【報告】華東師範大学「東アジアを考える」会議
秋の華東師範大学を中島隆博さん、王前さんとともに訪れた。許紀霖さんとの間で一年前から約束していたワークショップに参加するためだ。
許紀霖さんを中心とする華東師範大学グループとの研究交流の歴史は長い。とりわけ許氏が駒場に客員滞在した2014年冬にはクローズドセッションを開いて、中国で近年来論争を引きおこしている「天下」論について、前センター長の小林康夫さんを中心に集中的な議論を行った(http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2014/06/post-709/)。このセッションがきっかけとなり、同じ年の秋には華東師範からの数名の参加者と延世大学の白永瑞さん、金杭さんが加わって、東アジアからの「新しい普遍」を探る魅力的なワークショップへと発展した(CPAGの企画として開催。開催報告は:http://cpag.ioc.u-tokyo.ac.jp/events/post/20141114%20final%20report/)。こうした交流からは、中国、韓国、日本のそれぞれで派生的な出版が行われただけでなく、台湾にも紹介され、東アジアの現代思想をたしかに豊かにしている。今年になって、UTCPの中島さんの解説と詳細な著者インタヴューを掲載した白永瑞さんの日本語著書『共生への道と核心現場 実践課題としての東アジア』(法政大学出版局、2016年)が出版され、出版記念イベントが行われたことはブログでも報告済みだが(/blog/2016/09/post-840/)、これもまた許紀霖さん、白永瑞さんらとの交流が直接の機縁となって実現したことである。
2016年10月29日、30日に上海で開かれた「東アジアを考える」と題する研究会は、こうした経緯の上に実現した。華東師範大学からはこれまでの交流にも参加してきた許紀霖、劉擎、邱立波、李永晶各氏に加えて、民俗学の立場から歴史の記憶をめぐる研究を続ける王小葵氏が加わった。また法学者として日本で活躍した後、いまは上海交通大学で教えている季衛東氏、中国社会科学院の賀照田氏、韓国聖公会大学の李南周氏、神戸大学の緒形康氏らも参加し、熱のこもった議論を繰り広げた。
この会を貫いていたのは、東アジアの歴史(とりわけ近代史)におけるさまざまな分断経験のなかから、いかにして共生的なコミュニティを醸成していくかという関心であった。このような試みはこれまでも東アジアの知識人の間で行われてきた。しかし、対話の継続、反復する継続は単なる継続ではない。つねに新しい状況の中で、つねに新しい顔ぶれが、新しいことばを「もう一度」語りなおすことの意味は小さくないだろう。なぜならそうした反復は歴史の「いきおい」を確認しつつ、それにきびしく対峙しながらなおも希望の端緒を見いだそうとする人文学ならではの営みだということをわたしたちは、歴史から学んでいるからである。それは「きびしい」ものでもある。なぜならこうした智恵の反復が生じるのは、つねにある種の切迫感が人びとを駆り立てる結果であることを、わたしたちはすでに知っているからである。白永瑞氏のように「核心現場」から問い続けること、あるいは賀照田氏が会合の中で述べたように、「苦悩」から出発すること、それらには歴史に学びながら、「きびしく」状況に対峙しようとする人文学的営為の基本が横たわっている。
あきらめることなくこの人文学的友愛のネットワークに関わり続けること、それはわたしたちを取り巻く「現場」の状況が厳しいほどにかけがえのない希望のよすがだ。
文責:石井剛(UTCP)