Blog / ブログ

 

【報告】Brain stimulation for treatment and enhancement in children (Dr. Hannah Maslen講演会)

2016.09.01 中島隆博, 川村覚文, 八幡さくら, 筒井晴香, 佐藤空, 金景彩, 李範根, 石渡崇文, 林禅之

8月24日、オックスフォード大学のUehiro Centre for Practical EthicsよりDr. Hannah Maslen氏をお招きし、講演会が開かれた。

Maslen氏は哲学・倫理学のみならず、法学や心理学のバックグラウンドをも持つ、気鋭の若手研究者である。今回の講演は、「子どもにおける、治療およびエンハンスメント目的の脳刺激(Brain Stimulation for Treatment and Enhancement in Children: Trade-offs, open futures, and ethical limits to parental proxy decision-making)」というタイトルで行われた。以下ではその概要について触れる。

160824_photo_1.jpg

日本ではまだあまり見かけないが、欧米では頭蓋骨の外側から脳を電磁気的に刺激し、特定の脳領域の活動を調整するための機器が一般的に販売されるようになってきている。このような非侵襲的な脳刺激を以下ではNIBS(non-invasive brain stimulation)と略記する。NIBSは、抑うつ、慢性疼痛、統合失調症、あるいは認知症などに対する治療目的ですでに使用されてきており、一定程度の効果を上げているらしい。そしてこの技術は治療のみならず、すでに健康な人の認知能力をさらに増大させるための「エンハンスメント」という目的のための使用にも応用され始めている。

このように普及し始めているNIBSを、では子どもに使用することに問題はないだろうか。特に、エンハンスメントとしての使用についてどう考えるべきだろうか。たとえば、学習塾に通わせる代わりに、より効率的な勉強法としてNIBSが使用されるようになる可能性があるが、これは社会として許容されるべきなのか、それとも何らかの規制がなされるべきなのか。これが、今回の講演でのMaslen氏の問題提起である。

この問題に対してカギとなるのが、「開かれた未来(open future)」という概念である。子どもは開かれた未来への権利を持つ。つまり、子どもは、今は自分で自律的な決定を下すことのできない存在であるかもしれないが、将来的にさまざまな選択肢の中から自分自身の人生設計に従って、合理的な決断を下す余地が残されなければならない。NIBSによってある特定の能力が増強された子どもは、実はそれを決定した親の特定の価値観に支配されており、自分自身の人生が結果的に狭められてしまっている可能性があるのである。これは避けられるべきシナリオである。

しかし、そもそも遺伝的組成というものは多様で、もともと何かが得意であったりそうでなかったりするのは運によっても決まっているという事実や、エンハンスされた子どもは、実際はより多くの選択肢を持つのではないかという可能性から、この考えに対して反論がなされるかもしれない。ここで確認しなければならないのが、現段階でのNIBSはトレードオフを抱えているということである。つまり、ある認知能力を増強した時に、それに対応して何らかの別の認知能力に欠損が見られる可能性がある。そしてその長期的な影響に関しては、今のところ確かなことは分かっていない。そのためMaslen氏は、一方で副作用があるにしても、NIBSを治療目的で使うことは許容されるが、エンハンスメント目的で使うことは問題を孕んでいると言う。なぜなら、前者はほとんど確実に、その子どもの最善の利害関心に適うが、後者は必ずしもそうとは言えないからである。

その上でMaslen氏は、子どもが自律性を身につけるのはいつか、かれら自身の選択でエンハンスメント目的のNIBS使用が許容されるのは何歳からが妥当なのかというより実践的な問題にも踏み込む。法的にも同意能力があると一般的に考えられ始める16歳を目処にすべきではないかというのが、今回の発表での暫定的な答えであった。

質疑応答では、消費者市場をどう規制すれば良いのかという問題や、どのような根拠から自律性があるとみなせるのか、といった質問がなされ、それに対して溌剌と答えるMaslen氏が印象的だった。

160824_photo_2.jpg

講演会後のお茶の席で、未来が開かれているがゆえに、かえってその人の幸福度が下がる場合があるのではないかということと、もし子どもの頃の脳の可塑性ゆえに、NIBSのポジティブな効果も子どもの頃の方が大きいのであれば、エンハンスメントの是非もさらに議論しなければならないのではないかということを質問してみた。前者に対しては、「選択のパラドックス」という問題で議論の蓄積があること、後者に対しては、まだNIBSの長期的効果がよくわかっていない以上、なんとも言えないのではないかと、いろいろ議論をさせていただいた。

報告:林禅之(東京大学大学院総合文化研究科)

Recent Entries


  • HOME>
    • ブログ>
      • 【報告】Brain stimulation for treatment and enhancement in children (Dr. Hannah Maslen講演会)
↑ページの先頭へ