【報告】<現代作家アーカイブ>文学インタビュー第7回 筒井康隆
2016年10月4日の18時から、東京大学情報学環福武ホールB2F ラーニングシアターにて、<現代作家アーカイブ>文学インタビュー企画の第7回、筒井康隆氏(1934年-)への公開インタビューが開催された。
<現代作家アーカイブ>文学インタビューは、UTCP、東京大学附属図書館、飯田橋文学会の共同企画として開催されており、今回で第7回目を迎える。企画の詳細や過去のインタビューについては、本サイトのイベントページや過去の報告記事(※)を参照されたい。
(※)
第一回報告(高橋源一郎氏)
第二回報告(古井由吉氏)
第三回報告(瀬戸内寂聴氏)
第四回報告(谷川俊太郎氏)
第五回報告(横尾忠則氏)
第六回報告(石牟礼道子氏)
作家と読者と社会、その間にある関係性について考えさせられた対談であった。
今回の文学インタビューのゲストである筒井康隆氏と早稲田大学教授、都甲幸治氏との対談は、3つの課題図書『日本以外全部沈没』『虚人たち』『世界はゴ冗談』について順に対話する形式で進められた。だが、その対談は個々の作品の内容以上のものを聴く側に伝え、考えさせるものであった。
都甲氏の表現では、『日本以外全部沈没』において、通常、知識人とは呼ばれない人たちが「すごい力を持って」登場しているという。筒井氏は、これに応答して、自分はそういった人々を肯定も否定もしておらず、どちらかと言えば、面白がっているという。さらにいえば、知識人、マスコミ、外国人などあらゆる人たちを面白がっているのであり、集団として描くときは誇張して(デフォルメ)することでリアリティを感じてもらうことを意図していた。それに対して、都甲氏は、筒井氏の描写には貶しながらも愛があり、誰でも面白がることで、平等に扱うというところが重要なのではないかとコメントした。
つづいて、『虚人たち』という作品について対談の焦点が移ると、筒井さんはこれまでに自らが様々な編集者と出会ってきたこと、そして、その中でも特に記憶に残っている人は、例え喧嘩した人であっても自分にとって重要だったと述べた。そして、その重要性とは、実利的なものとは関係のないものであった。また、中南米の作品の中に何を発見したのか、という都甲氏の問いかけに対して、筒井氏は中南米の作家たちに思い入れがあり、ノーベル賞をとったマルケスや、カフカに影響を受け、特にカフカは自らの不条理感覚を育てたという。
筒井氏と都甲氏のあいだで、近年、小説を取り巻く社会環境が変化し、「窮屈」な状況に陥っているという認識が共有されていた点も興味深かった。筒井氏が述べ、都甲氏が同意したことは、文学は常識や良識の枠を問い直し、それらを批判し、否定するというのが本来の姿であるということであった。これを遂行することが文学者の使命なのである。しかしながら、このような文学の機能は「今、危機に瀕している」(筒井氏)。小説が昔ほど読まれなくなった、マスコミが読み方を誘導してくる、あるいは読者自身が自らのうちに「検閲官」を住まわせ、常識や良識の範囲から逸脱することを避けていることがその危機の背後にある。現代では「文学が生きられる範囲が狭まっている」(都甲氏)のである。
もともと役者を目指し、喜劇をやりたかったという筒井氏。小説家となって、本来は役者としてやろうとしていた「ドタバタ劇」を小説の中でやろうと思ったという。読者・都甲幸治にとって『世界はゴ冗談』は、そんなドタバタ劇が見事に展開された作品である。この作品では、老人が大暴れする。それは、爽快な光景であり、老人はこうに違いないと都甲氏は思ったという。しかしながら、以前、「ドタバタ」ばかりを書いていた時期は、読者からすぐにその「ドタバタ」が快く受け入れられたわけではなかった。むしろ、そのような作品を書くことに疲れ、メタ小説などを書くようになると、「なぜドタバタを書かない」という声が読者から聞こえてきた。
最後に設けられた聴衆との質疑応答の中で、「笑いに社会批判の力があると考えているか」という質問があった。これに対して、ベルグソンの「笑い」について過去にタモリ氏と『中央公論』の中で語り合ったエピソードなどに言及しながら、小説を読んでいて、笑うところがあれば、なぜ笑うのか、その部分の前後に何があるか考えた方がいいということ、そして、そのような笑いを触発することが社会批判につながるのではないかという話があった。文学も、社会もそして、自分自身も、幾重にも思考を重ねてこそ、真の姿が浮かび上がってくる。筒井氏が言うように、そのような重層的な思考は作家に求められるものだが、作品を受け止める読者と社会にも同様の思考が要求されてしかるべきであろう。文学は単に市場で取引され、ある特定のベクトルを持った価値観とともに消費されるべきものではない。しかし、そのような世界が現実には広まっているのではないか。対談を聴きながら、そんなことを思った。