【報告】宮崎県立五ヶ瀬中等教育学校訪問(第1日目)
2016年9月29~30日にかけて宮崎県立五ヶ瀬中等教育学校において、3年生および4年生と哲学対話を行った。今回は第一日目29日(木)の活動について報告する。
五ヶ瀬は宮崎県北西部にあり、平均標高約620mに位置する、現在人口約5000人弱の村である。五ヶ瀬村は農業を生業にしている者が多いが、時代と共に高齢化が進み、農業の担い手が不足してきているのが現状である。2015年12月に、五ヶ瀬村町、高千穂町、日之影町、諸塚村、椎葉村が「高千穂郷・椎葉山の山間地農林業複合システム」として、国際食糧農業機関(FAO)から世界農業遺産に認定された。
このシステムには、焼畑に代表されるような伝統的な農林業の維持や、地域の絆と伝統文化の継承などが含まれている。五ヶ瀬中等教育学校は地域における次世代を担う人づくりに取り組んでいる。五ヶ瀬中等教育学校は平成6年に母体となる学校が開校し、平成11年に全国初の中高一貫6年間教育を行う公立中等教育学校として設立された。自然豊かな環境の中にあるこの学校は一学年40名の全寮制の学校である。平成26年度に文部科学省からスーパーグローバルハイスクール(SGH)の指定を受けた。五ヶ瀬中等教育学校では、ローカルからグローバルで活躍できる「野性味あふれるグローバル・リーダー」を育成するための学習プログラム「グローバル・フォレストピア学習」を行っている。この学習は、問題解決のための考え方や社会課題を学ぶことと、国内外の大学や企業などと連携しながらグローバルな社会課題を研究することを二つの柱に掲げている。グローバル・リーダーに求められる客観的な見方や多角的に考察する力を育成するために、哲学対話をカリキュラムに導入している。去る3月20日のイベント「ラーニングフルエイジング~地域社会における多世代交流と教育の役割」において、五ヶ瀬中等教育学校の宮嵜麻由香さん(当時6年生(高校3年生相当))が五ヶ瀬地域の価値と地域との関わりについて発表したことは記憶に新しい。
第一日目は、4年生(高校1年生相当)に哲学対話のファシリテーションの方法を教えるのがメインテーマだった。11月に行うシンポジウムでは、4年生がファシリテーターとなって哲学対話を行うことを計画している。4年生の生徒達はすでに昨年哲学対話を経験している。まず梶谷真司氏(東京大学・UTCP)が哲学対話とその方法についての説明を行った。生徒達は昨年のことを思い出しながら、梶谷氏の話に大きく頷いたり、聞かれたことに返事をしたりしてとても真面目に話を聞いていた。哲学対話とファシリテーションについての説明が終わった段階で、椅子を輪にして対話のテーマ決めに移った。
まず生徒達に皆で話し合いたい大きなテーマをいくつか挙げてもらった。その中から投票で「将来」と「マンガ」について話し合うことが決まった。その後、将来とマンガのどちらについて対話したいかによって二つのグループに分け、それぞれのグループで話し合いたい問いを出してもらった。問い選びの投票の結果、「将来」のグループでは、「30年後の4年生(自分達)」「死んだらどうなるのか?」という二つの問いが選ばれた。「マンガ」のグループでは「いいマンガの条件」を話し合うことになった。ここでは前者のグループの対話内容について報告したい。
生徒達自身がファシリテーションを学ぶために、ファシリテーターも生徒に任せた。対話が始まってしばらくは自分の将来を生徒達が順番に発表する時間が続いた。半数くらいの生徒が答え終えた後で、少し沈黙が続き、ある生徒が問いを変えた。その後、答えがどんな人と結婚したいか、将来クラスメイトの中で誰が有名になっていそうか、などの問いと回答が次々に発せられた。しばらく発言が続いた後、沈黙が訪れた。生徒達は色々発言するが、相手の言ったことに対してほとんど質問をしない。そのため、沈黙が繰り返し訪れた。そのたびに生徒達は居心地の悪そうにし、対話がうまくいっていないと感じているようだった。そんな中、ある生徒が「結婚したい人はなぜ結婚したいのか?」と理由を尋ねた。それに対し、ある生徒が、「自分は家事ができないから、家事してくれる人が欲しい」と答えた。「家政婦ではダメなのか?」「結婚には愛が要るから家政婦は違う」と対話が続いた。そこからお金と愛とどちらが大事かという話題に移っていった。生活だけでなく離婚もお金がかかるから、やっぱりお金が大事と言う生徒。それに対して、愛はお金で買えないものだから、離婚を前提にしてお金を重視するのはおかしいという意見が出た。将来から結婚の話へと移ったことで、対話が少し深まってきた。ここで一回目の対話は終了時間を迎えた。
質問の練習もかねて4人一組で質問ゲームを行った。その後の2回目の対話では、最初にマンガの条件について話し合ったグループは「校則は必要か?」、30年後の自分達について話し合ったグループは「死んだらどうなるのか?」について話し合いを始めた。「自分が死んだらどうなるのか」について対話したグループでは、生徒たちが次々に自分の死生観について話し出した。かなり多くの生徒が輪廻転生を信じていた。そんな中で、一人の生徒が「死んだ後の世界なんてない。私達は他のものと同じように単なる物質に過ぎないから」と発言した。大多数を占めていた輪廻転生説と比べると、この意見は変わっているし、「なぜそう思うのか?」という質問が出てもいいところだ。しかし、他の生徒達は一瞬戸惑ったような表情を見せたものの、質問は出なかった。生徒達の心の中に疑問が浮かんだにも関わらず、質問として出てこないのがもどかしかった。そのまましばらく対話は進んだが、途中で「輪廻転生をなぜ信じているのか」と質問してみた。すると、ある生徒は「怖いから」と答え、そう信じないと生きていくのが不安だからと自分の死に対する恐怖を打ち明けた。輪廻転生を信じている理由が少し見えてきた。そうしている内に終了時間になった。
対話は中途半端なところで終わるのが常である。もっと話したい、聞きたいと思っているところで終わることで、その後さらに自分の考えを深めていくことに繋がる。わからなくなったことがあれば、それは、知っていると思っていたことが単なる思い込みに過ぎなかったことを意味している。生徒達は互いに質問し合うのを避けているようだった。それは彼らが寮生活を続ける中で皆と平和に暮らしていくために身につけた技なのかもしれない。6年間同じ仲間と衣食住をともにするためには、違う意見を持っている人やその意見について追求することは避ける方が望ましいかもしれない。しかし、本当の意味で多様なものの見方や考えを深めていくためには、自分と違う意見が重要である。対話するということは、異なった立場や価値観を持つ人達がともに対話することで、自分の考えに縛られず、思考を深めていくことだからである。
生徒達は今日の対話をどう感じただろうか?友人の違う一面を知った生徒もいたかもしれない。4年生の彼らはさらに2年間ともに過ごすことになる。彼らには、自分達が疑問に思ったことや聞きたいことを恐れずに質問して話し合ってほしい。そうすることで、彼らはもっとお互いによく知り合うことができるだろう。この素晴らしい空間の中でかけがえのない仲間と過ごす貴重な時間を大切にしていってほしい。
文責:八幡さくら(UTCP)