新性を発揮している。また文化的側面に目を向ければ、コンビニやトイレ、配達システムなど、日本には他のどこにも見られないような特異かつ優れた要素を多く見出すことができる。現在の日本はかつての帝国主義と成長神話という超越的理念を捨て、「小さな幸せ」、「人に迷惑をかけない」といったような日常的な善を重んじる社会へとシフトしつつある。

以上のような状況を考慮すれば、日本は今でも比較的安定した社会とみなすべきである。これは当然ながら、日本社会に問題がないということではない。しかし他の国々に目を向けたとして、見いだされるのはいかなるモデルだろうか。トランプが大統領選挙に勝利した今、アメリカ社会をモデルとすることが容認しがたいのは明白である。中国やEUの社会システムもそれぞれに巨大な欠点を抱えており、社会モデルとして望ましいものではない。だとすれば「成長の政治経済」以後の社会モデルとしてふさわしいのは、実は日本なのではないか。

以上、すべてのセッションが終わった後、コンクルーディングディスカッションが行われた。そこでも活発な議論がなされた後、盛況のうちに本ワークショップは幕を閉じたのであった。

文責:石渡崇文(UTCP・東京大学大学院博士課程)

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